長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

★臓器移植法雑感

2009-06-19 07:52:00 | Weblog
私は臓器移植についてほとんど考えてこなかった。
ところが、臓器移植改正案が衆院を通過してしまった。
そこで、よく分からないけれど、少し書いてみたい。
なぜ改正案が出されたかを考えると、臓器提供を待っている人が大勢いるのに臓器提供を申し出る人が少ないため、外国にまで出かけていたが、これが国際問題となったためである。
しかし、日本には日本人の死生観があって、臓器提供にかなり抵抗を感じている人が多く、決して法律の周知徹底が図られないためではない。
さてここから、いくつかの問題について箇条書きにしてみたい。

1.議員は本当に理解しているのか?
郵政民営化法案でも、後になってから、私はよく知らなかったけれど、賛成したという人がいたけれど、議員たちは本当にこの法案を十分理解しているのであろうか。

2.脳死について
人間の死が何万年も続いてきたのに、臓器提供ということだけで、人の死を決めてよいのだろうか?
もちろん、臓器提供を申し出た人に限りというが、人の死がいくつも条件によって異なるということもおかしい。
そんなことはないと思うが、次々と法律が出来て、この法律では人の死は○○・・・なんていわれたらかなわない。

3.家族の同意
本人の意思が示されていない場合には、家族の同意でも良いことになっているが、本人と家族とどこまで意思疎通が出来ているだろうか。
全ての家族に、拒否を伝えておかなければならなくなる(拒否しない場合はあまり問題がないかもしれない)。
当然、臓器移植が行われた後で、書類などで本人の意思が確認され、間違っていたということもありうる。
極端な場合を考えると、親子喧嘩をして、その子供が打ち所が悪くて脳死になった場合、親は正常な判断を出来るであろうか。
また、まだら呆けになっている家族まで同意した家族とされてしまっては、本人もたまらない。
また、短時間に臓器提供をするかどうかの判断を迫られる家族の負担も考えなければならない。

4.脳死の判定
医師に脳死だといわれたら、家族は逆らうことは出来ない。
もし、医師が功にあせって、あるいは自分の技術をためしたくて、脳死と判定して移植を行おうとした場合、誰がそれをとめることが出来るのであろうか。
以前にも、和田教授が心臓移植をしたが後から問題となったということもある。

5.本人の同意
本人が拒否していない場合、家族の同意ということになってしまうが、本来なら、全て本人は拒否であり、同意したものだけが提供できるようにするべきではないのだろうか。
例えば、衆議院選挙のとき?に、裁判官の信任投票?が行われるが、これも何も書かなかったら不信任とすればよいところを何もしなかったら信任となるため、これで不信任になった人は(たぶん?)いない。(?がついているように、それほどいい加減な投票なのである)。

待っている人がいるから、議論が不十分でも、法律を改正して、臓器提供を促進しなければならない問題だろうか。
だからといって、臓器提供を欲している親の気持ちが分からないわけではない。
また、だから、こうしたらよいという案も持ち合わせていない。
早く、医療技術が進歩して、人工心臓だとかが進歩するのを望みたい。
また、この法案が、医療技術の進歩の邪魔をしないように願うばかりである。