私は良心的兵役拒否に対して一定の評価をする。わざわざ「一定の」と断るのは怪しげなカルト教団の信者による兵役拒否が少なくないからだ。それ以外については勇気ある行動だと考える。
その一方で空想的戦争忌避論については不快感を覚えるだけだ。武藤議員のように「利己的個人主義」とまでは言わないが、「だって戦争に行きたくないじゃん」とか「戦争は怖い」といった主張には全く賛同できない。当事者であるという意識が欠落しているからだ。事故時に福島第一原発の従業員が「放射能が怖い」と言って業務を放棄するようなものだ。命を粗末にすべきではないが、命懸けで事故拡大阻止に励んだ吉田所長を尊敬する。
戦争をしたいと考えるのは狂人だけだろうが、国際警察が無い以上、国は自力で自国民を守らねばならない。話し合いが通用しない相手との問題を話し合いだけで解決することは不可能だ。中国が領海を侵犯したり、北朝鮮が武力を使って邦人誘拐を企んだりさせないためには充分な軍事力を備えて威嚇する必要がある。攻撃された時にキャーと叫んで目を逸らしている内に突然ウルトラマンが現れて総てを解決してくれるなどと期待すべきではあるまい。
「平和であってほしい」とは誰もが考える。しかし「平和万歳」と呪文を唱えていても平和は訪れない。無条件に戦争を忌避していれば、強い軍事力を持つ国のやりたい放題になることは、スプラトリー(南沙)諸島での中国やウクライナでのロシアを見れば明々白々だ。全面戦争には至らない、局地的な戦闘の危険性は常に存在する。国家レベルでの犯罪的行為を阻止するためにはそれなりの軍事力を備えねばならない。外交力だけでは不充分だ。
国内問題として犯罪の頻発は困る。しかし「犯罪反対」と唱えても何の効果も無い。「暴力団員追放」などの具体的行動であれば効果もあり得ようが、抽象的な「犯罪反対、犯罪無くせ」とデモで訴えても防犯効果は全く無い。自衛だけではなく民主的な警察や防犯カメラなどが必要だ。大企業であれば警察に任せ切りにはせず自らの負担で警備会社と契約している。「水と安全はタダ」ではない。安全のためには金が掛かる。安全を守るための警備員は暴力集団ではない。
空想的戦争忌避者と空想的犯罪忌避者はよく似ている。現実的な問題とは捕えずに「嫌だ、嫌だ」と駄々を捏ねるだけで具体的な対策を放棄する。小学校1年生の時、学校で平和についてこう教えられた「みんな仲良くなれば良い」。問題になるのは利害が対立して仲良くできない相手との関係だ。こんなスローガンで平和が実現できると考えるのは小学校1年生以下の知的レベルの人だけだろう。
その一方で空想的戦争忌避論については不快感を覚えるだけだ。武藤議員のように「利己的個人主義」とまでは言わないが、「だって戦争に行きたくないじゃん」とか「戦争は怖い」といった主張には全く賛同できない。当事者であるという意識が欠落しているからだ。事故時に福島第一原発の従業員が「放射能が怖い」と言って業務を放棄するようなものだ。命を粗末にすべきではないが、命懸けで事故拡大阻止に励んだ吉田所長を尊敬する。
戦争をしたいと考えるのは狂人だけだろうが、国際警察が無い以上、国は自力で自国民を守らねばならない。話し合いが通用しない相手との問題を話し合いだけで解決することは不可能だ。中国が領海を侵犯したり、北朝鮮が武力を使って邦人誘拐を企んだりさせないためには充分な軍事力を備えて威嚇する必要がある。攻撃された時にキャーと叫んで目を逸らしている内に突然ウルトラマンが現れて総てを解決してくれるなどと期待すべきではあるまい。
「平和であってほしい」とは誰もが考える。しかし「平和万歳」と呪文を唱えていても平和は訪れない。無条件に戦争を忌避していれば、強い軍事力を持つ国のやりたい放題になることは、スプラトリー(南沙)諸島での中国やウクライナでのロシアを見れば明々白々だ。全面戦争には至らない、局地的な戦闘の危険性は常に存在する。国家レベルでの犯罪的行為を阻止するためにはそれなりの軍事力を備えねばならない。外交力だけでは不充分だ。
国内問題として犯罪の頻発は困る。しかし「犯罪反対」と唱えても何の効果も無い。「暴力団員追放」などの具体的行動であれば効果もあり得ようが、抽象的な「犯罪反対、犯罪無くせ」とデモで訴えても防犯効果は全く無い。自衛だけではなく民主的な警察や防犯カメラなどが必要だ。大企業であれば警察に任せ切りにはせず自らの負担で警備会社と契約している。「水と安全はタダ」ではない。安全のためには金が掛かる。安全を守るための警備員は暴力集団ではない。
空想的戦争忌避者と空想的犯罪忌避者はよく似ている。現実的な問題とは捕えずに「嫌だ、嫌だ」と駄々を捏ねるだけで具体的な対策を放棄する。小学校1年生の時、学校で平和についてこう教えられた「みんな仲良くなれば良い」。問題になるのは利害が対立して仲良くできない相手との関係だ。こんなスローガンで平和が実現できると考えるのは小学校1年生以下の知的レベルの人だけだろう。
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