俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

断種

2008-09-05 17:30:14 | Weblog
 足の早い馬からは足の早い馬が生まれるように、凶悪犯罪者の子は犯罪者になり易い。遺伝と環境の両方がそんな不幸を招く。
 凶悪犯罪者の遺伝子を持った子供が幼少時から日常的にその親の行動を見て育てば、遺伝と環境の両面で犯罪者への道が開かれる。
 親となる資質を全く持ち合わせない者が親になってしまうことは本当に恐ろしいことだ。
 常習的婦女暴行者は性欲を抑えられないらしい。こういう男の息子は多くの場合、父の「困った素質」を受け継いで「精力絶倫」になってしまう。こういう男を「元気があって良い」と評価する人もごく稀にいるようだが、多くの女性にとっては迷惑でしかない。
 日本の刑罰には死刑・懲役・禁固・罰金しか無いが、新たに「断種」という罰を設けても良いのではなかろうか。少なくとも連続婦女暴行犯に対する断種や去勢は女性の支持を得られるのではないかと思うのだが・・・・。

間引き

2008-09-05 17:19:00 | Weblog
 「言論の自由」と言われながら誰もが避けるテーマがある。それについて触れるだけで謂れ無き迫害を受ける。そんなテーマについて敢えて火中の栗を拾いに行ってみようと思う。第一回目として「優生学」について書く。
 「優生学」と言えばすぐにナチスと結び付けられて「差別」のレッテルが貼られる。しかしこれは論理的には正しくない。仮に「ナチス=悪」であったとしてもナチスの政策の総てが悪になる訳ではない。
 優生学として私が採り上げたいのは次の2つだ。
 ①子供の間引きは許されるか?
 ②明らかな欠陥者に対する断種は許されるか?
 先天的な欠陥を持った子供を育てる親の負担はとてつもなく大きい。四六時中世話をせねばならないし、医療費等の金銭的負担も大きい。こんな子供を持ってしまえば到底他の子供を育てることはできない。
 先天的に重大な欠陥を持つ子供を間引いてはいけないのだろうか。本人も苦しいし親も苦しいし社会にとってもお荷物にしかならない。
 堕胎が許されるなら出産後の選別も許されて良いのではないだろうか?
 俗に「出来の悪い子供ほど可愛い」と言うが、限度を超えれば可愛くなくなる。支援が無ければ日常生活にも困り、意思の疎通も困難な子供が果たして可愛いだろうか。「私が助けてあげねば」という気持ちにはなるだろうが、これは産んでしまったことの責任を押し付けることでしかない。
 奇妙なことに優生学はフェミニズムと相性が良い。これは男女の繁殖戦略の違いによるのだろう。無限に繁殖機会を持てる男と、どれだけ頑張っても一生に20回ぐらいしか繁殖のチャンスが無く身体的負担も大きい女とでは戦略が異なる。男は下手な鉄砲を多数打ちたがるし、女はできるだけ「良い子」を産もうとする。
 優劣を認めないことが日本人にとっての良識となっているようだが、実際には優劣は存在する。同じ育てるなら少しでも「出来の良い子」を育てたいと思うのが本音ではないだろうか。

入るを以って出ずるを制す

2008-09-05 16:56:56 | Weblog
 家計なら、収入に見合った生活をすることは当然のことだ。もし収入に見合わない生活をしようとすればサラ金などから借金をするしかない。これは健全な生活ではない。
 国の支出が収入と見合わないなら対策は3つある。①支出を減らす(今回の自民党総裁候補なら石原氏・小池氏)②増税によって収入を増やす(与謝野氏)③借金を増やす(麻生氏?)
 一番ダメな方法は③の「借金を増やす」だろう。将来にツケを回すことによって現在の不満を回避する手法だ。借金はいずれ返済せねばならない。
 別に私は麻生氏をこき下ろしたい訳ではない。財政出動という政策は多くの場合はカンフル剤に過ぎず将来のためには有害だ。
 景気対策としてどうしてもカンフル剤が必要なら、無駄の多い公共事業よりも減税のほうが遥かに良い。