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Kブログ

恒星探索、非物質、変性意識、タロット、生命の樹、西洋占星術、高次存在、ヘリオセントリック音楽 etc

学歴と認知の歪み

2022-06-16 15:17:28 | 非物質的な知覚

久しぶりに夢を見た。

大学に通っていて、単位がとれていなくて、留年しそうとかそういう感じの夢。

いままでと違っていたのが、異なるシチュエーション。あと解像度。かなり鮮明だった。

久々にでてきたけど、どうしてかと思っていたが、そういえばその前に学歴について他人と話をしたからだ。

なんとなく、これは解消しないといけないというか、解消できるからこういう夢の見方をしたんだなと思い、夢に向き合ってみた。

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そもそも、夢のなかではいつも「単位がとれない」という恐怖、不安、パニックな感情がある。

で、起きたら「ああ、夢だった、よかった・・・もう大学卒業してるじゃん」となるのだ。

でもこれはおかしくて、そもそも私はこれまで留年したことないし、単位が足りないことはなかったし、第一志望にしていた学校には危なげながらも受かって入学している。

こんな夢を見るようなトラウマは、実際には起きていないのだ。

で、ヘミシンクを聴きながら何故なのか向き合ってみた。

まず一つ目、受験や合格・不合格への恐怖や不安という集団無意識とのつながりはあった。

左の腎臓あたりに、矢のようななにかが突き刺さっていて、案外体のなかにズルズル深く侵入していたので、それを外し燃やした。灰は自分のエネルギーに還元。

二つ目、自分の感情と実際の記憶に落差があった。

志望校への合格や、留年せず卒業するという「結果」を、脳がきちんと認知していなかった。自分の脳は受験に対する恐怖や不安の感情を過大に認知していて、それでずっとプチパニック状態な領域が存在していた。

結果をみれば、すでに学校は卒業している。でもその時にのこった受験や、合否・当落への恐怖が集団無意識とも絡まっていた。

三つ目は自己否定の感情。これは特に高校時代のもので、自分の周囲や友人たちは偏差値の高い旧帝大クラス周辺の大学に合格するものが多かった。私は地方大学に入ったのでコンプレックスだった。

しかし私の学歴というものは一般的には低くない。むしろこれで低いとか言ったら「嫌味?」といわれるレベル。

先日も、高校中退した人と話をして、お互いの学歴の話になった。私からしたら、高校中退で、学歴は中卒となる人のほうが優秀な人が多いと思っている。そういう人のほうが主体的だったり行動的なので、社会的な地位を築いたり、人間として面白い人が多いからだ。それに比べてただ大学にいった自分はノロマで主体性のない、時間を無駄にした人種であるという自嘲があった。

しかしその相手からは、大学まで学校に行き続けた、授業を受け続けた、勉強をし続けたこと自体が自分からしたら凄いことで、それができなかったら中退した自分としては、もっと学歴を誇って良いのではと言われた。

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以上を認識したとき気づいたのが、単純に自分は褒められたかったのだなということだ。

高校受験も、大学受験も、自分なりに頑張った。大学にはいっても頑張った。

自分なりに努力はした。でも進んだ領域では力が及ばないことがあった。才能、才覚、センスがなかった。努力しても、周囲のセンスある人には敵わないし、その中でそのレベルに追いつく追い越すのは無理だし、それをしても多分自分の心身が壊れるだけだなと悟らざるを得なかった。無力感と無能感が酷かった。

でも、受験や大学生活のなかで頑張ったことが、気付かぬうちに自分のなかで生きているんだと思うことにした。自分の学歴は、ストレートに仕事に繋がらなかった。むしろこれまで学歴のせいで、色々嫌なことがあった。

ストレートにはつながらなかったけど、自分には見えないところで色々役立ってるし、自分はよく頑張ったなと思うことにした。

そう意図し、決心すると、先日みた鮮明だった夢が、スゥッと消えていった。桜の花びらが散るように、夢のイメージの端のほうから、ホロホロと崩れて薄ピンク色の何かになっていった。

もう学歴や職歴を卑下するのはやめようと思った。

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そう考えると、そもそも自分が大学に入ったのって、もともと苦手な分野だったんだと気づいた。

憧れがあったから、頑張って高校時代勉強したけど、苦手なものは苦手で、才能なかったんだと気づき苦笑する。

でも、もしあのチャレンジをしなかったらもっと酷い後悔があっただろう。

で、もしもっと得意な分野で、私大もたくさん受けられたなら、もうちょい偏差値の高いところに入れていたかも。そもそも親に私大の滑り止めは禁止されていたので、大学受験は第一志望本番を2回受験するしかなかったので。

