俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

魚のセックス

2008-09-15 17:04:58 | Weblog
 かつてミュージカルの大女優のジュリー・アンドリュースがどこかのパーティで「魚のセックス」と言われて「魚がセックスするの?」と言ったそうだ。
 「魚の性」を「魚の性行為」と勘違いしたために笑い話として残ってしまった。
 魚は交尾しない。魚の生殖はメスが生んだ卵にオスが精子をぶっかけるだけだ。
 魚の「性」はかなり面白い。性転換などバーリトゥード(何でもあり)の世界だ。ある種の魚はメスばかりが水槽に集められると繁殖期には体の一番大きなメスがオスに性転換して繁殖するそうだ。
 オスとメスは人間界(哺乳類界)ほど絶対的に違う訳ではない。要するに違った2者から新しい1者を作れば良いということだ。
 ある動物種にAという最適応者がいたとする。AがBと有性生殖をして生まれるABという個体がA以上の適応者になる可能性は少なくない。仮に1%しか可能性が無くても、A以上の優れた個体が生まれることになる。これが有性生殖のメリットだ。有性生殖は進化を促す重要なメカニズムだ。

天気に頼る

2008-09-15 16:49:22 | Weblog
 夏に寒ければビールやエアコンは売れない。冬に暖かければ暖房器具やコートは売れない。これは当たり前のことであって決して販売担当者の言い訳や責任逃れではない。
 精神主義者は「天気に頼るな」と言う。天気に恵まれなくても頑張ればなんとかなると彼らは主張する。しかしこれは不合理だ。
 天気に頼らないビジネスは実は天気を活用できていないだけだ。天気という追い風に乗って大幅に業績を伸ばした企業が追い風を失えば失速するのは当然だ。
 100mを10秒で走る選手は追い風なら10秒を切れるが、向かい風なら10秒を越えるだろう。これは当然のことだ。
 天気という追い風に乗らない殿様商売をする企業だけが天気に負けない。天気に頼らないということは自慢できない。雨が続いて傘がよく売れているのにそれに対応しない小売店やメーカーが模範になる筈がない。

軽い罪と重い罰

2008-09-15 16:39:41 | Weblog
 若の鵬に続いて露鵬と白露山のロシア出身の3人の力士が、大麻吸引を理由に解雇された。この処分は妥当だろうか?
 大麻は一部の国では合法とされていることから考えて、それほど有害な薬物とは思えない。もし害があるとしても本人に有害なだけだ。覚醒剤のように狂気の行動を引き起こす訳ではなさそうだ。この程度のことで総てを犠牲にして極東の島国まで出稼ぎに来た若者の未来を奪って良いのだろうか。
 相撲は他のスポーツと違って潰しが利かない。相撲でしか役に立たない体型に改造してしまう。相撲を辞めればせいぜい一部がプロレスラーになれるぐらいだ。
 もし力士が万引きで捕まったら解雇されるのだろうか。立小便ならどうなのだろうか。少しの悪事も許さぬという厳罰主義に立てば総て解雇対象になる筈だが、必ずしもそんな原則が守られている訳ではない。
 昭和40年に当時の東西の両横綱が銃を持ち込むという不祥事を起こしたが、この責任は不問に付された。銃の持込と大麻の吸引はどちらが悪いだろうか。
 大麻を吸っただけで解雇するのは日本の法律を熟知している訳ではない外国人に厳し過ぎる。謹慎数場所と減棒で充分ではないだろうか。日本人旅行者が外国(特にイスラム圏)で大目に見て貰っているように外国人には少しルールを甘くしても良いように思う。増して、もし日本人以上に厳しく罰しているなら言語道断だ。

