久しぶりに夢を見た。
大学に通っていて、単位がとれていなくて、留年しそうとかそういう感じの夢。
いままでと違っていたのが、異なるシチュエーション。あと解像度。かなり鮮明だった。
久々にでてきたけど、どうしてかと思っていたが、そういえばその前に学歴について他人と話をしたからだ。
なんとなく、これは解消しないといけないというか、解消できるからこういう夢の見方をしたんだなと思い、夢に向き合ってみた。
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そもそも、夢のなかではいつも「単位がとれない」という恐怖、不安、パニックな感情がある。
で、起きたら「ああ、夢だった、よかった・・・もう大学卒業してるじゃん」となるのだ。
でもこれはおかしくて、そもそも私はこれまで留年したことないし、単位が足りないことはなかったし、第一志望にしていた学校には危なげながらも受かって入学している。
こんな夢を見るようなトラウマは、実際には起きていないのだ。
で、ヘミシンクを聴きながら何故なのか向き合ってみた。
まず一つ目、受験や合格・不合格への恐怖や不安という集団無意識とのつながりはあった。
左の腎臓あたりに、矢のようななにかが突き刺さっていて、案外体のなかにズルズル深く侵入していたので、それを外し燃やした。灰は自分のエネルギーに還元。
二つ目、自分の感情と実際の記憶に落差があった。
志望校への合格や、留年せず卒業するという「結果」を、脳がきちんと認知していなかった。自分の脳は受験に対する恐怖や不安の感情を過大に認知していて、それでずっとプチパニック状態な領域が存在していた。
結果をみれば、すでに学校は卒業している。でもその時にのこった受験や、合否・当落への恐怖が集団無意識とも絡まっていた。
三つ目は自己否定の感情。これは特に高校時代のもので、自分の周囲や友人たちは偏差値の高い旧帝大クラス周辺の大学に合格するものが多かった。私は地方大学に入ったのでコンプレックスだった。
しかし私の学歴というものは一般的には低くない。むしろこれで低いとか言ったら「嫌味?」といわれるレベル。
先日も、高校中退した人と話をして、お互いの学歴の話になった。私からしたら、高校中退で、学歴は中卒となる人のほうが優秀な人が多いと思っている。そういう人のほうが主体的だったり行動的なので、社会的な地位を築いたり、人間として面白い人が多いからだ。それに比べてただ大学にいった自分はノロマで主体性のない、時間を無駄にした人種であるという自嘲があった。
しかしその相手からは、大学まで学校に行き続けた、授業を受け続けた、勉強をし続けたこと自体が自分からしたら凄いことで、それができなかったら中退した自分としては、もっと学歴を誇って良いのではと言われた。
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以上を認識したとき気づいたのが、単純に自分は褒められたかったのだなということだ。
高校受験も、大学受験も、自分なりに頑張った。大学にはいっても頑張った。
自分なりに努力はした。でも進んだ領域では力が及ばないことがあった。才能、才覚、センスがなかった。努力しても、周囲のセンスある人には敵わないし、その中でそのレベルに追いつく追い越すのは無理だし、それをしても多分自分の心身が壊れるだけだなと悟らざるを得なかった。無力感と無能感が酷かった。
でも、受験や大学生活のなかで頑張ったことが、気付かぬうちに自分のなかで生きているんだと思うことにした。自分の学歴は、ストレートに仕事に繋がらなかった。むしろこれまで学歴のせいで、色々嫌なことがあった。
ストレートにはつながらなかったけど、自分には見えないところで色々役立ってるし、自分はよく頑張ったなと思うことにした。
そう意図し、決心すると、先日みた鮮明だった夢が、スゥッと消えていった。桜の花びらが散るように、夢のイメージの端のほうから、ホロホロと崩れて薄ピンク色の何かになっていった。
もう学歴や職歴を卑下するのはやめようと思った。
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そう考えると、そもそも自分が大学に入ったのって、もともと苦手な分野だったんだと気づいた。
憧れがあったから、頑張って高校時代勉強したけど、苦手なものは苦手で、才能なかったんだと気づき苦笑する。
でも、もしあのチャレンジをしなかったらもっと酷い後悔があっただろう。
で、もしもっと得意な分野で、私大もたくさん受けられたなら、もうちょい偏差値の高いところに入れていたかも。そもそも親に私大の滑り止めは禁止されていたので、大学受験は第一志望本番を2回受験するしかなかったので。
まあ志望していた領域で私大だったら学費が恐ろしく高くなるので仕方なかったけど、少なくとも練習や場慣れ目的で1−2校くらい受験させてくれてもよかったのにね。でも精神論とお金がもったいないで受験を切り抜けようとする親達だったから。そんな環境で、落ちることなく受験を突破したのだから、もうちょっと自分の基礎的な能力の高さを見直そうと思った。