ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

ふきのとうを摘みました。

2011-03-05 16:18:26 | Weblog
 我が家の家の周りはあまり日当たりが良くないので、ふきのとうも芽を出すのが遅く、やっと硬いつぼみのふきのとうが3つ顔を出していたので、その中の2つを摘んでサッと茹でて、ふき味噌にして食べました。

 あのほろ苦さがたまりません。
 春の山菜を食べると、冬場に溜まった毒素が解消されるといわれます。これからいろいろな山菜が芽を出してきますが、やたらに採りすぎないで、自然の恵みのおすそ分けを頂くというくらいにとどめておきたいと思います。

 山の恵みは野性に暮らす動物たちの食料でもあるわけで、共存共栄の鉄則はこの期に及んでいるからこそに大事です。
 生態系というものは、私たち人間をも含めての生態系であって、私たちだけ特別であるはずもないのです。

 あら、ついつい堅い話になっちゃいましたね。

 ○ ふきのとう 心して喰え この苦味 (青蜩庵)

私のスター名鑑 ④ アラン・ラッド

2011-03-04 15:33:17 | Weblog
 4回目の今日はアラン・ラッドをご紹介しようと思います。

 アラン・ラッドといえば「シェ―ン」ですよね。もちろん、リアルタイムに映画館で観ている世代ではないので、1970年代にテレビ初放映された当時に、茶の間で初めて観たのだと思います。
 映画評論家水野晴郎氏が解説を務めた「水曜ロードショー」だったかな?

 シェ―ンがクライマックス、ライカー一味との決闘で見せる早撃ちをまねて、モデルガンで練習した記憶があります。
 また、あの有名な主題歌「遥かなる山の呼び声」をあらかじめカセットテープに吹き込んでおいて、自分の声で、ジョーイ少年の声を真似て「シェ―ン カムバック! グッバイ シェ―ン」と重ねて録音して遊んだ覚えもあります。

 アラン・ラッドは1913年9月3日生まれで、長い下積みの後にハリウッドのスターに伸し上がった人で、「シェ―ン」の主役に抜擢された時はすでに40歳になっていました。

 彼はとても生真面目なタイプの人で(それは「シェ―ン」を観ていてもわかりますが)、二度目の奥さんとなるスー・キャロル(彼女も女優)と出会ってから徐々にその才能が実を結んで、スターの座にまで駆け上がるのですが、「シェ―ン」以後にパッとしたヒット作、当たり役がなく、アルコール依存症とドラッグ(睡眠薬)で身をボロボロにして行き、「シェ―ン」主演から10年後の1964年に50歳の若さで亡くなっています。
 どうも心の弱い人のようでした。

「シェ―ン」は名匠ジョージ・スティーブンス監督(他の作品に「ジャイアンツ」)の名作西部劇ですが、私は子供心にもそのドラマ性に惹かれました。まあ、映画解説の影響が多分にあったんだとは思うんですが、シェ―ンが厄介になるスターレット家でしたか、ジョーイ少年のお母さんを演じたジーン・アーサーとお父さん役のヴァン・ヘフリンが実に良かった。流れ者シェ―ンに心引かれていくお母さん、そしてシェ―ンに憧れる息子ジョーイの間で微妙に揺れ動くお父さんに、私は子供ながらに同情しつつ、その心理描写に感心しました。

 アラン・ラッドは西部劇の主役を演じるにはあまり体格が良くなく、身長は175センチ(私と一緒だ!)しかなかったそうで、それは当時の主役を演じる俳優さんとしてはコンプレックスだったみたいです(後にはもっと小柄なダスティ・ホフマンやアル・パチーノといった名優が現れますが)。けれど「シェ―ン」に限ってはそれも良かったのか、敵役のジャック・パランス(193センチ)を倒すのが痛快でした。

 アラン・ラッドの出演作はハリウッドのスタートしては少なく46本(初期の端役的なものを含めても52本くらい)です。

 寂しい晩年の内に不遇の死を遂げたアラン・ラッドでしたが、スー・キャロルとの間に設けたアラン・ラッド・Jrは「スター・ウォーズ」などを手がけた名プロデューサーに。そして、娘も孫も女優として活躍しています。

今日は3月3日ですね。

2011-03-03 11:32:56 | Weblog
 カレンダーは3月となり今日はひな祭りの日ですが、気候は真冬に逆戻りという感じで寒いこと寒いこと。それでも今朝は久々にウォーキングして、寒風に抗ってみました。

 さて、ひな祭りといっても、この辺りは本来は旧暦で4月3日にお祝いします(毎年おんなじ様なこと言ってるかな?)。本当の旧暦となるとまた別の日なんですが・・・・・・(先カッコ内に同様)。

