「聖書が告げるよい知らせ」
第二十三回 復活の一週間後
ヨハネ二〇・二四‐二九
ヨハネの福音書には、イエス様はよみがえられたその日、弟子たちの間にも姿を現されたことが記されています(ヨハネ二〇・一九)。しかし、トマスという弟子だけはその場に居合わせませんでした。彼が復活の主イエス様に対する信仰に導かれるためには、なお一週間を必要としました。
一、疑うトマス
弟子たちに復活の主イエスが現れなさった日、トマスが帰ってくると、他の弟子たちは、興奮した面持ちで口々に復活の主の出現について語りました。しかし、トマスの反応は否定的でした。
そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。(ヨハネ二〇・二五)
「見なければ信じない」、「触ってみなければ信じない」というトマスは、現代の実証主義者の態度に似ています。「疑い深い弟子」として見られやすいトマスですが、一面では、まじめな真理の探究者という見方をすることもできます。周囲の声に惑わされず、真理であるのか、そうでないのか、見極めようとする態度が彼の中には見られます。
「失意のあまり、幻でも見たのではないか」、「自分をからかう作り話ではないか」、いろいろ考えたかもしれません。主イエスが本当に復活したのか、あるいはそうでないのか、これは決して小さなことではありません。人の言葉だけで容易に動かされまいとする姿勢は、大切なものでもありました。
二、一週間後の顕現
そのようなトマスの態度に対して、主イエスもまた、憐れみ深く、また忍耐深く、トマスを導かれました。一週間後のこと、弟子たちが同じように家の中に集っていました。今度はトマスも一緒でした。そして、その場にもう一度復活の主が現れなさいました。前回同様の状況下、主が再度現れたご目的は何だったでしょうか。それはまさに、前回いなかったトマスのためだったと言うことができます。実際、その後主は、トマス一人に対して語りかけられます。
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ二〇・二七)
「この目で見なければ」、「この指を手の釘あとにさし入れてみなければ」と言っていたトマスに、「さあ、そうしてみなさい」と語られました。そして、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と招かれました。
ああ主の瞳 眼差しよ
疑い惑う トマスにも
御傷示して 「信ぜよ」と
宣(の)らすは誰ぞ 主ならずや
(日本福音連盟新聖歌編集委員会編集『新聖歌』教文館発行、二二一番三節)
三、見ないで信じる幸い
主イエスのお言葉に対して、おそらくトマスは、実際に自分の指を主の手の釘あとにさし入れはしなかったことでしょう。自分の目で見ましたので、十分だと考えたことでしょう。見たところ、イエス様の御手には、確かに十字架に釘づけられた跡がありました。彼は主イエスに答えました。
「私の主、私の神よ。」(ヨハネ二〇・二八)
死人の中からよみがえられたイエスこそは、神様が送ってくださった神の御子であり、主であると、トマスは知りました。彼の内側に信仰が起こってきました。その信仰が、「私の主、私の神よ」との言葉に凝縮されました。
これに対して、主イエスは更に語りかけられました。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ二〇・二九)
トマスは見て信じました。主は彼の信仰を受け入れられましたが、同時に、「見ないで信じる幸い」に彼を招かれました。なぜなら、信仰とは本来、見えないものを見ていく働きだからです。「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル一一・一)。
やがて主は天に帰っていかれ、肉眼では見ることができなくなりました。しかし、その後もトマスは、他の弟子たちと共に主イエスを心に信じ、主の弟子として生き続けました。いろいろな困難や迫害もあったでしょう。しかし、彼は、復活の主、生きておられるお方を信じ仰ぎつつ生涯を全うしました。彼はその後、インドで宣教活動をし、その生涯の終りは殉教であったと言い伝えられています。
イエス様の弟子たちは、復活の主にお会いし、主のご復活を信じました。いわば見て信じた人々です。私たちは、復活の主にお会いした弟子たちをうらやましく思うかもしれません。しかし、主は「見ないで信じる人たちは幸い」と言われます。私たちの信仰を励ますために、いろいろな出来事や様々な出会いを通してご自身を示し、招いてくださいます。しかし、最終的に主は私たちを見ないで信じる幸いへと招かれます。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」」、「見ないで信じる人たちは幸いです」…イエス・キリストの招きにお応えしましょう。