SixTONESのメンバーのホロスコープを「サインからリーディングする」手法で読む。森本慎太郎さん。
===リーディング結果===
突き進みたい
なら行ってしまえ。
何も迷う必要はないのに。
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以上
SixTONESのメンバーのホロスコープを「サインからリーディングする」手法で読む。森本慎太郎さん。
===リーディング結果===
突き進みたい
なら行ってしまえ。
何も迷う必要はないのに。
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以上
SixTONESのメンバーのホロスコープを「サインからリーディングする」手法で読む。田中樹さん。
===リーディング結果===
大海にとけ 大空にとびこみ
自分を消してしまえばいい
今いる場所 そのなかで
もっと
もっと
もっと もっと もっと
それは確かに不安かもしれない
だけどしがみついているから
受け取れない
自分に
溶ける。消える。
なくなってしまう。
<自分>が消える。
そしてもう一度<自分>が現れる。
新しい自分。生まれ変わった自分。
深く広い空、海。その力とともに。
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以上
SixTONESのメンバーのホロスコープを「サインからリーディングする」手法で読む。松村北斗さん。
===リーディング結果===
「自分が頑張らなければいけない」
と、まっ暗闇で光の見えないなか
冷たく寒く、ひとりで縮こまって震えている。
でも、実はすぐ近くにいる。
自分にとってのともしび。
その人の手をとり、導かれることで
人生に明るい色彩があふれだす。
冷たい気持ちや感情は、人から助けられる方法を知らなかっただけ。
もっと頼りたい人に頼ればいい。尊敬する人に頼ればいい。
手をとればいい。
自分が認めた人の助けを借りるのは恥ではない。
助けを借りたいけど、その助けを借りるために
自分自身がひとりで成長しなければいけないという
ある意味、本末転倒な感情状況に陥っている。
もっと勇気をだして、その手をとればいいのに。
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以上
今までこちらのブログに↓ホロスコープ記事を寄稿していたのだが、久々SixTONESについてホロスコープを読みたくなったので書いてみた。
最近やっている「サインから必要な情報をおろしてくる」手法で読む。
今回はSixTONES全員でなく、個人的に気になる数人について書く。最初は京本大我さん。
===リーディング結果===
平和、愛する気持ち。
そうじゃないもの。悪、黒、闇、ネガティブをどう対処するか。
哲学やブッダの言葉が参考になるかも。
奴隷の哲学者エピクテトスなど「自分にとってどうにもならないものをどう対処するか」という思考。
お芝居、お話、創作物としての「闇」は、たしかに面白いしいいんだけど、実際に自分の人生の局面にあらわれた悲しみ、苦しみ、つらさというものに、どう立ち向かうか。
結局、その感情というものは自分のなかに立ち現れたものなので、そこを自分でどう対処するか。
その経験が、これから表現したいものに厚みや共感、共時性、因果律を超える精神の力を与える。
その闇も、結果的に自分の半身である。別に苦労や辛さを追い求める必要はないけど、人間として生まれるということは、そういう半身との付き合い方を工夫しなければならないということ。
そこを乗り越えていくと、もっと精神的に広大なレベル、領域にたどりつけるので、今後の舞台や活動に良い力を与えてくれるのではないか。
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以上
先日とある存在から「ホロスコープのサインに変性意識にとんでみる」読み方を勧められた。
これを私なりのやり方でやってみてはどうかと。
で、試しにやってみたら一応できる。その際に、思ったよりもなにか大きな情報もダウンロードされた。これはその人のホロスコープの付属情報なのか、この読み方やサインに関する情報なのか?
ちょうど松村先生のYoutube動画にサビアンシンボルと12サインについてのものがある。
サインに飛ぶというのは、いったん惑星から読んだりしないということ。
惑星がないところが、案外エネルギー的に滞っている可能性は往々にしてあるのかもしれない。
ちょうどこのタイミングで、松村潔のクラウドスプレッドタロットリーディングの本にある知覚者についての話を読んでいた。サインから読む、ということは、既存の占星術でとりあげられる惑星同士の関係性はいったん脇に置く感じ。惑星は、エネルギー準位が低い暗くひずんだ場所であると仮定したとき、「上」からの目線、いったん12サインを基準にして俯瞰したときに、全体からみて、惑星のあるなしかかわらずどうスムーズにホロスコープ場のエネルギーが流れているのか。それを12サインにとぶ読み方で見極められるのかも?