世界の3大料理

2008-09-11 18:36:10 | Weblog
 世界の3大料理は、中国・フランス・トルコと言われている。
 しかし中国(中華)料理は脂に頼り過ぎているし、フランス料理は牛乳(バターとクリーム)に頼り過ぎている。トルコ料理はよく知らない。ドネルケバブという世界有数の肉料理ぐらいしか知らない。
 これらと比べて日本料理はどうだろう。日本料理は脂もミルクも使わない。飾り立てるよりは素材の良さを引き出すことに心血を注いでいる。浮世絵や漫画と同じく「引き算」の思想を貫いている。
 西洋人も日本人も世界を不完全と考える。西洋人は「不完全なものを飾り立てる」ことによって美しくできると考える。日本人は全く逆に「無駄なものを除いて」良いものにしようとする。料理素材のアク抜きは日本料理特有のものだろう。
 フランス人は臭い体を誤魔化すために香水を使う。日本人は体臭を取るために風呂に入る。
 俳句などは世界で類を見ない文化だ。短い文章にこれほどまでに美を凝縮した文学は無い。エッセンスを追求することに日本文化の独自性がある。

刑罰の体系

2008-09-11 18:24:07 | Weblog
 刑罰は3つに分類できる。①身体刑②拘束刑③罰金刑だ。
 日本でも世界でも「人道主義」の立場から身体刑は減らされ、拘束刑と罰金刑が主流になっている。
 しかしこのように分類してみると奇妙なことに気付く。身体刑が殆ど廃止されているにも関わらず最も「非人道的」な筈の死刑だけが残されている。このため刑罰には奇妙なギャップが生まれている。死刑さえ免れたら最悪でも無期懲役にしかならない。社会に適応しない者にとって拘束刑は決して恐ろしい罰ではない。衣食住は充たされるし他人と関わらずに済むのだから結構快適な環境とさえ言える。
 確かに身体刑には不合理な面がある。入墨をしたり手足を切断したりすれば受刑者の社会復帰は著しく困難になる。刑罰を与えることによって受刑者は一層社会に適応しにくくされてしまう。
 社会不適者にしないどころか社会適応者に改造する身体刑なら認められるのではないだろうか。9月5日付けの「断種」でも書いたことだが、悪質な性犯罪者に対する断種や去勢は、危険人物を普通人にする効果がある。死刑を廃止して断種と去勢を実施するほうが余程「人道的」と思えるのだが・・・。

醜い性器

2008-09-11 18:09:27 | Weblog
 性器は醜い。男女とも変な格好をしている。アダムとイブがイチジクの葉っぱで隠したようにどんな未開民族も性器だけは隠す。
 性器が醜い理由は2つ考えられる。
 ①性器は内臓
 性器が内臓だと言っても多くの男は納得しない。男性性器のように外部に露出したものを内臓と見なすことは形容矛盾とさえ思われる。しかし女性性器は大半が内蔵されている。動物の体はメスが本来の形でありオスは有性生殖のための変形体であることを考えれば、女性性器が本来の姿と考えられる。
 内蔵は機能性優先(=外観軽視)で進化する。機能性に特化すると「美しさ」による種族内淘汰が起こらない。
 しかしここで大きな疑問が生じる。たとえ内臓であろうとも一旦外部に出れば美による淘汰を受ける筈だ。例えば口蓋は内臓なので口の内側は醜い。しかし外部に露出する唇や歯並びは「美」を基準にして淘汰が行われる。性器についても内部にある膣はともかく外陰部は美に向かって進化する筈だが現実はそうではない。別の要因を考える必要がある。
 ②女性の繁殖戦略
 無限に繁殖機会を持つ男と違って、女性はせいぜい1年に1回しか出産できない。しかもそのための負担は大きい。そこで女性は子種を選別して少しでも「良い」子供を産もうとする。
 もし女性が性器を露出すれば不特定多数に狙われる恐れがある。ただの痴漢ではなく強姦される可能性が高まる。こんな状態はどんな女性にとっても好ましいものではない。
 女性は良い子供を得るために自分が望まない不特定多数と交わることを求めない。気に入った男の子種だけを受け入れることが女性の望みだ。
 こういう事情から女性は性器を隠す。隠すから「見比べ」による淘汰は発生しない。美しさによる選別が無ければ機能性に特化して変な格好になる。変な格好だから恥ずかしくて見せられなくなる。このようにして性器は美しい女体とはアンバランスに醜くなったのだろう。