 ず~と前にも、梨木香歩著「りかさん」を読んで雛人形や市松人形のもっている怖い雰囲気が解消されたというようなことを書いた記憶があるんですが、ちょうどその頃に、現在は豊田市となった足助町で、中馬街道ひな祭りというのを見ました。
 その後各地で同様のお祭りが見られるようになり、この近辺では恵那市岩村町の城下町筋でも今行われています。

 そもそもお祭りというのではありませんが、恵那市中野方町や飯地町から、八百津町につながる道筋では、玄関先や縁側に雛飾りを出して飾る風習があり、子供たちにお振る舞いをして、お菓子やご馳走を配るということをしているようです。何年か前にたまたまそれを見ることがあり、また飯地町では実際にお菓子を頂いたこともありました(子供ではないのですが、聞き書きの取材の折に)。

 これも何年か前に妻の実家に行ったとき、妻の雛飾りはどうなっているのだろう。そのまましまわれているのなら可哀想だから出してあげようよ、ということになり尋ねたところ、もう何年も前にネズミに齧られていたので処分してしまったといわれ、残念に思ったことがありました。

 もっと早くに「りかさん」を読んでいたら、捨てられる前に何とかできたものをと、妻と二人しきりに悔やんだことを思い出します。

 子供が成長してしまうと、ついついしまわれっぱなしにしてしまう雛人形の飾りですが、ちょっと面倒でも出してあげてみてはどうでしょう? 季節を祝うということはいいことです。

積読ベスト5

2011-03-01 16:11:39 | Weblog
 ちょっと前に計画的読書と衝動的読書という記事を書きましたが、そんなことはいっても私の読書の実情は、手当たり次第に気の向くままと申し上げた方が正しいのかもしれません。

 とにかく、積読本がいかに古漬けの重石のように動かないかということで、何年も積読状態にあるものもあるんです。

 そこで今日はその積読本のベスト5を公開して、ご本たちに深謝しようかと・・・・・・。

 では、第5位からご紹介しましょう。
 第5位は、比較的新しく今年になってから、それもつい先月に加わった一冊ですが、三枝和子著「その日の夏」(講談社刊)です。

 先日とある古本屋さんに入りますと三枝和子の著作物がかなりまとまってありました。気持ちとしてはそれを全部購入したい衝動に駆られましたが、ほかにも買いたい物もありその日は一冊だけにしました。
 それがこの「その夏の日」です。女学生として迎えた1945年8月15日を題材にした小説です。
 この終戦の日(あるいは敗戦の日)をテーマにした手記や日記は結構ありますが、小説となると意外に少なくて、それを三枝和子の小説として読むのはとても興味深く思ったのですが、まだ手を付けていず、今年の夏までには読もうと思っています。

 さて第4位は、中原昌也著「名もなき孤児たちの墓」。
 私にとっては新しい作家さんにあたり、とりあえずどんなものを書かれるのかと手に取り、最初の一編だけ読み始めはしたのですが、諸事情あってまた積読に帰ってしまった一冊です。これも少しづつ拝読いたす所存です。

 次、第3位。島村利正著「秩父愁色」(新潮社刊)。
 昨年の夏ごろでしたか、名古屋の古本屋さんで見つけた「妙高の秋」とこの本の2冊。「妙高・・・」を読んで、すぐに2冊とも読むのはもったいないと、取っておいたのが未だに手付かず状態なのです。

 次は、第2位です。福岡正信著「自然に還る」(春秋社刊)。
 何年か前に知人にいただいたダンボール一杯の古本の中にあった一冊で、読みたいと思って取り出しておきながら、未だに手付かずの一冊です。
 福岡正信さんは「自然農法」の提唱者、第一人者の方で、先ごろNHKで放送されて人気を呼んでいる「猫のしっぽカエルの手」のベニシア・スタンレー・スミスさんの先生にあたられる方だったかな?

 さあて、いよいよ第1位は、筒井功著「サンカの真実 三角寛の虚構」(文春新書)。
 この本に至っては、いつ購入したのかも覚えがないくらいですが、本自体は2006年の刊行なので、5年より前ということはありませんし、新刊では購入していないと思うのでせいぜい3,4年というところでしょうか。
「サンカ」ワード機能で漢字が引き出せないので表題と同じくカタカナにしますが、前からサンカと呼ばれる人々に興味があり、読もう読もうと思いながら積読状態が続いているわけです。

 ベスト5ということで書き出したのですが、わたしの本棚にあって読まれていないものはこの5冊に限りません。たまたま積読、本当に積んでかたわらに置いているに過ぎない
5冊なんです。
 
 蔵書の中の読まれていない本を、これからもご紹介してその存在を確かにしていきたいと思います。
 もし、それ読んでみたいと思われる方にはお貸しいたします。ただし、我が家に取りにこられる方、帰しにこれる方に限りますが・・・・・・。