三十三間堂の千手観音と話を終えたとおもったら、今度はガネーシャが入ってきた。
先日、ベヒモスがでてきた時にガネーシャを意識してから、そういえばチクチクと脳内にヴィジョンがはいっていたっけ。
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「やっと話ができる」
「すいませんwww」
「お主と、まあ他の人間全体にもそうだが、もっと我に任せい、というのが言いたいことだ」
「といいますと?」
「日本は、各々が監視しあうように窮屈だ。
それは自分への自信のなさとか、さまざまな不安からだから致し方ない部分もあるが。
だから我のような、富や財宝、現世利益を司る神の存在を信じて、どんと構えて気持ちを緩めれば良い。
これも、お主のいう「隙間」だ。
気持ちを緩めて、ぼへーとしていないと、何も良きものがはいらない」
「なるほど」
「特にお主。お主もだぞ。
今日、お主は色々感情が乱高下していたではないか。
あれは肉体のアンテナが、重い低い感情や気を捉えてふりまわされたからだが。
我のような存在にどっしりと身を任せていれば、そういった影響も少なくなる」
「精進しますw」
「w ではないwでは。ごまかすな」
「ふぁい・・・ってこれもごまかしですね。気をつけます」
「うむ。日本人は、我のような神の存在に懐疑的であるのな。
だから『聖天』の解釈もややこしくなる。厳しい神、という評価があるのだが。
ガネーシャとしての我はそんなことないのにな。
肉体を持っているのだから、現世で利益をえて、肉体や感情に余裕ある環境をつくるのは当然だろう?
人間としての義務ですらある。
なのに、金や現世利益を追求するものを悪とする。
清廉潔白も行き過ぎると、何も住めない。
清すぎる白河は考えものなのだ」
「たしかに」
「まあ、お主は生駒聖天に行っているからな。
もし行きたくなったらお主の場合はあそこが一番ガネーシャとしての力を感じられるが・・・
まあ、別に行かんでいいぞ?」
「そうですね、行く気ないです」
「ガネーシャで画像検索して、インドっぽいガネーシャの絵を見ているのが一番だ」
「すごいことさらっといいましたね」
「聖天にいくなら、呑気で現世利益を絶賛するガネーシャ神のエネルギーにつながる、と意図しろ」
「www」
「言いたいところはそんなところだ」
「なんか色々とぶっ込まれましたが、ありがとうございますw」
「もうすこし、お前たちは弛まれ。他の外国の大雑把さを身ならえ・・・ある意味な。
いや、まあ細かくてきっちりしているのはいいことではあるが。
無理をするなということだ」
「神に心配されている日本人の気質wwwwwwwwwwwww」