聞き流し

2008-09-09 19:03:06 | Weblog
 人は日常的に「聞き流し」をしている。
 名前を呼ばれて本人だけが反応するためにはそれ以前から聞いている必要がある。言語の伝達のためには時間が必要で、漫画のように同時に提示できる訳ではない。
 例えば「大田」という人がいるとする。彼は「大西」にも「大川」にも反応しない。「オー」の時点では反応せず「大田」になって初めて反応する。文字と違って音は遡れないから「オー」の時点では知覚されながら意識には上らず「タ」の音が聞こえてから初めて意識に上る。
 テレビやラジオを聞き流ししていても同じようなことが起こる。関心のあること、例えば好きな有名人や「株価」という言葉が聞こえると突然意識によって捕らえられる。
 人間には膨大な量の情報が与えられている。その総てを意識していたら大変だからごく一部の情報しか意識には上らない。知覚される情報量は意識される情報量より圧倒的に多い。

原始共産制

2008-09-09 18:52:58 | Weblog
 こんな「なぞなぞ」がある。
 5匹の猿が「木に登りたい」と思いながら歩いていたら6本の樫の木が見つかった。その時猿は何と言っただろうか?
 答え:「ムツカシゴザル」
 「なぞなぞだから「難しい」ということになっているが実際には何も問題は無い。それぞれが勝手に木を選べば良い。
 8コースのプールで7人が泳ぐ場合、1コースを空けて7つのコースを使うことになる。もし9人が泳ぐなら9人目の人は自分と同等のレベルの人が泳ぐコースを選ぶだろう。
 もし8コースを100人で泳ぐなら無茶苦茶になる。多分まともには泳げない。設備や施設や資源(食料や水を含む)が充分なら仲良く分け合うことができる。こんな状態なら原始共産制の共存社会が可能だろう。しかし実際には足りないから競争や取り合いが起こる。
 「衣食足って礼節を知る」と言うとおり、基本的な欲求が満たされるだけでマナーも良くなる。「金持ち喧嘩せず」という諺もある。

客観性と他人事

2008-09-09 18:38:28 | Weblog
 福田前首相は辞任の記者会見で「私は自分を客観的に見ることができる。あなたとは違う。」と発言して、多くの人がこの発言に不快感を持った。それはなぜだろうか。
 福田氏は客観性と無関心(無関係)を混同している。無関心(無関係)な第三者の立場から見ることを客観性と信じている。
 キェルケゴールはヘーゲルの客観性を非難した。生きることを自分の(subjective)問題と捉えない客観的な( objective)姿勢を許せなかった。これ以降の哲学ではsubjectiveには「主観的」と「主体的」の2つの訳語が必要になった。
 何事も客観的に(他人事のように)捕らえる態度には責任感が感じられない。国のリーダーは同時に最高責任者でありあらゆる問題に責任があるにも関わらず、福田氏はそれを主体的な問題とは捉えなかった。
 福田氏は決して自分を客観視できていない。もし客観視できれば「いつも他人事のように話す無責任な政治家」としての自分の姿に気付ける筈だ。
 但し自分が辞めることによって自民党に追い風が吹くと考えたのなら、それは客観的で正当な判断だっただろう。

断種

2008-09-05 17:30:14 | Weblog
 足の早い馬からは足の早い馬が生まれるように、凶悪犯罪者の子は犯罪者になり易い。遺伝と環境の両方がそんな不幸を招く。
 凶悪犯罪者の遺伝子を持った子供が幼少時から日常的にその親の行動を見て育てば、遺伝と環境の両面で犯罪者への道が開かれる。
 親となる資質を全く持ち合わせない者が親になってしまうことは本当に恐ろしいことだ。
 常習的婦女暴行者は性欲を抑えられないらしい。こういう男の息子は多くの場合、父の「困った素質」を受け継いで「精力絶倫」になってしまう。こういう男を「元気があって良い」と評価する人もごく稀にいるようだが、多くの女性にとっては迷惑でしかない。
 日本の刑罰には死刑・懲役・禁固・罰金しか無いが、新たに「断種」という罰を設けても良いのではなかろうか。少なくとも連続婦女暴行犯に対する断種や去勢は女性の支持を得られるのではないかと思うのだが・・・・。