長田家の明石便り

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「聖書が告げるよい知らせ」第24回 聖霊が注がれた日

2022-07-14 19:22:11 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第二十四回 聖霊が注がれた日

使徒二・一‐六、一四‐一八、三二‐三九

 

イエス様はよみがえって後、四十日にわたって弟子たちに姿を現されましたが、その後天に挙げられました。しかし、その際、一つの命令と約束を残されました。それは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」というものでした(使徒一・四、五)。

ご命令に従い、弟子たちは祈り続けました。ちょうどユダヤ人の祭り、五旬節(ペンテコステ)の日に、次のようなことが起こりました。

 

五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。(使徒二・一‐四)

 

 物音を聞きつけた人々が集まってきました。ユダヤ人の祭りに参加するため、色々な国々に住む離散したユダヤ人たちも集まってきましたが、彼らは生まれ故郷の言葉で弟子たちが神のみわざについて語っているのを聞いて驚きます。中には、「酒に酔っているのだ」とあざ笑う者もいました。

その時、使徒ペテロが立ち上がり、人々に語り出します。彼の言葉を通して、私たちはこの日の出来事の意味をよく理解することができます。

 

一、約束の成就

 

 「酒に酔っている」という声に対して、「今は朝の九時ですから、(略)酔っているのではありません」と答えた後、ペテロは次のように言いました。

 

これは、預言者ヨエルによって語られたことです。『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。(略)』(使徒二・一六‐一八)

 

 ヨエルは、神に背いた民に対して、いなごの襲来という形で神の裁きがもたらされたことを告げた預言者です。そうしながら、ヨエルは人々に神への悔い改めを迫ると共に、回復の時が備えられることも預言しています。そのような中で語られたのが、すべての者に神の霊が注がれる時が来るという預言でした(ヨエル二・二八‐三二)。限られた預言者たちだけに聖霊が注がれていた時代は過ぎ去り、すべての神の民が聖霊により神を証しする者となるというのでした。

 ヨエルに限らず、イスラエルの預言者たちは皆、民の罪が神の祝福を失わせていることを指摘します。同時に、回復の道が備えられていると告げます。そのカギとなるのがメシアの到来であり、神の霊の注ぎでした(イザヤ三二・一五、エゼキエル三六・二五‐二七)。神の霊の注ぎこそは、神の祝福回復の中心的な出来事であり、神の民としてふさわしい歩みをもたらすものでした。

 ペテロは、預言者たちを通して示されてきた神の約束が、五旬節のこの日、成就したのだと語りました。

 

二、天に挙げられたキリストが聖霊を注いだ

 

 それからペテロは、イエス様について語り始めます。神から遣わされたお方として数々の奇跡をなさったこと。しかし人々はこのお方を十字架につけて殺したこと。ところが、神はこのお方を死からよみがえらせたこと。自分たちはその証人であること。そして、ペテロはこのように続けます。

 

ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。(使徒二・三三)

 

 今、人々は弟子たちが聖霊に満たされ、色々の国の言葉で神様を証ししているのを見聞きしています。理解しがたいようなこの出来事こそ、イエス様が死からよみがえり、天にいます神の右に上げられ、父なる神様から約束の聖霊を受けて、それを弟子たちに注がれたことの結果だと言いました。自分たちが見聞きしていることを考えると、人々はペテロの言葉を否定することができませんでした。

 ペテロは続いて語りました。

 

ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。(使徒二・三六)

 

 ペテロの言葉は明確であり、人々の心に突き刺さりました。「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った」と言います(使徒二・三七)。自分たちがとんでもない間違いを犯していたと気づかされた瞬間でした。

 

三、遠くの者一同にも与えられている約束

 

 「どうしたらよいでしょうか」との人々の問いに、ペテロはこう答えました。

 

それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。(使徒二・三八)

 

 過ちを悟った彼らがその時なすべきことは、悔い改めること、そのしるしとしてイエス・キリストの名によってバプテスマを受けることでした。その結果与えられる恵みは、「罪の赦し」、そして「賜物として聖霊」を受けることでした。これは神の大いなる約束が確かに成就したことを告げる、よい知らせでした。

 ペテロは最後に、次のように付け加えました。

 

この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。(使徒二・三九)

 

 その時、その場にいた人々だけではありません。その子孫にも、さらには、「遠くにいるすべての人々」にも与えられている約束だと言いました。すなわち、この約束は時代や民族、国籍を越え、すべての者に与えられているのだと。

 このよい知らせは、私たちにも向けられています。どんなに神様に背を向け、間違った歩みをしてきたとしても「罪の赦し」は備えられています。どんなに神の祝福から遠く歩んできたとしても、「賜物としての聖霊」を受けることができます。

経験や現象は様々です。この日の弟子たちと全く同じ経験をする人はむしろ少ないでしょう。しかし、形は違っても同じ聖霊を注いで頂いて、内側を新しく造り変えて頂くことができます。悔い改め、イエス様を主、キリストとして信じましょう。

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