こんにちは「中川ひろじ」です。

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20230320 第731回月曜声「問われているのは加害の歴史認識だ」

2023-03-19 09:01:39 | 政策・訴え・声

■2月県議会で沖縄戦と松代大本営の歴史認識を問う

 沖縄県と長野県は玉城デニー知事を長野に迎えて大々的に連携協定を3月15日に結んだ。翌16日玉城知事は松代大本営を視察したが、長野県庁は対応しなかった。なぜか。信毎の記事によれば、「松代豪の発掘に動員した朝鮮人労働者を巡る加害性への認識や政治思想の違いを背景とした対立を嫌い、松代豪を話題にするのも避ける人がいる」(竹腰萌子)ことが背景にあるらしい。

 今年の2月定例県議会一般質問で、私は以下のように阿部知事に問うた。

【中川】知事は長野県と沖縄県との間で連携協定を結ぶとしていますが、その目的は何でしょうか。太平洋戦争末期、沖縄においては地上戦が戦われ沖縄県民の4人に1人が亡くなっています。沖縄での地上戦は松代大本営建設の時間稼ぎであったのではないかと言われています。一昨年、那覇にある第32軍司令部の保存活動をしている皆さんが、松代大本営に見学に来て、交流をしています。その際、信濃毎日新聞と琉球新報が行ったアンケートによると、両県民の約8割が二つの壕を「保存・活用した方がよい」と答えています。一方、司令部のあった32軍壕について長野県民の46%が「全く知らない」と回答し、松代壕について沖縄県民の62%が「全く知らない」と答えています。連携協定で重要なことは、互いの歴史と文化の交流を基礎に置くことが必要と思いますが知事の考えをお聞きします。

【知事】この協定締結の目的でありますけれども、双方がしっかり交流・連携していく上での目的、あるいは、内容、こうしたものを明確化いたしますとともに、将来にわたって交流・連携の取組が継続的に行われるようにするものでありまして、この連携協定を契機に共に発展していく道筋をしっかりつけていきたいと思っております。

協定には、将来の定期便運航を目指した観光誘客をはじめ、産業振興に資する取組、地球環境の保全に関する取組のほか、ご質問にありましたような、互いの歴史や文化も学ぶことができるよう、修学旅行の相互誘客、あるいは、大学生同士による平和学習を含むこども・若者の交流についても盛り込むことを検討しているところでございます。

■違和感のある答弁

 私の聞き方が悪かったのかもしれないが、私が問うたのは沖縄戦と松代大本営に係る歴史認識だったが、そのことは示されなかった。知事への質問に続けて、1月に沖縄県が主催し行われたがオンラインでの学生の交流についても、双方に引き続き交流を継続したいという気持ちがあるので、支援をすべきではいか質問をした。

答弁は健康福祉部長だったが、「今回、初めての取組として行ったものであり、このような交流を継続的に進めていくことが今後の課題である。引き続き、様々な工夫をしながら取組を進めてまいります」と、支援を行うという答弁には至らなかった。

次に、沖縄戦などで亡くなった方の名前を刻む沖縄県糸満市の「平和の礎」に、少なくとも50人を超える長野県出身者の方の刻銘がないことから、戦争の記憶を風化させない一つの取り組みとして、追加刻銘をより積極的に呼びかけることを提案した。これも健康福祉部長の答弁だが、「これまで追加刻銘については、市町村や県遺族会等と連携をし、広報誌等で広く周知を図ってきたが、様々な事情から、刻銘を希望されない遺族もいる」ということで、とても「積極的」とは言い難い状況だ。

■韓国との徴用工問題の決着に異議ありの声

3月16日日韓首脳会談で確認された元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟問題の解決策は、韓国大法院(最高裁)が日本企業に支払いを命じた賠償金の相当額を韓国政府傘下の財団が負担する「第三者弁済」の手法を取ることになった。財団は、韓国の国内法上、弁済分を事後に日本企業に請求できる「求償権」を手にするが、日韓両政府は求償権行使は想定していないとの見解で一致しているという。

しかし、韓国国内では韓国野党や市民団体は18日、ユン・ソンニョル政権の対日外交を批判する大規模な集会をソウル市庁前で開いた。最大野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表は「ユン・ソンニョル大統領が被害者の血と涙を無視し、国民の自尊心に傷を与えた」「強制動員の被害者の賠償請求権は誰にも侵害することができない人権だ。被害者の同意のない第三者弁済は明白に違法」だと指摘したと報道されている。

■問われる歴史認識

私は、大学で朝鮮近代史の卒論を書いた。それは日本の朝鮮半島における侵略の歴史を開く、「甲午農民戦争」についてであった。1984年当時の封建的支配者であった李氏に対して農民一揆が起こった。この農民一揆は封建的な搾取に対する戦いとして全土に広がり、政府との間で和約が結ばれ、一時民衆が支配権を握ることとなったが、李氏は当時の中国の支配者あった清に対して援軍を要請。日本は天津条約を根拠に出兵し、農民軍を駆逐、その後日清戦争に発展し、1910年に朝鮮半島を植民地化するに至る。

岸田首相は、韓国会談後の記者会見では、植民地支配への「痛切な反省と心からのおわび」を明記した1998年の日韓共同宣言を含め、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐことを表明したという。

背景には、朝鮮民主主義人民共和国のミサイル発射への共同対処への狙いがある。日米韓やオーストラリアの軍事的連携を強化して対中国包囲網をつくり、中国のロシアへの支援にゆさぶりをかけたいというのが本音だろう。

しかし、日本は「再び戦争をしない」ことを憲法で定めている。その決意を裏付けるのが歴史認識であり、歴史教育である。広島、長崎の原爆投下の被害、沖縄戦の悲惨な歴史、一方で朝鮮や台湾への侵略の歴史、双方の視点での歴史認識をもてる教育が必要だ。

阿智村にある満蒙開拓記念館は開館10周年を迎え、これまでに21万人の方が訪れている。寺沢館長は次のように自身のブログの中で語っている。「犠牲も多かった満蒙開拓と言う史実の重さと共に、それに比較して戦後如何にこの史実が語られてこなかったかという現実です。その犠牲の多さや、満蒙開拓と言う名の下に多くの国民や現地中国の人々等にも多大な犠牲を強いた、その史実に向き合うことへの不都合さ等もあって、戦後、意図的に、あるいは無意識下で、この満蒙開拓と言う史実は語られることが避けられてきたこと、それは間違いありません。そして、その結果として、ほとんど多くの人々がこの史実を知らないままに戦後の長い時間が過ぎてきてしいました。」

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