俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

今年の真田山プール

2011-08-12 14:40:09 | Weblog
 私の行きつけの真田山プールの担当者は今年から代わったようだ。
 何年も前に撤去されたシャワー室のドアの代わりにカーテンが付けられて随分使い勝手が良くなった。
 昨年突然廃止されたラジオ体操も一時復活した。しかし僅か一週間ほどで廃止されて今ではハワイアンが流されている。事情は分からない。
 開場時刻についても融通を利かしている。去年までは9時まではシャッターを開けなかったが5~10分前に開けるようになった。暑い屋外で待たされることと比べればずっと快適になった。
 戴けないこともある。開場してから掃除をしていることだ。こんな変なやり方は他所では見られない。準備を終えてから開場するのが当たり前なのだが、開場してからトイレ等を掃除している。コスト削減のために清掃時間を開場から閉場までと定めたのだろうか。
 BGMも戴けない。一日中ZARDの曲が流されている。決してZARDが嫌いな訳ではない。むしろ好きなアーチストなのだが、肺癌で苦しんで自殺した(と私は考えている)坂井泉水さんの無念さを思うと暗い気持ちになってしまう。

共通の敵

2011-08-12 14:21:39 | Weblog
 7日の守口市長選は奇妙な選挙だった。立候補者は2人。一人は橋下知事の率いる大阪維新の会推薦、もう一人は民・自・公・共・社民推薦だ。結果は維新の会推薦候補の圧勝だった。
 不思議なのはなぜこんな相乗りが可能なのかということだ。昔、自・社・公・民推薦の候補者はいたが日本共産党まで相乗りするとは前代未聞のことだ。大政翼賛会よりも凄いオール与党体制だ。
 結局、既成政党とは1つ穴のムジナだということだろう。既成政党は政治団体ではなく既得権益に巣くう利益集団に過ぎない。このことは94年の自・社・さきがけ連立政権によって証明されたことだ。権益に群がる輩は権益を害する共通の敵に対しては共闘する。
 昔こんなテレビドラマがあった。「アウター・リミッツ」という1話完結式のSFで、世界平和を願う団体が宇宙人による侵略をでっち上げるという話だ。宇宙人という共通の敵があれば地球人として大同団結できると考えて偽宇宙人による地球侵略のメッセージを捏造した。
 偽宇宙人を演じたのは当時「0011 ナポレオン・ソロ」に出演していたデヴィッド・マッカラムだった。主人公の相棒のイリヤ・クリアキンの役でどういう訳か主人公よりも人気があった。
 ドラマのオチは覚えていないが偽宇宙人の筈のデヴィッド・マッカラムがどんどん怪物に変わって行く姿が印象に残っている。
 既成政党にとっては、議員定数や報酬を削ろうとするような既得権益に背く者は宇宙からのインベーダーのようなもので、それと戦うためならイデオロギーも放棄して付和雷同できるということだろう。

均一でない集団

2011-08-12 14:05:19 | Weblog
 夏のプールには様々な人が集まる。泳ぐ人、歩く人、遊ぶ人、涼む人の4種類だと思う。前の2者はプールをスポーツ施設と位置付け、後の2者は娯楽施設と位置付けている。
 前の2者はプールを縦に使う。50mのコースに沿って動く。後の2者は横切ったり、ランダムに動いたり、留まったりする。前者と後者は始めから目的が違うので利害は一致しない。午前中は前者が多いが、午後には後者が多く押し寄せてすっかり遊技場になる。後者が多数者であるからだけではなく、悪貨は良貨を、無秩序は秩序を駆逐するからだ。このことはほんの数人が騒ぐだけで授業が崩壊するのと同じことだ。
 先日来、イギリスで暴動が続いている。黒人の青年が警察官に射殺された事件がきっかけとなり、ロンドンから各地に飛び火して、略奪や放火を伴う暴徒と化している。
 しかし映像を見ればすぐに気付くことがある。デモ隊が略奪をしている訳ではない。略奪する人は最初から覆面を被って一目散にショーウィンドーに向かっている。デモ隊が暴徒化したのではなくデモのドサクサに乗じて略奪者が紛れ込んでいるのだ。群集は組織ではない。政治活動の人々と略奪・放火犯とは全く別の集団だ。こんな均一でない集団を一括りにして扱うべきではない。デモ隊ではなく覆面をした犯罪目的集団だけを徹底的に取り締まるべきだろう。