小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

それは、ふいに、突然やってきた!:

2013年06月12日 | 動物・ペット
それは、ふいに、突然やってきた!:
もう、3日間も、全く食事を食べなくなり、やっと、水だけを飲むのが精一杯である。玄関脇のリビングのソファーに敷布を敷いて、看病することにした。子供達からは、明日の朝、エナージー・ドリンクとスポイトと一寸甘い水を買ってあげてきて下さいねとメールが来ていた。又、犬の老衰の対処の仕方のサイトの案内も来ていたので、参考に、読んでおいた。我が老犬は、昼間は大人しかったのに、夜になると、伏せの体勢をとろうとして、何とか、起き上がろうとするのか、力を振り絞ってワンワン啼いて、起こしてくれとせがむ。夜の10時、日付の変わる零時過ぎ、午前2時頃、明け方の4時と、そして、こちらが朦朧とする中で、朝、7時には、かすれた声で、オムツを取り替えてくれと、水をくれと催促するので、脇の下を抱え上げて、綺麗な新しいオムツに着替えさせて、お水も飲ませた。すると、今度は、疲れ果てたのか、崩れ落ちるように、頭を垂れて、眠り始めた。この分なら、スヤスヤと、寝るであろうと、朝の雑事を終えて、こちらは、自分の食事とあれやこれやと、、、、、、していた。丁度、10時20分過ぎのことであった。何やら、爪で、段ボールの箱を小刻みに、ガリガリとひっかく音がするので、これは、変だなと思って、直ちに、近寄ると、右の前肢が、ぼうのように突っ張って、ガタガタ、経連を起こしているではないか?声を掛けながら、曲げたり、硬直した筋肉をさすったりしてあげるが、一向に、納まらない。ネットで、こういう症状が出ることを事前に、分かっていたものの、実際に、それが、不意にやってくると、いよいよ、くるべきべきものが来るのかと身構えてしまう。急遽、東京に残って、太陽光パネル工事の監督中の女房殿に電話したら、もう、電話口で、涙声になっていた。1時間半以上、経連が続いており、さすってあげても、ほとんど、反応はなく、次第に、鼻呼吸が苦しいのか、口での大きな呼吸になり、やせ細った脇腹の骨が大きく、波打つようになっていった。やがて、今度は、それを過ぎると小さく、徐々に力が無くなり、終いに、4肢を伸びをするようにして、刮目して、呼吸を止めてしまった。12時07分のことであった。ずっと、身体を撫でていたせいだろうか、薄い細い毛が、腰のあたりに、気が付けば、固まっていた。満18歳と4ヶ月(推定である、というのも、1995年5月に城南島の動物愛護センターから、3ヶ月の子犬で、もらい受けてきた犬であるから、、、、)の命の最期であった。子犬の頃から、大好きな散歩やリードも付けずに自由に走り回った小諸の里山に、死んだら、埋葬して上げると家族で決めていたので、まずは、亡骸を、東京の自宅へ、運んで、家族と対面してから、とりわけ、社会人となった子供達には、、、、、それから、小諸の里山に、玄関脇の太くなった松の樹と八重桜の樹の間に、埋葬することにして、未だ、ぬくもりが残る身体を撫でて、目を閉じさせ、涎を綺麗に拭いて上げて、アイスノンと氷で、冷却して、段ボールのハウスを新聞紙とタオルで、包んで一路、東京へ、一緒に、車で帰宅することにした。よく生きたね!よく頑張ったね!お疲れ様でした。ありがとう!(涙、涙、涙)



我が老犬は、この夏を越せるだろうか?どんどん、弱ってゆく:

2013年06月09日 | 動物・ペット
我が老犬は、この夏を越せるだろうか?どんどん、弱ってゆく:
「命の灯火」が、あるとしたら、きっと、我が老犬のそれは、次第に、弱々しく、まるで、手の平の上に載せた砂が、その指の間から、少しづつ、サラサラと落ちて行くように思われてならない。それは、丁度、砂時計の砂が、なくなるように、「命の灯火」が、尽きてしまうかのようである。もう右の後ろ脚は、自分の意思で、前に運ぶことが出来ず、おしりをぺったんことばかりに、地面につけてしまい、動こうともしなくなってしまう。朝食べたものを、最近では、何度か、戻して吐き出したり、「生きるエネルギー」が、枯渇してきたのか、寝るときにも、脚を投げ出して、首も横たえるようにして寝るようになってしまった。聞くところによれば、家で、放し飼いにされている犬は、死期を悟ると、何処か遠いところへ、一人で行ってしまい、自分の死ぬところを見せないそうである。我が老犬も、頭がよい犬だから、きっと、死期を悟り始めているのかも知れない。食事も少なくなってきたので、ウンチも、3分の1位になってしまった。お水を飲むのも、やっと、立って歩くのが、精一杯で、食事も、やっと、立ってするのが、せいぜいであるようになってしまった。鼻筋から、頬を撫でて上げても、ペロペロ舐め返すこともなくなってしまった。ひたすら、眠るかの如く、スヤスヤと安らかな顔で、寝むり続けている。父方の祖母が、亡くなる前に、まるで、花が枯れるように、徐々に、「生きるエネルギー」が消え失せて、眠るように、老衰で、逝ってしまったが、我が老犬も、この夏を越せるだろうか?一ヶ月前とは、随分と違って、弱々しくなってきた。まるで、「死期を悟った犬」のようである。そして、我が老犬に、「最期を如何にして迎えるか?」を教えて貰っているようである。「きっと、疲れたんだろうね。ゆっくり、おやすみなさい。でも、明日の朝は、起きるんだよ!」と、、、、、、。



我が老犬が、徐々に、歩かなくなってきた:

2013年05月30日 | 動物・ペット
我が老犬が、徐々に、歩かなくなってきた:
これまでは、階段をやっとの思いで、下り降り、自宅付近の道路を、朝晩、30分程度かけては、トボトボと臭いを嗅ぎながら、或いは、新鮮な空気や風を感じつつ、リードに引っ張られながらも、やっと歩いたものであるが、最近では、めっきり、その歩行スピードも遅くなり、その距離も、徐々に、落ち始めてきた。流石に、満年齢で、18歳3ヶ月となると、衰えを隠せないのだろうか?食事も細り、一日中、気持ちよさそうに、網戸からの風を受けながら、寝入ってばかりである。しかも、おやつのビーフ・ジャーキーも、これまでは、余り見かけなかったことであるが、口から、嚼んで食べているときに、ボロボロと、どういう訳か、こぼれ落ちることがしばしば見られるようになってきた。後ろ脚が、少々、弱ってきたのだろうか、排泄の時にも、しっかりと踏ん張れずに、お座りをする恰好になることも見られるようになった。この間には、前脚を交差するようにして、しっかりと踏ん張りながら、頑張っていたものである。一寸した落ち葉の斜面では、もう、途中で、踏ん張りきれずに、お座りを決め込んで、動けずに、終いには、フギャーンと助けを求めることしきりである。まだ、食事が細いながらも食べられるので、又、お水もきちんと飲んでいるので、大丈夫であろうと思われるが、実に心配なことである。まあ、昔の仕事上でのストレスや心配事に較べると、若い現役の人達からは、笑われそうであるが、人間の悩みや心配事、煩悩は、いつになっても、世に尽きせぬといったところであろうか?どうやら、穏やかな終末に近い介護の時を迎えようとしていることは、間違いなさそうである。いつのことやら、分からぬが、食事を受け付けぬようになったら、きっと、「その時」が、近いのであろう。「心配しないで、安心して、いつでも、傍にいてあげるからネ!」と言い聞かせている。通じてか、通じざるかは、分からぬが、心配はいらないと、手で体を撫でてやると、安心したのか、又、居眠りを始める。



今年は、シジュウカラがやってこない!:

2013年05月28日 | 動物・ペット
今年は、シジュウカラがやってこない!:
どうしたものなのであろうか?ここ5-6年、ずっと、毎年必ず、東京の梅の樹とハナミズキの樹に懸けてある各巣箱に、別々に、或いは、ある年には、同時に、G.W.開け頃には、つがいがやってきては、巣作りを始めて、おおよそ、5月半ばから下旬頃の雨の降る夜を目安に、2週間前後で、雛たちが巣立って行くのであるが、、、、、、。今年は、どうしたものか、ちっとも、巣箱に、やってこない。3月初め頃には、チャンと、事前偵察にやってきていたのに、今年は、両方の巣箱とも、全く、つがいがやってこないのは、どうしたものだろうか?去年は、巣立ちを迎えた三羽の雛のうち、2羽が、雨の降る夕方、巣箱からの飛行に失敗して、書斎のガラス窓に、激突して、仕方なく、急遽、巣箱に、無事戻し、翌日、怪我もなく、再び、巣立って行ったものであったが、、、、、。何か、今年は、一抹の寂しさが漂う。やはり、巣箱には、初夏の頃、雛のさえずりが、ふさわしいものである。もう、巣箱も、旧くなったから、新しいものに、とりかえてやらなければならないのであろうか?それとも、先日、実施した薬剤の散布が、微妙に、影響しているのだろうか、将亦、何か、今年は、巣立って行ったシジュウカラに、不測な出来事でもあったのであろうか、餌が不足していたのであろうか、等々、思い巡らせば、気が気でない。年に、一度しかないことであるから、又、もう一年、待つしかないのであろう。アホウドリや、朱鷺やコウノトリの産卵を見守っている人達は、さぞや、大変なご苦労と心配をしながら、研究に携わっていることであろうと想像する。何やら、寂しそうな巣箱が、ガラス窓越しに、こちらを見下ろしているような気がしてならない。