まあ志望していた領域で私大だったら学費が恐ろしく高くなるので仕方なかったけど、少なくとも練習や場慣れ目的で1−2校くらい受験させてくれてもよかったのにね。でも精神論とお金がもったいないで受験を切り抜けようとする親達だったから。そんな環境で、落ちることなく受験を突破したのだから、もうちょっと自分の基礎的な能力の高さを見直そうと思った。


脳の探索をするかも

2022-06-14 21:02:59 | 非物質的な知覚

ティマイオスとか、骨の探索とかやろうかなと思ったけどなんとなく気が進まない。

で、今日、脳を探索しようと思った。

大脳半球はブロードマン領域で。細かすぎるか?あとは他の小脳中脳間脳などなど。

メモ代わりに書いておく。


直感

2022-06-14 20:16:24 | 非物質的な知覚

直感はあらためて大事だと今日思った。

くせで、どうしても成功事例をパターンにしてしまう。

なぜ成功事例をパターンにするのかというと、自信がなかったから。

強固な土台が欲しかったから。成功事例という。

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でももう、そういうのは私の段階ではないらしい。

その時その時の直感で、うまくいく。

それはまるで流浪の民のような生き方。

糸の上を、すり抜けて絶妙なバランスで渡り歩く。

直感で生きていくと言うことはそういうことだ。

ふとした疑問や疑念や不安は、糸の上で眼下の漆黒の闇を見据えて身体を強ばらせることと同義だ。

強張らせ、躊躇し、バランスを崩したら、そこは死。待つのは。

でも、笑いながら、最初から漆黒の眼下の風景なんて目に入らなければ、自然に歩んだ一歩が、奇跡の糸の上。

銀の糸、金の糸。一ミリも踏み外さない。

すべすべと軽やかに。自分の意図の上、糸の上をわたる。

たぶん、そういう覚悟が必要なんだろうな。

というか、そういう段階にきてしまった。

自分の何気なくだした足の歩。そのしたに、繊細な糸がある。

私はけっして踏み外さない、違わない。信じろそれを、信頼しろと。

そういう直感の段階。

すべてが直感に集約されるし、すべてが集約されて直感になる。


雑談:胡散臭い云々

2022-06-09 17:40:27 | 非物質的な知覚

「まあ、自分が結局一番『胡散臭い』というものに囚われていたのかもね。スピリチュアルの」

「まあそれはね」

「主、変に責任感というか正義感が強いというか、細かいというか」

「でもさー、親がスピリチュアル系とかでもなく、私みたいに人生の途中までそういうの接点なかったのに、急にグルッとそういう道に踏み入れたというか、踏み入れざるを得なくなった人間にとってはさー。やっぱこだわるじゃん?」

「たしかに」

「ぜっっっっっっっったいさ、メインガイドの仕業だよね?あれ」

(メインガイドがさっと視線をそらす)

「ここ数年で、急になんか色々できるようになったり、そっちの道に思いのほか深く分け入るというか気づいたら沼にはまっていたというか。

というか占星術でいきなり松村潔に到達して、それ以外の人の本が読めないとか、もうアレすぎよ。沼の底に到達速度早すぎ」

「あーそこはノーコメンで」

「一番最初に手をとった松村潔の本が『サビアン占星術』だもん!死ぬわ!」

「うわぁ」

「『こんな本ぜったい買わないよなーーーなんて思っていたら、数年後に買っちゃうし、読み込むし。サビアン360個の意味を追って、人間の成長にこれはすごい必要な知識!って興奮するあたりアレよアレ」

「アレ」

「ていうか、サビアンのあの本、天文暦とかデータ集のぞいても650ページあって、文字が新聞なみにちっこいんやで・・・あの情報量を書くとか、考えただけで吐く」

「貴方もかけますよ」

「やらぬ!私はのんびり白磁の砂浜でカニとたわむれたり、花壇にくるミツバチと戯れたり、餌をついばみにくる雀と戯れたりするのに忙しい生活をおくるの!人間とか本を書くとかどうでもええっちゅうに」