サビアンとか、さらに上を基準にするのはまた別の話な気がする。
そもそも人間として、地球にある程度定着していない人間が「上」ばかりきにしても身を滅ぼすだけのような。つまり肉体をもって生きていられない。
最近、ムーサに飛んだら知覚が向上した?せいか、ムーサが女神というより「筋肉ムキムキな女装している男性」に見える。
イメージとしては、最近読んでいた「黒の召喚士」のゴルディアーナ・プリティアーナみたいな出立ち。
これは、ムーサというのは女神だと思っていたが、実は屈強な男性性があるということなのか?
まあ恒星だから二極化していないし。
なので、最近変性意識でムーサと話すと、屈強な女装姿の男性な女神が見えるけど、愛にあふれていて色々と助言してくれる。
あと、あくまで創造性の「3」であるので、あんまり細かいことにとらわれずに自分のオリジナリティを出せと言われる。
占星術の見方も、ちょっと色々変えて勉強する予定。
まあ、ムーサとは言っているけど、ギリシャ神話のムーサではないよ。創造そのもの、「3」のロゴスというか。2からの3。だから細かくはないし、細かいことにこだわりすぎると、そのダイナミックなエネルギーを受け取れないというか。
最近、とあるところでフルトランスのチャネリングに立ち会っているのだが、そこで出てきたとある存在に、自分が疑問に思ったことを別口で聞いてみた。フルトランスで会っているので、別で自分が変性意識に入っても会話しやすい。
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「意図の強さって、そもそも何?」
− ダイヤモンドとか石のように、どれだけその意図を凝固させたか、強い結晶構造を持っているのか。そういう考えでいいよ。
「石と意思ってダジャレ見たいw じゃあ、自分が何かを意図したときに、それを『こういう石や宝石、パワーストーンに意図します』みたいに思えばいいということ?」
− 最初からダイヤモンドとか、そういう石を思い浮かべてから意図を固めてもいいし、逆に意図を固めるイメージを持ったら何か石や宝石が見えたり、名前がふっと浮かんだりするならそれでもいい。その辺りは人それぞれ。
君の場合は、今設定している意図を、それぞれもう一回再点検するといい。「意図をより強い意図にするために、石や宝石をイメージする」と。
その時に、意図を石にイメージできない場合は、なにかその意図がぼやけていたり、今の自分に合っていなかったり、案外ふわっとしていたり逆に細かすぎていたりする。それは、「今」の自分にとって適切な意図設定ではないということ。もう一度意図を設定しなおすといい。
・・・これを聞いたあとに、試しにとある意図を強くするとイメージしたら、ハーキマーダイヤモンドのイメージと言葉がでてきた。そのまま、地球が見える月面?みたいな場面がでてくる。
「ここは、月?イエソドとか占星術の月とか、そういう抽象的な概念を無数に含んでいそうだけど」
− 君の場合はこの場所に「強く意図された石」を置いておくのにいいんだよ。ここに石を置いていって。
・・・そういわれて、ハーキマーダイヤモンドをおくと、最初指先くらいに小さかった?と感じられたハーキマーが、いつのまにか大きくなってデンと置かれている。
− 意図しておいておくと、それが自分にとって納得感がよりあがって大きく見えたりするよ。
・・・その後、いま設定している意図をこのやり方で再点検していく。アメジストやサンストーン、トルマリンなど色々な石がみえる。
最後に、とある意図を設定したら、石にならずに金色にシャンパンのように光る粘土のある?水が噴水のようにあがって、その場所全体を包み込み、月面の場所が金色のもやで光る場所に変わった。
これは、自分のガイドたちに自分の意図がより強力に応援されているという証?らしい。
この、意図をさらに強く設定して、非物質(もしくは半非物質。エーテル体領域)世界に設置しておくという手法は、ある一定数の人に共通するらしい。人によって、石ではなく音楽だったり光や星だったりするらしいけど、それは個人差なので、各自が応用すべきところ。
ヒカキンが実写版をしていたウ”ィ”エ” をみた。本家とメイキングも。
それを見て「好きなことをするのに苦労をしなければいけない」という思想を再点検しなければいけないかもな、と思った。
多くの人をまきこむ「好きなこと」をするのに、一時的にあれこれある。それを「苦労」と定義するのか、しないのか?