俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

定年後

2012-01-06 14:46:45 | Weblog
 定年を過ぎても働きたい人全員を65歳まで雇用することを厚生労働省が企業に義務付けようとしている。これは労使双方にとって不幸なことになりそうだ。
 企業側としては老人を押し付けられたという被害者意識を持つだろう。その場合、老人が継続雇用を希望しないように仕向けることが一番手っ取り早い。方法は幾らでもある。最低賃金にする、3kの職場に配属する、最も相性の悪い人の部下にする、等々。
 また老人の雇用が増えれば若年層の雇用は減らされざるを得ない。そのために希望退職を募る企業もあるだろう。あるいは壮年の賃金水準を抑えるという手もある。そうなれば生涯賃金は同一のままで勤続年数だけが増えるということにもなりかねない。成長を続けている企業以外では人件費の枠は限られているのだから無理な制度は必ず歪みを生む。
 老人の個人差は非常に大きい。軽度の認知症に罹っている人もいるだろう。そんな人まで雇用できるだろうか。日本の役人はルールを定めて一律に従わせようとする。個々人は知力も体力も意欲も異なるのだから一律のルールは不合理を招く。アメリカには定年が無い。労使の利害が一致すれば何歳になっても働くことができる。厚労省の発想は老人を完全に邪魔者扱いしているが、アメリカのように貴重な労働力とは考えられないものだろうか。

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