小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

東芝不正経理を考える:

2015年07月26日 | 社会戯評
東芝不正経理を考える:
当期利益至上主義が、行き過ぎてしまったとか、上に対してノーと言えない企業風土とか、起業ガバナンスの実質的な屋台骨が機能していなかったとか、様々な原因と理由が喧伝されているが、「清貧とめざし」で有名になった東芝出身の経団連の土光も、草葉の陰から、憤っていることであろう。それにしても、東芝一社だけの問題であれば、それで済むかも知れないが、今日、これまでも、カネボウ、オリンパスなどの不正経理を考え合わせると、或いは、国際的な国境を跨がった集団的な損害賠償に対する株主訴訟とか、証券市場での国際的な信用の失墜を考え合わせると、100年の信用毀損というだけでは済まされないであろう。東芝という名前は、自分が、子供の頃、父が仕事の関係から、テレビも、洗濯機も、電気掃除機も、はては、蛍光灯までもが、東芝だった思い出がある。その延長線上で、パソコンも、ダイナブックを使用し続けてきたが、そもそも、そのパソコン事業の失墜や、原子力事業の頓挫も絡み合って、結局不正経理の手法が、3代の社長にも亘って、路線対立も含めて、こういう結果になったのであろうか?もともと、組織の中では、サラリーマンだったら、いつも、期末が近づくと、売り上げや利益の先取りや先送り、経費の調整などで、売り上げや利益を調整するのが当たり前で合ったような気がしないでもないが、逆説的に謂えば、そういうことを事前に、調整出来ないと管理職としては、不適切であるとばかりに云われた時代すらもあったことを想い出す。法的コンプライアンスも企業ガバナンスも、社外取締役制度の形骸化、国際的な会計監査、会計検査体制も、改めて、問い直されることになろう。それにしても、ソニーも、パナソニックもシャープも、何処もかしこも、多かれ少なかれ、何らかの構造的な問題を抱えていて、何処かの隣国の企業情報開示に関する不透明性などを揶揄出来る資格は、なかろう。この先、どういう成り行きになるのであろうか?