俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

抑圧

2008-10-07 15:17:48 | Weblog
 ダムが水を堰き止めることによって生態系に悪影響を与えるように、感情を堰き止めることは精神に悪影響を与える。感情(気持ち)を堰き止めることは「抑圧」と呼ばれる。
 個人は単純で一貫した統一体ではない。時には相矛盾する様々な欲望や感情がそれぞれ主導権を握ろうとして戦う戦場のようなものだ。
 人間は天使でも悪魔でもないから、崇高な思いも下劣な思いも混在する。危険なのは不道徳な思いを抑圧してしまうことだ。獣のような欲望であろうとも抑圧し過ぎればその反動で獣に堕する恐れがある。
 殆どの男は綺麗な女性を見ればその体に触りたいと思う。この欲望は自然なものだ。自然なものだからその存在は肯定されるべきだ。
 私は決して痴漢を肯定するつもりではない。「したい」という欲求の存在を肯定することは「して良い」ということではない。痴漢は女性に不快と恐怖を与える卑劣な犯罪だ。しかし「触りたい」という欲望が存在することを否定してはならない。
 欲望を無制限に解放するのではなく、潜在的な欲望が妄想を通じて肥大化する前に認知することが必要だ。正常な欲望を抑圧してしまうと二重人格のような歪んだ形で顕在化したり鬱病や心身症を招く。むしろ無意識の領域に潜在する不道徳な欲望を意識化することによって理性的な対応をすることが健全な精神に繋がるだろう。

ダムの無駄

2008-10-07 15:02:24 | Weblog
 ダムは治水と同時に発電という役割を持っており、うまく機能するなら素晴らしい建造物だ。しかし川を堰きとめるから生態系を破壊するし、流れて来る土砂を溜めてしまうのでかなりの頻度で浚渫工事が必要になる。そのため最近では無駄な土木工事の代表例と見なされ勝ちだ。
 しかし川の水流をクリーンエネルギーとして活用するということは、近頃の石油高騰の折、再評価されても良かろう。水を堰き止めるから無駄が生じるのであって、自然のままの水流でタービンを回せば土砂は溜まらないし、生態系に与える影響も小さい。
 水力発電と言えばダムのことだと思うのは余りにも短絡的だ。自然を支配しようとするのではなく、自然と協調するというスタンスで臨めば、川の水力を使ったクリーンなエネルギーが可能なのではないだろうか。

副作用

2008-10-07 14:52:37 | Weblog
 少し古い話だが薬害エイズ事件の裁判ではミドリ十字と厚生省の責任が問われた。危険な薬を売ったメーカーとそれを承認した厚生省が悪いとされたが、非加熱製剤を処方した医師の一部も加害者ではないだろうか。
 ある医師が裁判で、非加熱製剤の使用が欧米では禁止されていることを承知しながら投与し続けていたことを認めた。危険であることを知りながら投与し続けることは加害行為ではないのだろうか。
 薬は毒物だ(2月20日付け「薬のリスク」参照)。毒を継続して投与し続ければその副作用が危険を招くことは素人にも分かる。
 薬害エイズ事件は極端な例だが、薬が食品添加物と同様にメリットとデメリットを持つことを医師は充分に認識している筈だ。厚生労働省が認可しているということだけで医師と薬剤師(≠ヤクザ医師)に免罪符が与えられているとは到底考えられない。むしろ薬の危険性を積極的に告知して素人が薬漬けになることを防ぐことが専門知識を持つ医療関係者の義務だろう。
 患者を薬漬けにして儲けるという行為は麻薬密売業者と同じくらい犯罪的ではないだろうか。