俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

続一人1票

2013-07-31 10:11:02 | Weblog
 5月29日付けの「一人1票」で「(知的障害者の)介護をする人に実質的に2票あるいはそれ以上の投票権を与えるべきではない。」と書いたが、このことは危惧ではなく現実だ。
 福岡県の特別養護老人ホーム「ひまわり園」の園長らが、先日の参院選で入所者の名を勝手に使って投票したとして逮捕された。これは起こるべくして起こった事件だ。制度の不備による必然だ。市街地を時速200㎞で走れという馬鹿な法律があれば死亡事故が多発するのと同じくらい確実に起こることだ。
 これは氷山の一角に過ぎない。こんな不正が横行していることは確実だ。こうなることが分かっているのに知的障害者の投票権を主張する人やそれを支援する人がいるのはなぜだろうか。2通りいるだろう。1つは身近に知的障害者がいてその投票権を使おうとする人。もう1つは空想的理想主義者だ。
 私は前者をある程度容認する。困難な境遇に同情できるからだ。敵視するのはむしろ後者だ。彼らは現実を否定するからだ。理想と現実に齟齬があれば、私なら理想を見直す。しかし彼らは現実を否定する。彼らは一時期「進歩的文化人」という名で蔓延っていたがその後、絶滅危惧種になり、今ではこんな形で生き残っている。
 「人の命は地球より重い」とか「人は平等であらねばならない」といったスローガンを彼らは好む。そのスローガンが矛盾を招いても、矛盾しているという事実を否定してスローガンを守ろうとする。絵空事を守るためなら黒を白と言いくるめることも厭わない。自らが信じる正義のためならどんな悪でも許容する。現実よりも理念を重視するという意味ではオウム真理教の狂信者と同質だ。

コメントを投稿