俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

暇潰し

2007-12-25 08:54:38 | Weblog
 異論はあるだろうが、人が働くのは生活をするためだ。金が目的で労働はそのための手段だ。ところがどういう訳か労働が目的になっている人がいる。働くことが生きがいになっている人がいる。これはどういうことだろうか?多分彼には労働以外に何の楽しみも無いのだろう。
 人が一番嫌うのは何もしないことだ。何もしないことは非常に苦痛だ。何でも良いから暇潰しをしたがる。俗悪テレビ番組でもウソだらけの週刊誌でも暇潰しになるなら歓迎する。禁固刑受刑者の殆どが望んで作業をすることからも明らかなように、禁固刑より懲役刑のほうが退屈せずに済む。人は「無」よりは「無意味」を求める。
 世の中には様々な暇潰しの方法が溢れている。有償のものも無償のものもあるが、概して楽しいものほど高額になるのは仕方が無い。したいことをするためなら金銭的負担も惜しくない。一方誰もやりたがらないが必要な行為では報酬が得られる。やりたくない嫌なことを金という代償のためにやむを得ずにするということ、これが「仕事」の本質だ。特別つまらないか苦痛を伴う暇潰しだからそれをすることによって賃金を得ることができる。
 暇潰しとして最低のものを生きる目的にする人は本当に何もすることの無い絶望的な暇人なのだろう。もっと楽しいことや有意義なことを求めず、金を得るための手段にすぎない仕事でさえ目的になるとは恐ろしいことだ。
 

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