俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

オカルト?

2016-09-21 09:56:52 | Weblog
 昨日は台風16号が私の住む三重県を通過したために、腹痛が治まらない不快な一日だった。こんなことを書けば必ず突っ込みたがる人がいる。「天候と健康に因果関係は無い」と。こんな「科学的な」人が科学の発展の邪魔をする。実際には関係のあることに対して「非科学的」というレッテルを貼って頭から否定しようとする。
 天候によって慢性的な疾病が悪化することは確実な事実だろう。関節痛や頭痛などの増加は単に心理的なものではなく物理的な因果だと思える。それを非科学と決め付ける人がいるから学問の自由が奪われる。「元気がないのは天気のせいだ(俵万智『サラダ記念日』)」は充分に科学的だ。ドイツには健康への影響について論評する健康天気予報もあるそうだ。
 私は地震予知をオカルトと決め付けているが、新月や満月と地震は無関係ではなかろう。潮の干満の原因となる月と太陽は地殻変動にも影響する。偏見に基づいて考慮の対象から除外しようとする姿勢こそ非科学的だ。
 科学には少なからずタブーがある。人種や男女などの能力差について積極的に論じることは憚られている。これは能力の違いを価値の違いと同一視する愚かな人がいるからだ。まるで商品に対するように、人の能力差を金銭的価値に換算しようとする。他人を道具や商品のように見なす人は他人を道具のように位置付ける。自分にとって有用かどうかで評価する。あるいは社会にとって有用かどうかが客観的な価値だと思い込んでいる人もいる。しかし個人は他者によって利用されるための道具などではない。
 男性は女性よりも大きくて力も強い。しかしこのことを根拠にして男性のほうが優れているとは言えない。白人も黒人も黄色人種よりも大きくて力も強い。しかしそれを根拠にしてアジア人を劣等民族と考える日本人はいない。個体差は優劣ではない。差別をするためではなく共存するためにそれぞれの特性を正しく理解すべきだ。
 男性のほうが力が強いからこそ偉そうにするのではなく重い荷物を背負うべきだ。能力の違いを認め合うことによってお互いが快適に暮らせる。そんなことは、お互いが異なるということを認め合ってこそ可能になる。人種の違いも男女の違いもある。事実を知らせまいとする偏見に満ちた人が正当な研究に因縁を付けてオカルトのように扱わせようとする。
 星座とスポーツ、血液型と性格も決して無関係ではない。勿論、星座が人の運命を支配するなどと馬鹿なことを言おうとは思わない。原因になるのは学年分けだ。4月や5月生まれの児童は同級生よりも少しだけ成熟しており、特に低学年においてはスポーツのリーダー的立場を任され易い。だから日本の団体スポーツにおいては4・5月生まれの好選手が多くなる。その原因は星座ではなく学年の区切りだ。入学が暦どおりの1月である国では1・2月生まれのアスリートが多い。
 血液型は実は免疫型であり、病気に対する耐性がそれぞれ異なる。病気に備える姿勢が違えば社会への対応姿勢も変わりそれが性格の違いとして現れ得る。
 現代科学のジャンルから外れる研究をオカルトと決め付けるべきではない。かつてはオカルトだった錬金術は洗練されて化学の基礎となった。精神力によって物を動かす超能力はオカルトだったが、脳波を捕えて義足や義手を動かすことは最先端医療技術だ。事実を拒絶することが文明化・科学化の邪魔をする。

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