足裏のマッサージをやったら、飛び上がるほどに痛い。
場所としては右側。肝臓、胆嚢、腎臓あたり?
肋骨の下あたり。
このあたりは色々身に覚えがあるけど、そこまで悪くしていたり不摂生をしていたりするイメージがない。
なぜだろう?と思い、そういえば非物質できちんとその理由を探っていなかったかも、と思って探索してみる。
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アフォメーションの、意図の仕方が悪いという言葉が降りてくる。
「問題がない場所、という尋ね方がわるい」と。
生まれる前、生まれた時から、ネガティブな感情で負のサイクルに染まっている部位は、「悪いのが当たり前」になっている。
だから「課題があるけど、それが普通だから問題ない」という扱いになる。
盲点だったなと思う。
ではどうするか。
私のイメージでは、なんとなくだけど、生まれたばかりの赤ちゃんのように生命力などが満点な存在。
組織はこれからどんどん発達するし、まだ未成長。
だけど可能性がある。
身体をそういう状態にする。
そう意図すると、自分に問題があるのは「腎臓」といわれる。
悲しみがいっぱいつまっている。
悲しみが結晶化している。
腎臓は、東洋医学の腎と混同する場合もある。
そういった無意識領域の影響もうける。
だから、なんとなく先天的なエネルギーに欠ける場合もあった。
いままでは「悲しみが結化するのが当たり前」という前提だった。
それが普通。それが当たり前。
もしかしたら、魂が受肉したときくらいからのものかも?
地球は悲しい場所。
狭い、重い。
人々は分かり合えないし、誤解を重ねる場所。
そして自分のある程度決まっている人生の旅程をみてもため息がでる。
そんな魂の記憶があったのかも?
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とりあえず、腎臓を中心に肉体の悲しみを捨ててみた。
意図の設定には「問題がないかどうか」というものより
「最高のものにする」という設定の仕方の方がすぐれていると改めて思った。
今回みたいな罠があるので。