後になってから、なぜ多くの人が騙されていたのかと不思議に思うことがある。
朝日新聞による「従軍慰安婦の強制連行」はその一例だ。戦争当時、売春は合法だった。そして当時の軍隊は国の最も重要な組織だった。そんな所に素人を送り付けることなどあり得るだろうか。プロ中のプロ、テクニシャン中のテクニシャンを厳選するだろう。だから素人を掻き集めて従軍させることなどあり得ない。こんな簡単なことに気付かなかったのは売春と軍隊に対する蔑視があったからだ。特に売春に対しては二重の蔑視がある。賤しい仕事と考え、かつ専門技能を要しない誰にでもできる簡単な仕事と考える蔑視だ。そんな偏見に満ちた人が記事を書き、偏見を持つ人がその記事を疑わずに鵜呑みにした。
かつて土地神話があった。狭い国土に1億人を超える日本人が住んでいるのだから、地価は絶対に下がらないと信じられていた。銀行にとって土地が最高の担保だった。当時は「土地本位制」と言えるような状況だった。しかし日本の土地の総額がアメリカ全土の2倍を超えるようになれば流石におかしいと感じて当然だろう。あるいは日本の人口が減少に向かうことはその時点でも分かっており、土地余りの時代が来ることは充分に予測できた。これはバブルだ、と気付き始めると共同幻想が崩れて地価は暴落した。
「話せばわかる」は正しくない。話しても分からない場合のほうが多く、話しても分からない人は余りにも多い。しかし「考えれば分かる」ことは多い。この対偶は「分からないのは考えないから」だ。つまり自ら思考せずに世間で言われていることを無批判で受け入れている人が多いから明らかに不合理なことが常識になってしまう。多くの人がそう信じているから正しいと思うのは大間違いだ。考えない人は大勢おりむしろそんな人が多数派を占めている。
しかし少数者の意見は排除され多数者の意見が尊重され勝ちだ。これは不当なことだとは思うが、多くの人が間違える可能性よりも少数の人が間違っている可能性のほうが高いと考えれば、多数者の意向が優先されることはある程度やむを得ないことだろう。これは優劣ではなく、あくまで可能性に基づく採択と言える。
但し、考えずにマスコミなどから得た情報をオウム返ししているだけの人を主権者として扱うことが合理的かと問えばはなはだ疑問と言わざるを得ない。間接民主制が「考える人」を選ぶことが目的であるなら、直接民主制よりも却って合理的なのかも知れない。
朝日新聞による「従軍慰安婦の強制連行」はその一例だ。戦争当時、売春は合法だった。そして当時の軍隊は国の最も重要な組織だった。そんな所に素人を送り付けることなどあり得るだろうか。プロ中のプロ、テクニシャン中のテクニシャンを厳選するだろう。だから素人を掻き集めて従軍させることなどあり得ない。こんな簡単なことに気付かなかったのは売春と軍隊に対する蔑視があったからだ。特に売春に対しては二重の蔑視がある。賤しい仕事と考え、かつ専門技能を要しない誰にでもできる簡単な仕事と考える蔑視だ。そんな偏見に満ちた人が記事を書き、偏見を持つ人がその記事を疑わずに鵜呑みにした。
かつて土地神話があった。狭い国土に1億人を超える日本人が住んでいるのだから、地価は絶対に下がらないと信じられていた。銀行にとって土地が最高の担保だった。当時は「土地本位制」と言えるような状況だった。しかし日本の土地の総額がアメリカ全土の2倍を超えるようになれば流石におかしいと感じて当然だろう。あるいは日本の人口が減少に向かうことはその時点でも分かっており、土地余りの時代が来ることは充分に予測できた。これはバブルだ、と気付き始めると共同幻想が崩れて地価は暴落した。
「話せばわかる」は正しくない。話しても分からない場合のほうが多く、話しても分からない人は余りにも多い。しかし「考えれば分かる」ことは多い。この対偶は「分からないのは考えないから」だ。つまり自ら思考せずに世間で言われていることを無批判で受け入れている人が多いから明らかに不合理なことが常識になってしまう。多くの人がそう信じているから正しいと思うのは大間違いだ。考えない人は大勢おりむしろそんな人が多数派を占めている。
しかし少数者の意見は排除され多数者の意見が尊重され勝ちだ。これは不当なことだとは思うが、多くの人が間違える可能性よりも少数の人が間違っている可能性のほうが高いと考えれば、多数者の意向が優先されることはある程度やむを得ないことだろう。これは優劣ではなく、あくまで可能性に基づく採択と言える。
但し、考えずにマスコミなどから得た情報をオウム返ししているだけの人を主権者として扱うことが合理的かと問えばはなはだ疑問と言わざるを得ない。間接民主制が「考える人」を選ぶことが目的であるなら、直接民主制よりも却って合理的なのかも知れない。