「見事に動物としか戯れてない」

「あとは自分の欲しいものが躊躇なく買える経済力、自由もな」

「いまガイドがセッティングしてますから」

「よろしく頼む」

「で、胡散臭いというテーマですけど」

「そうそう。胡散臭いといえば、こっち系の仕事で、霊能者というか霊視というか、そういうかんじの仕事もしたことあるけど」

「ありますね」

「妙に喜ばれたんだけど、胡散臭いの好きなのかね?みんな」

「求めているひとは多くいますから」

「占いとかね」

「そうですね」

「まあでも占いはやってるこっちも元気になるからやっても全然いいけどね。てかもうちょい易も勉強したいんだけど」

「それは後回し、っといってます」

「なぜティマイオスとかぶっこまれるんや・・・」

「グノーシスはちょっとで良い、と言ってます」

「あーあの表ねー流出ねー。あれ勉強する意味あんの?」

「探索してみ、と言ってますけど」

「まあやるけどさ」


隙間をつくるための音楽

2022-05-29 15:06:10 | 非物質的な知覚

鳥を認識するために、H12を育成するために。

http://20151225k.blogspot.com/2016/05/20160522.html

 

私感。

ベートーヴェン、はアルヴァン・ベルク四重奏団の曲と、交響曲やピアノ曲ではまったく異なるイメージ。

バッハよりも軽い感じだけど、自分が反応する感覚部位がちがって面白い。

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シェーンベルグは「Schoenberg  Die eiserne Brigade」だとyoutubeででてくる。

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ワーグナーのワルキューレを聴き始めたら鳥肌がとまらない。

「ラインの黄金」は全然ピンとこなかったけど。

「ジークフリート」「神々の黄昏」はこれから聞こう。


悪魔の召喚、どう悪魔を使うか。悪魔をどう定義するか。

2022-05-28 23:28:36 | 非物質的な知覚

これから書くことはタロットの15悪魔ではない。いわゆる悪魔、のほうに近い概念について。

非物質で悪魔を扱うことになった。私の場合は、自分の中の漆黒の池から、召喚した変幻自在の目が無茶苦茶に多い存在。鋼の錬金術師の「真理の扉」の奥の存在とか、ヘルシングのアーカードの無数の黒い目の影、セラスの左腕みたいな雰囲気。

その配下に、地上の、これまで一神教で「悪魔」とされた存在たちが無数にいて、それらに指示をだして好きなように扱える。

草野巧の『悪魔学』で下記を引用。

『そもそも悪魔とは、ユダヤ教やキリスト教のような一神教の宗教に不可欠の存在である。多神教の神々はまったく人間と同じように多種多様で、そのときどきに応じて善いことも悪いこともするので、別に悪魔がいなくても悪を説明することができるからだ。だが一神教ではそうはいかない。一神教では神は一人しかいないので、戦争や病気、人殺しなど、この世に存在する無数の悪を説明するのにどうしても悪魔が必要になるのだ。そうでなければ神は唯一絶対の善なる神になれないからである。』

 

つまり、悪魔というのは「神を唯一絶対の善なる神に仕立て上げるために、人間の意図・意識がつくった存在」であるといえる。

そのなかには、エーテル体や妖怪、妖精、神獣のような人の感情や意図からつくられた人工的な存在もいるだろうし、高次存在の別側面、分割された姿、アヴァターなものもいるだろう。

 

悪魔、というとき、自分は悪魔をどう定義するか、神をどう定義するか。そしてそれは一神教のものか多神教のものかで、非物質存在との付き合い方や協力関係が違ってくる。

別に、対価を差し出す必要はない。対価を差し出すというのも、人間が勝手に考えた妄想、想像。「対価を差し出すという信念体系、集団無意識から脱却する」と意図し、自分の隅々に染み渡ったら、別になんの問題もない。


悪魔召喚という意思決定

2022-05-26 15:25:08 | 非物質的な知覚

グノーシス、デミウルゴス、ヤルダバアト、神は妬むもの、模倣、プラトン主義

といったキーワードがでてきて、うーんこれどうすればいいかな?と思ってとりあえず探索する。

メインガイドやエンゼルさんはノーコメントで、適切なガイドは白澤さん。
その別側面?みたいな存在が今回はでてきた。見た目は悪魔。真っ黒なヤギ?の頭蓋骨をかぶり、半身半獣。

 

で、このキーワードは何かというと

簡単にいうと「人間社会をどう乗りこなしていくか」という準備らしい。

嫉妬とか黒い重い感情、擦り寄ってくるもの、忍びこんでくる物への準備、対処。

 

