「かくあり」に対して「かくありたい」がある。「かくあれ」や「かくあるべし」という考え方もある。私は「かくあり」を重視する。
100mを11秒で走る人が「10秒で走りたい」と考えたとする。他の2つは「10秒で走れ」と「10秒で走るべし」となる。「かくあれ」や「かくあるべし」は現実を踏まえた考え方ではない。「かくありたい」という願望を持つのは個人の勝手だが「かくあれ」や「かくあるべし」は理想というよりも妄想に近い。
100mを10秒で走れない人にはどんな選択肢があるだろうか。なぜ10秒で走りたいのかが問われるべきだろう。オリンピックに出たいのなら他の種目に転向することもできる。人より早く走りたいだけなら野球やサッカーの選手になれば俊足選手として通用する。モテたいだけなら全く別の選択肢もあるだろう。無理なことは早めに諦めることが大切だ。「夢は必ず叶う」という言葉は大嘘であり人を不幸へと導く。
倫理の世界では「かくあれ」や「かくあるべし」が横行する。現実離れした「かくあれ」や「かくあるべし」は無意味だ。非現実的な理想は妄想に過ぎない。理想は現実的でなければならない。
「かくありたい」と思うことは健全な欲求だ。これを否定する気は全く無い。しかしなぜ「かくありたい」と思うのか、その素性を問うことが必要だ。その素性は必ずしも健全なものとは限らない。
100mを11秒で走る人が「10秒で走りたい」と考えたとする。他の2つは「10秒で走れ」と「10秒で走るべし」となる。「かくあれ」や「かくあるべし」は現実を踏まえた考え方ではない。「かくありたい」という願望を持つのは個人の勝手だが「かくあれ」や「かくあるべし」は理想というよりも妄想に近い。
100mを10秒で走れない人にはどんな選択肢があるだろうか。なぜ10秒で走りたいのかが問われるべきだろう。オリンピックに出たいのなら他の種目に転向することもできる。人より早く走りたいだけなら野球やサッカーの選手になれば俊足選手として通用する。モテたいだけなら全く別の選択肢もあるだろう。無理なことは早めに諦めることが大切だ。「夢は必ず叶う」という言葉は大嘘であり人を不幸へと導く。
倫理の世界では「かくあれ」や「かくあるべし」が横行する。現実離れした「かくあれ」や「かくあるべし」は無意味だ。非現実的な理想は妄想に過ぎない。理想は現実的でなければならない。
「かくありたい」と思うことは健全な欲求だ。これを否定する気は全く無い。しかしなぜ「かくありたい」と思うのか、その素性を問うことが必要だ。その素性は必ずしも健全なものとは限らない。