俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

口蹄疫(2)

2010-07-23 14:48:21 | Weblog
 宮崎県の東国原知事は15日に突然それまでの方針を変え、種牛6頭の処分を飼い主に要請した。それまで「国は頭が固い」とか「臨機応変に対応すべきだ」と発言していただけに、知事の変節と誤解されかねない方針転換だ。
 しかし実は、国が移動・搬出制限を盾にしてゴリ押ししたから方針を変えざるを得なかったというのが実情だろう。移動・搬出制限が解除されなければ宮崎県の畜産業は蘇れない。背に腹は代えられず知事は苦渋の決断をしたのだろう。
 種牛6頭を残すべきかどうかは意見が分かれる。どちらの意見にも理がある。しかし「殺さなければ移動・搬出制限を解除しない」と恫喝されたら議論の余地は無くなってしまう。
 この辺の事情をNHKはちゃんと報道していたがどういう訳か朝日新聞大阪版では全く触れられなかった。朝日新聞だけに頼っている人は東国原知事は言うことがコロコロ変わる無節操なタレント知事だと思っただろう。なぜこんな大切な情報を報道しなかったのだろうか。

権利と責任

2010-07-23 14:29:36 | Weblog
 鳥インフルエンザの感染源の1つであるインドネシアがWHO(世界保健機関)へのウィルスの提供を拒んでいるそうだ。ウィルスの提供によって利益を得る先進国に対して見返りを要求しているらしい。全くもって厚かましい話だ。先進国は利益を得ているのではない。パンデミックによる被害を阻止しているのだ。
 新型インフルエンザを発生させることに対して責任を感じないのだろうか。加害者であるという認識を持たないところが恐ろしい。
 中国やインドネシアのように人と鶏が雑居するような環境ではヒトウィルスとトリウィルスの混合を招き易い。インドネシアは新型インフルエンザを発生させることに対して罪悪感を持つべきだ。それをウィルスも資源だと主張するとは盗っ人猛々しい。
 通常の動植物なら所有権を主張しても構わない。しかし病原菌の所有権は認められない。もし所有権を主張するならそれが招いた被害についても責任を負うべきだ。これはメキシコ湾で石油の大量流出事故を起こしたBP社が対策費をアメリカ政府に請求するようなデタラメな要求だ。
 国際問題だからややこしそうに思えるが国内問題に置き換えればこの理不尽さは明白だ。もしある県で伝染病が発生してその県の知事が「病原菌の提供は他県のメリットになるのだから有償であるべきだ」などと主張したらその独善性は大バッシングを食らうだろう。
 インドネシアがこんなスタンスを取るのなら国際社会は連携してインドネシアに圧力を加えるべきだろう。養鶏を規制するとか輸出を禁止するとか、打てる手は色々ある。
 こんな独り善がりの理屈を容認すべきではない。権利を主張する前に責任を全うすべきだ。

個人主義

2010-07-23 14:18:45 | Weblog
 論理的には個人主義は正しい。自分のために生きるのは当然のことだ。
 倫理的には疑問が生じる。人は他人に喜ばれることや誉められることが大好きだ。他人による評価が無いと虚しくなる。
 しかしこれは正しい感情だろうか。子供の頃から利己主義は徹底的に否定され、社会に貢献することが最高善であるかの如く教え込まれたことによる歪んだ感情ではないだろうか。
 一卵性双生児が助け合う姿なら美しい。但しこの2人は本来一人だ。受精卵が何らかの事情で2つに分割されて2人になっただけだ。本来一人である筈の2人が助け合うのと、一人の人が一人のままで自分を助けるのとどこが違うのだろうか。
 個人は確立した自我など持たない。個人とは様々な欲望や意志がぶつかり合う戦場のようなものだ。相矛盾する感情を統合して1つの行為を選ぶプロセスは双生児が協力し合うのと何ら変わらない。
 他人に役立つことが嬉しいのと同じように自分に役立つことが嬉しく感じられるように精神構造を変革しても良いのではないだろうか。