連れられたのが、私の内面。腹黒い、と自覚しているエネルギー空間。真っ黒な海、原初の海。サイズ的には広大な池だけど。


普段は静で凪いでいるが、私が呼び出すと真っ黒で骨だらけの悪魔、魔物がズルズルと湧き出てくる。召喚。

これを意識的に振りかざして使うと、私の場合はおかしくなる(本質ではない)が、警告や、ムカついた人間への無意識の煽りとして使う分にはOK。

いま非物質存在で、強面ボディーガードなSP的ガイドというか神が複数いるけど、ここから出てくる悪魔は、さらにそれよりも低い次元だから生身の人間を威嚇・圧倒できる。自分はいつでもこの黒い海から悪魔たちを召喚して、自分の嫌な人間を蹴散らすことができるし、それをしてもいいという自分の意思決定だけしておけばいい。

 


自分の感覚から逃げてもいいし、鈍化させても良いという事

2022-05-26 14:35:48 | 非物質的な知覚

今日気づいた事で、自分の知覚とか感覚を、あえて下げるというか鈍化することで、問題というか自分にとってイヤだとおもう事象を認識しないというのも一つの手段だということ。

昨日、久しぶりにとある人の嫌な感覚に出会った。ヌルッと懐に入りそうな打算的な人間の感覚。で、それを「イヤ」と拒絶してシャットダウンするのも確かに一つの手段だが「そういう人のヌルッとした感覚をあえて感じずに、表面上の付き合いにとどめておく」でも良いじゃないかと気づいた。どうせ小物だし、自分がそこに敏感になる必要もない。

 

感覚、知覚が繊細になればなるほど、色々と敏感になる。現象や他人の気持、集団無意識などなど。

そこの受容体や受容する感覚をあえて下げて認識しないということで、自分が人生で不快感感じることをなくせば良い。


肉体を見るというのは、自分が上から下を見る視点

2022-05-26 13:48:37 | 非物質的な知覚

人間の意識というのは、肉体からしたら「高次元」なんだろうなとおもう。

肉体の細胞や臓器、構成物に耳を傾け問いかけるというのは、高次存在が人間に対するものと同じ。人間と高次存在の立ち位置が、人間と肉体では逆になるだけ。

下から高次存在を見上げるとは逆に、上から肉体を見る。

マクロもミクロもつながっている。マトリョーシカ的共鳴。


絶賛人間を辞めたくなる期間勃発中

2022-05-25 15:16:41 | 非物質的な知覚

1週間?くらい前から意識がずっと上に引っ張られて眠い。何もやる気がしない。

人間としての活動はできるけど、本読んだりブログ書いたりは無理。

松村潔の最近のブログよんでたら、あまりにも意識が上にひっぱられて「人間やめたいな」という気持ちが出始めたのでストップをかける。

なので、いまはあまり物事を考えないし、考えられない。

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以前、デネブにはっきりと繋がった時にコンマ1秒、この世界から離れることを真剣に意図しかけた。

なんとなく、この世界で「急に肉体を離れた有名人」の理由のひとつがわかった気がする。


コンフリクト、牡牛座を鍛える

2022-05-21 20:56:20 | 非物質的な知覚

いま、肉体にくっついている過去の感覚の感情や記憶と、

いま行動しているなかで実際に感じている感覚や感情や記憶が一致しない。

コンフリクトをおこす。

なんというか、表現しづらいが

今は、とても物事を軽々と決断し、嫌な感情もなく、体力気力もあって動ける。

なのに、同時に、なんか嫌な感じを感じている。

「同時に感じている」部分のひとつが、その行動や感じた感覚に紐づけられた過去の感情、記憶など。

その整合性をいまとっている最中。


感情の残り香と、感情の存在する場所の違い

2022-05-18 15:51:35 | 非物質的な知覚

さいきん色々気づくことが多い。

感情について。

感情というものは、たとえば自分の思考や意図に存在していたり、

集団無意識(世間の空気感、常識など)にくっついているものに、知らず知らず自分が巻き込まれていて、本心はちがうのに「その感情にどっぷり浸かり、その感情を自分の本当の感情だと勘違いしている」ということもある。

 

また、「残り香」みたいな感情もある。

自分の肉体に刻まれていた過去の信念や思考の枠組み、パターンに付随している感情で、

その枠組み、思考、意識、パターンは変えたのに、感情だけまだくっつているもの。

非常に微妙な、繊細な感覚にはなるが、そういう場合非常に気づきにくい「?」という感じ。

 

