20審判の天使がきたのでサマタ瞑想してみる。
ちなみに私の言うサマタ瞑想とは、ゲシュタルト療法による夢分析の手法からヒントを得たもので、意図した対象のなかにはいりこみ、なりきるというもの。夢は自分の一部であるから、自分がその夢のなかの、どんなものにでもなりきるのは理論上可能なはず。
それと同じで、恒星だろうがなんだろうが、「なりきる」という意味でのサマタ瞑想は可能なはずだ。
ただそれをむやみにすることで、信念や自我の崩壊や再生、それによりどれだけ社会的な人間としての自分が傷つけられるかは人によるだろう。そのあたりはガイドに意図してストッパーになってもらえばよい。
スタピ周りのガイドは、そのあたり下手くそというか、社会的な人間生活を軽視している印象もうけるので、厳密にストップをかけてもらったほうがいいのかもしれない。
ちなみに、松村潔のいうサマタ瞑想と私のとで、どれだけ違いがあるかは分からない。
自分の得意なことで、近似値をやるだけだ。
https://starpeople.jp/seijingoroku/matsumurakiyoshi/20220630/22165/
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20審判の天使にサマタ瞑想。
「きたよ」
とりあえず、何をすれば良いのだろう?
天使になった自分と
その天使を観ている自分、
という二画面がちらちら視える。
「じゃあこの姿で、人間の意図を実施すると意図してみるか」
天使の中にはいると、思考が消えてしまう。
人間の自我としての思考。
むりやり思考を動かす。
こねくりだすというか引き出すというか、努力する。
天使になりきりながら、人間の小さな自我をたもつって結構しんどい。
休憩で、意識を引きはなさないといけない。
とりあえず、ラッパをふいて人間?を集める。
それをやればいいらしい。