俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

不良品

2016-09-22 09:56:59 | Weblog
 「可能性はゼロではない」という戯言のせいでどれほど多くの無駄が世に蔓延っていることだろうか。
 ネッシーや雪男などが存在する可能性は限りなくゼロに近い。こんなくだらないことを騒いでも無駄ではあるが所詮他愛のない嘘だ。人畜無害である限り言いたい人には言わせておいて無視すれば済む。
 問題になるのは、帰納法を使う限り避けられない、今後例外が見つかる可能性はゼロではないという弱点に付け込んだ誇大広告と過剰警戒だ。
 誇大広告は無数にある。最大かつ最悪のものは宗教だ。殉教すれば天国へ行けるという嘘が典型であり、天国という嘘を使って人の命まで奪おうとする。それと比べて殆んどの誇大広告はせいぜい金銭を奪う程度に過ぎない。健康法とか特効薬とか宝くじなどが挙げられる。幸いなことにこれらによる実害は宗教を除けばそれほど大きくない。しかし詭弁の限りを尽くした宗教のテクニックが流用されることによって騙しのテクニックも高度化し洗練されつつある。「買わなきゃ当たらぬ宝くじ」という宣伝文句は歴史にも残りそうなほど優れたコピーであり阿呆でなくても騙されそうなほど良くできている。
 誇大広告以上に過剰警戒が現代社会には蔓延している。「良い」という嘘には容易に騙されない人でも「悪い」という嘘には容易く騙されるのは実に奇妙なことだ。これは「良い」という嘘には商売が密接に絡んでいるのに「悪い」という嘘には利害関係が見えにくいからだろう。悪いという嘘は基本的には物品の販売を目論んではおらず、情報を売ろうとしているからその正体が気付かれにくい。人類史上、情報が商品価値を持った時代はごく短いから人類にはこんな有害物に対する免疫力が備わっていない。
 過剰警戒のネタはそれこそ無数にある。天が落ちる、地が裂ける、水没するといった天変地異は勿論のこと、病気・事故・失業・失恋・不合格等、何でも対象になる。これらの大半は物品の販売を伴わない。売るのは情報だけだ。だから犯人となるのは大半がマスコミだ。マスコミは情報を売るために徹底的に嘘を利用する。
 刑法上の重大な不備もある。不良物品の販売であれば数千年に亘る商業史に基づく商業倫理があり、それに基づいて世界中どこでも通用するような商業道徳が形成されている。ところが不良情報の販売についてはその歴史が余りにも短いこともあり商道徳が形成されていない。このことを図らずも証明したのが朝日新聞だ。
 朝日新聞は長年に亘って「従軍慰安婦の強制連行」という嘘を売り続けた。それにも拘わらず不良品を売ったことに対する刑罰を何1つ受けていないし読者による損害賠償請求にも応えようとはしない。これは現代の刑法では不良物品の販売に対する罰則はあっても不良情報の販売は免責されるということだろう。
 死にかけていたゴシップ週刊誌が急激に蘇ったのは朝日新聞の実例によって、個人に直接危害を加えない限りどんな嘘でも許されるということが証明されたからだろう。情報が今後ますます嘘まみれになると思えば絶望的な気分になる。「可能性はゼロではない」という詭弁を規制するルールを設けなければ情報の世界が今後はとんでもない嘘だらけの世界になってしまう。これは言論の自由のための課題でもある。嘘をつく権利が認められれば言論の場が混沌になり正しい情報が嘘によって埋め尽くされることにもなりかねない。正しい情報は基本的にはただ1つだが、贋の情報のバリエーションは無数に可能であり、しかも幾らでも面白可笑しく加工できる。正しい情報を見付けることが至難になれば言論の自由などあり得ない。

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