長田家の明石便り

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「聖書が告げるよい知らせ」第22回 復活の日の朝

2022-06-30 19:20:37 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第二十二回 復活の日の朝

マタイ二七・六二‐二八・一〇

 

 聖書が告げるよい知らせの中で、イエス・キリストに関わる中心的な出来事が二つあります。十字架の死と復活です。四つの福音書は、イエス様の十字架の死についてと同様、イエス様の復活前後の様子について、かなり詳しく描いています。使徒パウロもまた、「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(略)」と書いています(Ⅰコリント一五・三、四)。

 前回に続き、マタイの福音書から、キリストご復活の日の朝の様子について見てみましょう。

 

一、破られた封印

 

そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。(マタイ二七・六六‐二八・二)

 

イエス様が十字架に死なれ、墓に葬られたとき、祭司長やパリサイ人たちは一つの心配をしました。イエス様がかつてご自分の復活について語っておられたのを聞き知っていたのでしょう。弟子たちが遺体を盗み出して、「よみがえった」と言いふらすのではないかと考えました。そこで、彼らはピラトのもとに行き、墓に番を付けるようにと願い出ます。ピラトは、この要求に応え、番兵を手配するとともに、墓を封じる石に封印をさせました。

 しかし、このようなことも、イエス様の復活をとどめることはできません。十字架の死から三日目、日曜日の朝、女性たちが墓を見に来たとき、地震が起こります。それは、天使が天から下って来て、石を脇に転がしたことによるものでした。こうして、固く封じられていたはずの墓は開けられ、イエス様が既に復活されたことが明らかにされます。

 アダムとエバが神様のご命令に背いたとき、「必ず死ぬ」と言われていた通り、死がすべての人間を覆い尽くすようになりました(創世記二・一七、三・一九)。しかし、イエス・キリストは死に勝利をされ、永遠に生きておられる方としてよみがえられました。全人類を縛り付けていた死の封印が解かれた瞬間でした。

 私たちは、イエス・キリストを信じるとき、罪を赦していただき、神との交わりを回復して頂くことができます。やがては私たちも死の時を迎えるでしょう。しかし、世の終わり、イエス様と同じような復活栄光の体が与えられます(Ⅰコリント一五・二〇‐二三)。イエス・キリストの十字架の死と復活により、死の封印は既に砕かれ、解かれていることを覚えましょう。

 

二、空になった墓

 

 驚く女性たちに天使が語ったのは、次のようなことでした。

 

あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイ二八・五、六)

 

 天使が天から下り、墓を塞いでいた石をころがしたのは、復活したイエス様を外に出すためではありませんでした。他の福音書を見ると分かることですが、復活のイエス様は、固く閉ざした家の中にもスッと入って来ることがおできになりました(ヨハネ二〇・一九)。イエス様は復活されてすぐ、閉ざされた墓の中からも出て行くことができました。ですから、女性たちに天使が告げたのも、「(イエスは)ここにはおられません」ということでした。

 「前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」と告げると同時に、天使は彼らに、言いました。「さあ、納められていた場所を見なさい。」そこには、空になった墓があるだけでした。

 エルサレムには、イエス・キリストが葬られた場所としていくつかの箇所が指摘されています。そのうちの一つで「園の墓」と呼ばれる場所は、よく手入れがされ、「こんなところでイエス様がよみがえられたのかな」と思わせる雰囲気が漂っています。その園には、キリストの墓とされる場所があり、入口のところに「彼はここにはおられない。よみがえられた」と記されています。もし仮に、そこに記されている言葉が「ここにキリストの遺体が納められている」ということであったらどうでしょうか。使徒パウロも言うように、「私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しい」ということになるでしょう(Ⅰコリント一五・一四)。「空になった墓」こそは、聖書が告げるよい知らせの土台を提供するものです。

 

三、お会いできる

 

 続いて天使が女性たちに告げたのは、次のようなことでした。

 

そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。(マタイ二八・七)

 

 その後、急いで墓を立ち去り、走り出した女性たちは、復活の主イエス様ご自身に出会います。この時、イエス様が彼らに語られたのも、「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」ということでした(マタイ二八・一〇)。

 実際、弟子たちはこの後、ガリラヤにおいてイエス様と相まみえます。(次回見るように、エルサレムでも何度かお会いしていますが、マタイの福音書では省略されています。)もちろん、この後、イエス様は天に昇っていかれます。しかし、弟子たちに宣教の命令を与えるとともに、一つの約束を残されます。

 

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ二八・二〇)

 

 復活し、天に昇られた主イエス様は、信じ従う者たちと共にいてくださるとの約束です。

 思えば、御子イエス様のご降誕について、マタイは、それがイザヤの語った預言(イザヤ七・一四)の成就だと言いました。「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』」そして、マタイは「インマヌエル」について、「訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である」と付け加えました(マタイ一・二三)。

 罪深い私たちが、その罪を赦して頂いて神と共に生きることができることは大きな幸いです。そして、復活の主、御子イエス・キリストが、信じ従う私たちと共にいてくださることは、「神が私たちとともにおられる」という約束の成就と受け止めることができるでしょう。このお方は永遠に生きておられるので、いつも、どんな所からでも見上げ、「お会いできる」方です。

 

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