人生第2幕スタートして20数年、畑を掘り・印を刻り・木を彫りの半分・自然に親しむ生活です

篆刻(てんこく)という
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つれずれ日記です

メニコン創業者・田中恭一氏 お別れの会(一般献花式)で献花

2024-07-10 12:32:51 | 日記

「道一以貫之」

昨日7月9日(火)

コンタクトレンズで有名なメニコン創業者(故)田中恭一氏のお別れの会が名古屋市中区 

メニコン シアターAoiで開催されました。

愛知県一宮市木曽川町のご出身。

弱冠22歳のときにコンタクトレンズの製造にチャレンジ、その後の成長発展に至るご奮闘は

小生がご紹介するまでもありません。

今や日本を代表するコンタクトレンズ メーカーとして発展の道を歩んでおられます。

伺ったところ、祭壇のデザインは長い苦難の道を表現されている、とのことです。

詳しくは同氏著「無から有を創造する楽しさ」中部經濟新聞社発行に記載されています。

本業とは別にご趣味として達磨を板に刻されるキッカケの最初の作品です。

8年ほど前ですがお話していますと同氏の凄まじいエネルギーを感じました。

同氏のように日本には地道に自分の道を切り拓いていく多くの企業家の存在が現在の

日本經濟を支えていることを感じます。

 

今回、会場で故・会長の秘書らしき女性から声を掛けられ(8年前のことを記憶されているとは!)

 

そして、案内状に記載通り拝礼に伺いましたがJR千種駅周辺は地理がややこしく、迷ってしまい

路上で40歳前後のご婦人にお尋ねしたところ

「時間がありますから会場まで一緒にご案内いたしましょう!」

「えっ、そんなわざわざ・・・方向を教えていただければいいですから」

「時間がありますからご遠慮なく、さあ・・・」

10分ほどでしょうか、ご一緒に軽い会話をしながら目的地へ。

こんなご親切な道案内を受けるのは初めての経験です。

 

平服でどうぞ、と記載されていましたが予想通り9割以上の方は上下、礼服です。

小生は半袖シャツに黒ネクタイ、猛暑の下、礼服で往復2時間以上は耐えられません。

 

小生が同氏と小さなご縁の由来は2016年6月12日のブログに記載しています。