俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

素人

2014-12-20 10:38:25 | Weblog
 素人が医療を批判することは憚られている。医療とは高度な専門知識に基づいており素人には理解できないものとされている。しかし高度な専門家を素人が批判してはいけないものだろうか。例えばプロスポーツ選手、彼らこそ並外れた才能と血の滲むような努力を重ねた超人だ。素人は彼らに敵わないことを知っている。しかし遠慮することなく批判する。但しそれは技術についてではなく戦術についてだ。野球であれサッカーであれポジショニングなどについてであれば素人でも正当な批判ができる。これは運動能力とは別レベルでの話だからだ。
 素人が心臓手術をすることは不可能だ。だからと言って外科医に文句を言えない訳ではなかろう。これはパソコンを作れない人でも機能について注文を付けても構わないのと同じことではないだろうか。
 政治家もプロフェッショナルだ。優秀なブレインを抱えているだろうし、様々な問題について熟知している。それでも我々は平気で文句を言う。
 医師は確かに豊富な医療知識を持っている。しかしその知識が間違っていればどうなるだろうか。医師の多くは学校秀才上がりだ。学校秀才には困った特徴があり、教わったことを余り疑おうとしない。知識と現実に矛盾があれば、間違っているのは知識ではなく現実のほうだと考え勝ちだ。養老孟司氏の解剖学の授業で「この死体、間違っています」と言った東大生がいたそうだ。こんな石頭には医療の改善は期待できない。
 日本の医療制度にも問題がある。医師免許さえあれば歯科以外の何科でも標榜することができる。通常は得意のジャンルを選ぶが、儲かりそうだという理由で選ぶこともあり得る。それまで普通の内科医だった人が心療内科医を併せて名乗っても構わない。元々精神医療になど関心(interest)が無く、利益(同じくinterest)だけを目的にしたこんな医師がいい加減な診断をしては安易に抗精神病薬を乱発して精神病患者を作ってしまう。素人以下だ。確かに専門医という制度があるが、これはそれぞれの学会が勝手に認定する。だから学会に会費さえ納めていれば専門医として認定される金で買える肩書きに過ぎない。
 医学界は中国共産党のようなものだ。「由らしむべし、知らしむべからず」が基本スタンスであり、権力を独り占めして批判を許さない。その癖、自浄能力を欠く。この2者はどちらも自滅する宿命を背負っている。医学界は今尚「白い巨塔」のままだ。もっと開かれた社会であるべきだろう。

平和条約(2)

2014-12-20 09:53:08 | Weblog
 サンフランシスコ平和条約は日本国憲法以上に重要だ。憲法は国内法に過ぎないが平和条約は48か国を相手にした国際条約であり、これを蹂躙すれば再び連合国軍と戦わねばならなくなる。困ったことにはこの第11条で極東国際軍事裁判の判決を受諾することが定められている。そのために政府としては極東国際軍事裁判(以下「東京裁判」という)を真っ向から否定できない。これを否定すれば平和条約を否定することになる。
 政府には許されなくても民間人なら自由に批判できる。これは学問の自由・報道の自由であり平和条約もこれを禁じることはできない。日本の学者やマスコミが東京裁判について充分な批判をしなかったことは大変な怠慢だ。言論の自由を自ら放棄している。日本が東京裁判の軛から逃れられないから国際関係が歪められている。
 私は無神論者だから靖国神社参拝には何の興味も無い。しかし戦犯については大いに関心がある。B級・C級はともかくA級戦犯は冤罪だからだ。事後立法である「平和に対する罪」がもし成立するなら戦犯はアメリカのルーズベルト大統領であり、「人道に対する罪」があり得るなら、原爆を投下して非戦闘員を大量虐殺した米軍こそ該当する。あるいは最も明確な捕虜虐待はソ連によるシベリア抑留だろう。
 真実は1つなどと脳天気なことを言う気は無い。物事には無数の解釈があり得る。だからこそ東京裁判のようなデッチ上げ裁判によって歪曲された歴史を蔓延らせてはならない。被告を有罪にするために、本来証拠にはできない筈の「伝聞」まで大量に利用し、被告による反論を殆んど許さず、都合の悪い証拠を悉く却下した法廷を裁判と呼べるものだろうか。ただのリンチだ。
 東京裁判はGHQによる言論統制の元で行われた。従って当時の報道は総てGHQの意向に沿うものだった。つまり当時の日本人はGHQによるアメリカは正義で日本は悪であるという反日プロパガンダを日帝の真実として連日刷り込まれた。本来であれば平和条約締結によって日本が独立した時点で、マスコミは占領下での虚報を訂正すべきだった。しかし彼らはそれを怠り逆に辻褄合わせに終始してしまった。彼らは日和見主義者であり国賊の名にも値する。彼らが歴史を決定的に歪めた。この歪められた歴史を見直す必要がある。
 平和条約に基づき、日本国政府は東京裁判を否定できない。文部科学省も同じだ。従って事実を解明できるのは民間人だけだ。国による東京裁判を肯定する歴史と民間による東京裁判を否定する歴史との2つに分かれることになる。これはやむを得ないことだ。歴史とは勝利者が捏造するものだ。しかし我々庶民が偽りの歴史を否定することを誰も禁じることはできない。政府が東京裁判を否定できない事情を理解した上で、政府に逆らって正しい歴史を知ることが必要だ。政治的事情から政府が受諾させられている偽りの歴史は嘘によって塗り固められている。