俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

かくあり

2011-10-21 15:33:46 | Weblog
 「かくあり」に対して「かくありたい」がある。「かくあれ」や「かくあるべし」という考え方もある。私は「かくあり」を重視する。
 100mを11秒で走る人が「10秒で走りたい」と考えたとする。他の2つは「10秒で走れ」と「10秒で走るべし」となる。「かくあれ」や「かくあるべし」は現実を踏まえた考え方ではない。「かくありたい」という願望を持つのは個人の勝手だが「かくあれ」や「かくあるべし」は理想というよりも妄想に近い。
 100mを10秒で走れない人にはどんな選択肢があるだろうか。なぜ10秒で走りたいのかが問われるべきだろう。オリンピックに出たいのなら他の種目に転向することもできる。人より早く走りたいだけなら野球やサッカーの選手になれば俊足選手として通用する。モテたいだけなら全く別の選択肢もあるだろう。無理なことは早めに諦めることが大切だ。「夢は必ず叶う」という言葉は大嘘であり人を不幸へと導く。
 倫理の世界では「かくあれ」や「かくあるべし」が横行する。現実離れした「かくあれ」や「かくあるべし」は無意味だ。非現実的な理想は妄想に過ぎない。理想は現実的でなければならない。
 「かくありたい」と思うことは健全な欲求だ。これを否定する気は全く無い。しかしなぜ「かくありたい」と思うのか、その素性を問うことが必要だ。その素性は必ずしも健全なものとは限らない。

美味しい肉

2011-10-21 15:21:36 | Weblog
 小学生の頃、少年誌で人食い人種に対するインタビューの記事を読んだ。「女の肉は脂が多くて旨くない。男の肉は筋が多くて食べにくい。子供の肉と怠け者の男の肉が旨い。」とのことだった。本当にインタビューをしたのかどうか眉唾物の記事だが妙に印象に残ったので今でも覚えている。
 牛肉も同じような状況だ。メス牛は搾乳や出産などの利用価値が高いので食用とされるのは主にオス牛だ。種牛とされる一部のオス牛以外は去勢されて雌ホルモンまで与えられる。狭い牛舎に閉じ込められて満足に動くことさえできない状態で飼育される。不健康な飼育環境なので病気にならないように大量の抗生物質が投与される。薬漬けのメタボ状態のオス牛が食用になっている。
 こんな不自然な牛肉が流通している。多分、子牛の肉が一番旨いのだろうが、ある程度育てたほうが肉の量が多くなって経済的価値が高まる。「豚は太らせてから食え」と言うように牛は育ててから食べたほうが合理的だ。
 しかしこんな肉で満足すべきだろうか。箸で切れるような軟らかい肉はいかにも不自然だ。

オゾンホール

2011-10-21 15:06:17 | Weblog
 今春、北極圏でもオゾンホールが見つかった。オゾンホールができると紫外線量が増える。
 紫外線は主に2つの病気をもたらす。皮膚癌と白内障だ。但し日本人は西洋人ほど怖がる必要は無かろう。感染症や放射能ならどの民族でも同じぐらい危険だろうが、紫外線の危険性は人種によって大きく異なる。白人は太陽光の少ない環境に適応した亜種だからだ。
 アフリカで誕生した人類はヨーロッパ、アジア、アメリカへと拡散した。その内のヨーロッパへ移り住んだ人類はその地の環境に適応した。白い肌と青い目だ。
 紫外線は有害性だけではなく有益性もある。足りない紫外線を少しでも多く吸収すべくメラニン色素を減らして白人になった。
 北部ヨーロッパは昼でも薄暗い。暗い場所でもよく見えるようにするために目の遮光度を減らしたから青い目になった。
 これらの変化は弱い光に対する適応なので強い光に対しては不適応となる。
 人種差別をすべきではないが人種による違いは理解して尊重すべきだ。実際にそういう人種的特徴を持っているからだ。その意味でオーストラリアは白人が住むために適した場所ではない。オゾンホールの影響で南半球は紫外線が強い。オーストラリアの白人に皮膚癌や白内障が多いのは人種的特性を考えれば当然のことだ。民族特性に適った土地に住むほうが安全だ。