俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

6つ子

2011-08-19 17:24:52 | Weblog
 昔「おそ松くん」という漫画があった。「天才バカボン」の赤塚不二夫氏によるギャグ漫画で、姿形が寸分違わぬ6つ子が主人公だった。
 最近、6つ子や8つ子のモデルが登場するテレビCMが幾つか現れた。勿論、本当の6つ子ではなくコンピュータグラフィックを使った合成画像だ。同じ顔の女性が様々な衣装で同時に登場するのでインパクトがある。
 制作費も削減できる。6人のモデルを使えばモデル代が6人分になるだけではなく、スタイリスト費も交通費も6倍必要になる。一人6役なら多少割増にはなるだろうが、2倍以上になることはなかろう。低コストでインパクトのあるCMが作れるのだから今後増えることが予想される。
 今のところ新鮮さがあるがいずれ飽きられるだろう。人は違うからこそ楽しい。AKB48も一人ずつが違うから魅力があるのであって一人AKB48ならどんな絶世の美女であろうともつまらない。
 ビートルズは「ペーパーバックライター」でポールによる一人多重録音を試みた。同じ声でハーモニーを作れば不純物の無い完璧なハーモニーが可能になると考えたのだろう。しかし必ずしも成功したとは思えない。一人多重録音よりもジョン、ポール、ジョージによる異なった個性のハーモニーのほうが快い。白黒の濃淡だけの絵も美しいが沢山の色を生かせればもっと美しくなる。
 ひとはそれぞれが違うからこそ面白い。金太郎飴ではつまらない。

赤の女王

2011-08-19 17:09:36 | Weblog
 「鏡の国のアリス」に「同じ場所に留まるためには全力で走り続けねばならない」という言葉がある。まるでルームランナーのような話だ。
 私はこの言葉を長い間ルイス・キャロル一流のジョークまたはナンセンスと思っていた。最近になってようやくこの言葉を真面目に捕えられるようになった。老化が始まると体力・知力を維持するためには目一杯努力する必要があるからだ。
 若いうちは現状を維持することは容易いことと思えた。週に1・2度鍛えれば現状を維持できるし、全力で鍛えれば現状よりも向上できる。
 しかしこれは二流人の世界観だ。一流人は全力で鍛え続けないと現状には留まれない。アスリートは努力を怠れば忽ち力を失う。美女は生活の総てを犠牲にする覚悟をしなければ今の美を維持できない。
 恥ずかしい話だが私は二流の世界に甘んじていたから維持することの難しさに気付いていなかった。
 老化という現実に直面すると現状を維持することがどれほど大変なことなのかよく分かる。まるで下りエスカレーターを昇っているようなもので昇ることを怠れば忽ち下降してしまう。
 生物学では「鏡の国のアリス」のこの言葉を「赤の女王仮説」と呼んでいる。自然界はそれほど厳しいということだろう。それと比べて人間界は何と安楽な世界だろうか。全力で努力しなくても現状に留まれる微温湯社会は人間を堕落させる。

ニセ医師

2011-08-19 16:53:20 | Weblog
 石巻市の被災地でニセ医師が見つかった。このニセ医師を「ボランティアの専属医」として10日付けの「ひと」欄で紹介した朝日新聞は赤っ恥をかいた。詐欺師グループを慈善団体として紹介したようなものだ。マスコミ史に残る恥晒しだろう。
 「複数回にわたって面談と電話で本人を取材」してなぜニセ医師と見破れなかったのだろうか。これが日本の新聞の体質だからだろう。新聞は事実を報道するための努力を怠っている。官公庁の発表を記者クラブで受けてそれを垂れ流すのが今の本業だ。たとえ官公庁がデタラメの発表をしてもそのまま垂れ流す。少しは突っ込んで貰いたいものだ。仮に嘘であろうとも「こう言った」ということは事実であるから誤報にはならない。そんな責任回避体質が染み付いているから政府の御用報道ばかりを繰り返しているのだろうし、ニセ医師の言い分を鵜呑みにして記事にしてしまったのだろう。批判精神は欠片も無い。
 医師という特殊性も一因だ。プロの医師は殆んどいない。「風邪気味です」と言われたら風邪薬を処方し、「気分が晴れない」と言われたら抗鬱剤を処方する。検査で血圧が高ければ降圧剤を、血糖値が高ければ血糖低下剤を処方する。まるで自動販売機だ。これが医療行為と言えるのなら素人の私でも勤まるし、多分このヤブ医者よりもマシな対応さえ可能だろう。
 医師は資格という特権に胡坐をかいて医療を聖域化している。研鑽を怠るヤブ医者がウヨウヨいるからこそニセ医師を識別できないような状態になっているのだろうか。