ただ、逆に言えばその残り香の「?」さえ把握できるようになれば「自分」や「自分の人生」というものを、自分にとって都合よく管理しやすい。

人間が、肉体を扱うのは比較的簡単だが、感情は難しい。逆に言えば、自分の感情を精度高く認識し、管理ができれば怖いものはなくなる。


感覚の受け皿をどう使うか選択する

2022-05-17 17:49:30 | 非物質的な知覚

いままで「感情」には着目していたけど、「感覚」にはあまり気を配っていなかった。

なにかしらの刺激を、どの感覚で受け止めるかの選択を意識的にしていなかった。

だから、育った環境などによって惰性的に身につけた、重さやつらさ、疲れなどの不協和音や不調のような感覚で、いろいろな情報やエネルギーを受け止めていただけなのかも。

 

もちろん、痛みやつらさ、重さというのは「危険信号」「シグナル」「アラート」ではあるから、大切なものではある。

だけど今の私にはもう、別にわざわざその不調や不協和音の感覚をつかう必要性がないのでは?ということに気づいた。

 

だから、どうしても必要な時は、不調や不協和音の感覚をつかうし受け止めるけど、必要じゃないときはその感覚を受け皿として使わない、やめると意図した。

つかうなら、せいぜい「気になる」「ひっかかる」程度の感覚を受け皿としてつかう、と意図してみた。あとの細かな調整はガイドたちにも入ってもらってよろしく、みたいなかんじ。


不協和音的な感覚をやめる。楽なのが普通にした

2022-05-17 17:26:46 | 非物質的な知覚

「高次存在の言うことは絶対、あちらの言うことは正しい」

という思考の残り香みたいなものが背中に残って張り付いていた。

その言い分を聞いてみたら、高次存在のほうが自分より上で、彼らの言う事をきかないと自分が意図したことが叶わないと言う焦りがあった。

でも、今はもうそんなことはなくって、

自分や、自分の意図は高次存在と同等だし

自分が意図したことを叶えるために、いまやっているのは必要だからやっているだけで

「言う事を聞かないと叶わない」みたいな上下関係というか命令・「べき」はない。

 

そう思っていたら

「自分の意図が叶うのに、肉体をもった自分がつらい、重い、しんどい、苦しい、疲れた、痛いといった重さや感情を感じる事なく、『自分は特に何もしていないのに叶った!』というかんじで叶える」というイメージが降りてきた。

 

慣れていないこと、細かいことを自分がやるのはしんどいし疲れると感じるけど、それすらなくて、自分は物質世界でも「これをやる、やらない」と決めるだけで、物事がさくさく進んでいき、自分にとって疲れない慣れたことをしていくだけで、それが評価されてどんどん意図が連鎖的に達成されていくのが良い。バラが百花繚乱に次々に咲き乱れるように。

 

今までの癖で、つらさ、重さ、しんどさ、大変さ、苦しさ、疲労感、痛み、違和感といった不調・不協和音的な感情をかんじるのが「普通」という感覚があった。

でも、もうこれからは、ラクで、軽くて、充実していて、平和で、平穏で、安穏で、幸せな感覚が「普通」になる、なったと設定を上書きした。

それが「普通」なのだから、すこしでも不協和音的な感覚がでたときは、まだどこかに今までの癖とか、いまの自分にそぐわない感情、信念、囚われ、誤解がのこっていて、対処したほうがいいということ。

「普通」が不協和音じゃなくなれば、逆にわかりやすくなるし、対処もしやすい。

 

それに、もう十分、これまでつらい、重い、しんどいなんて経験してきたからもういいでしょ?って思った。でももし、「やっぱりそういう感覚をあじわいたい」とおもったら、また設定かえればいいし。いまは「楽、軽い、簡単」でいい。

あと、意図が実現されるのも、楽に簡単に達成されるのが『普通』と設定するのも必要。そうしないと、達成するのにいちいち消耗したり、時間がかかったりするという思い込みに翻弄される。

 

なので、今後は

「ラクで、軽くて、充実していて、平和で、平穏で、安穏で、幸せな感覚が『普通』になったし、自分はなにもしていない、もしくはこんな簡単なことしかしていないのに叶った!という状態になった」

と意識設定することにする。


高次元探索と肉体の健康

2022-05-17 15:02:13 | 非物質的な知覚

上とつながったり高次元を探索したり、高次存在とあうと、肉体に負担がかかる、疲れる、消耗するというのは余計なネガティブな設定だったなとあらためて感じた。

肥田式強健術を創始した肥田春充氏は、聖中心道など諸々その体系のなかで、頑強な身体、明晰な頭脳、若さ、健啖に耐えうる胃腸・消化機能を実現した。

もともとが肉体改造という意図の上でおこなっていたので、その意図のもとで上とつながり意図が実現したらそうなるよね。