俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

繊細な人

2008-04-22 16:18:28 | Weblog
 最近、鬱病で仕事を休む人が増えているそうだ。民間企業だけではなく公務員にも多いらしい。
 精神の病を患う人はそれだけ繊細なのだろうか。そんなことはない。ただ単に「弱い」だけのことが多い。箸より重い物を持たない人が金槌を持てないようなものだ。
 傷つき易いという特徴が同じでも、弱さと繊細さは区別されねばならない。弱い人はそれまで過保護に育ってきたために耐えることを知らない。丁度、注射を怖がって泣き叫ぶ子供のようなものだ。
 「弱い人」の特徴は自分に対する過敏さと他人に対する鈍感さといったアンバランス性に現れる。彼らは自分に対する攻撃には過剰に反応するが他人の状況には驚くほど鈍感だ。自分に対して敏感なだけで他人に対しては鈍感な人は「繊細な人」とは言えない。単に「わがままな人」と呼んでも差し支えなかろう。
 一方、繊細でありながら平常心を保ち続ける人がいる。ずっと繊細であり続けた結果、精神的にタフになったのだろう。こんな人は自分の傷みにも他人の傷みにも敏感なので、その結果として気配りができる「優しい人」になる。近頃の若者に流行りの「他人に無関心な優しさ」とは全く異なった優しさだ。

間違った法律

2008-04-22 16:03:33 | Weblog
 山口県光市の母子殺害事件の被告の元少年に死刑判決が下された。私個人としては被告と弁護団に対して強い不信感を持っているが、そんな個人的感情はさておき、この判決は未成年者の犯罪の罰を軽減するという少年法に背いている。もし少年法のこの規定が間違っているなら法律を改めるべきであって済し崩し的に既成事実を積み重ねるべきものではない筈だ。
 間違った法律がある場合にそれを捻じ曲げて解釈して市民感情に合う判決を下すことは法の番人たる裁判所の採るべき態度ではない。間違った法律に基づいて市民の感情を逆撫でする判決を下すべきだ。そうすれば法律そのものが見直される。一時凌ぎをすることによって間違った法律が放置されることのほうがずっと危険だ。
 「悪法も法なり」と言い残して毒杯を仰ったソクラテスを私は尊敬する。正しいと思えない法律であろうとそれが法律として定められている限り国民はそれに従わざるを得ない。それが法治国家というものだろう。もし法律が、裁判官が恣意的に解釈して良いものなら困るのは善良な国民だろう。合法的な行為がある日突然非合法とされ犯罪者にでっち上げられてしまったら堪らない。安全な日常生活が脅かされてしまう。法律を捻じ曲げて解釈することを容認すればこんな危険な事態を招きかねない。

得する快適省エネ生活

2008-04-22 15:47:18 | Weblog
 省エネと言えば不便な生活を我慢するというイメージがある。そんな生活は耐える苦しみが募って長続きしない。もっと快適で合理的でしかも経済的な省エネを目指すべきだ。
 ハイブリッドカーは燃費効率が良い。液晶テレビはブラウン管テレビより消費電力が少ない。蛍光灯は白熱電球より低コストだ。こんな観点から見直せば省エネと快適生活は両立できる。
 最新のエアコンは以前のものと比べて冷暖房力が強い。以前なら1時間留守にする場合ならエアコンを点けっ放しにしていただろう。留守の間に室温が外気温に近づいてしまい、エアコンが効いて快適室温になるまでに時間が掛かっていたからだ。最新のエアコンならすぐに快適室温になるので使わない時は切れば良い。無駄に点けておく必要が無い分エネルギーを節約できる。
 良いことをするために禁欲的になる必要は全く無い。知恵を使えば省エネと快適生活は両立できる。変な禁欲主義は捨てて合理性を追求すれば良い。
 どういう訳か日本人は禁欲的でなければ良いことはできないと考え勝ちだ。辛い勉強をして、一所懸命働いて、裏切りに耐えてこそ立派な人間になれるとされている。こんなのは嘘っぱちだ。楽しく学んで、労働と私生活のバランスを保って、良い仲間と楽しく過ごしていても良いことはできる。プロスポーツの選手でなければ体を鍛えるために食事制限をして猛練習に耐えるよりは、美味しいものを食べてスポーツを楽しんだほうが健康に良い。
 苦しんで、良いことをするというカント的なリゴリズムから脱却して楽しく快適に良いことをすべきだ。楽しみが良いことに繋がるなら楽しみそのものも一層楽しくなるだろう。