俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

保守

2015-11-11 09:46:52 | Weblog
 敗戦で価値観が転覆した日本には2種類の保守主義者がいる。戦後民主主義を信奉する人と戦前までの日本文化を懐古する人だ。
 保守的な人の価値基準は単純だ。現在自分が持っている価値観を極端に信頼する。だから自分とは違った意見を間違った意見と考える。保守的な人は頑固だが、戦後民主主義の信奉者と比べれば、懐古的な人のほうが少しだけ融通が利く。それは戦後の価値観によって否定された経験があるからだ。この経験があるから自らの価値観を絶対とは考えない。ベストではなくベターと位置付ける。どうしようもないのはゴチゴチの戦後民主主義者だ。
 保守的な人は議論が下手だ。議論の前に既に結論があるから議論をしても少しも深まらない。そもそも彼らは議論とディベートの区別さえできない。ディベートとは相手を説き伏せることだ。お互いに知恵を出し合って考えを高める議論とは全く別の代物だ。
 ややこしいことに戦後民主主義の鬼っ子が革新を標榜している。確かに敗戦直後であれば「封建的な」戦前の価値観に対して革新的ではあったが、今では学校で習った低レベルな価値観を盲信している幼稚な人々だ。学校で「民主主義が正しい」と教わったから何でも多数決で決めようとする。
 議論が成立しなければ民主主義も成立しない。民主主義とは異なった意見の存在をお互いに認め合った上で妥協をすることによって成立する。ところが相手の意見を初めから否定していれば議論にならない。だからこそすぐに多数決に頼ろうとするが、多数決ほど少数者の意見を封殺する非民主的な手法は無かろう。
 真に革新的な人は自分の意見に対しても革新的だ。だから違った意見を喜んで聞き、今の自分を維持することよりも今よりも優れた自分に成長することを望む。不思議なことだが、世界の5大聖人【釈迦、孔子、ソクラテス、イエス、マホテット(ムハンマド)】は誰一人として著述せず、弟子達による伝聞書のみが継承されている。これらの真に革新的な人々は今の自分以上に優れた自分を常に想定していたからこそ、今の自分の考えを固定化すべきではないと考えたのではないだろうか。映画の巨匠・黒澤明監督は、代表作を尋ねられると必ず「次に撮る作品です」と答えたそうだ。現状に満足しない高い向上心こそ偉人の証しだろう。

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