我が老犬の食事の作法:

2013年05月07日 | 動物・ペット
我が老犬の食事の作法:
何でも、食事の際に、箸置きを使用すると、一度、箸休めをすることによって、そう言えば、英語では、chopstick restと言うが、成程、端を休めている間に、30回くらいは、しっかりと、咀嚼するものであることに気付かされる。更には、食事の所作振る舞いが、洗練されたものになるそうでもある。その意味では、子供の頃から、箸置きを使う習慣をつけることが肝要であろう。もっとも、我が老犬には、そんな食事の作法は、通用はしない。更に、歳とともに、最近では、ドッグ・フーズを口から、ボロボロ、こぼしながら、食べる始末である。しかも、犬の野生の成せる技なのだろうか、初めに、大好物のものを、食べてしまい、後は、お構いなしであることに気づく。自分は、どうしても、大好物のものは、子供の頃から、後回しにして、まずは、嫌いなものから食するというのが、習慣である。「もっと、ゆっくり噛み砕いてから、飲み込みなさい」と勧めても、決して、気にすることもない。ひたすら、食べられる時に、必死に、食べるだけである。それにしても、うまそうに、ガツガツと、見事に食べるものである。「食べられている間は、大丈夫だね」と、よく、人に言われるが、きっと、そうなのであろう。食事の作法も、もう、どうでも良い。好きなときに、好きなものを、好きなだけ、食べれば宜しい。もっとも、そんなに、無茶苦茶に、食事やおやつを好きなだけ、与える訳ではないが、、、、、、。マイ・ペースで、食べて、長生きして下さい。


我が老犬の狂犬病注射免除手続きの件:

2013年04月18日 | 動物・ペット
我が老犬の狂犬病注射免除手続きの件:
毎年、4月初旬には、狂犬病の注射を打ちに行っているが、今年も、又、通知と共に、その季節がやってきた。そこで、かかりつけの動物病院へ、出掛けなければならないが、果たして、ほんの僅かな数百メートルの道のりも、自分で、歩いて行けるのであろうか?恐らく、まともに歩けば、30分は、最低でも掛かるかも知れない。案の定、外に出しても、自分の脚で、歩いて行こうとはしない、ましてや、知ってか知らずか、分からぬが、注射となれば、これまでは、全く、問題なく、診察台の上に、チョコンと乗せられると大人しく、我慢していたのに、、、、、、今年は、仕方なしに、抱っこをして、私が、歩くことになってしまった。これも、又、歩行リハビリの訓練であろうか?順番が来ると、抱きかかえるのにも、これまでは、威嚇などしないのに、もう、目が不自由なせいだろうか、珍しく、ヘルパーのスタッフを威嚇する、結局私が、乗せて、獣医に診てもらったが、体重も、12キロあったものが、10キロを割り込んで、痩せてきている。食欲はあるのであるが、食べる量は、減り気味である。そのせいだろうか、或いは、腫瘍の肥大化に伴ってだろうか?獣医の女医によれば、「ここまで、生きることは、大変ですよねぇ!」と言うことで、結局今年から、保健所に、狂犬病注射の特別免除願いを提出する手続きを執ることに決した。何でも角膜が傷ついていて、ドライアイ用保水眼薬を2時間毎に、差して貰いたいと言われたが、、、、、、正直言って、なかなか、難しい要請である。すっかり、元気を無くして、帰り道は、トボトボ、いつもの調子で、自宅まで、臭いを嗅ぎ嗅ぎ、ゆっくりと、老犬共々、歩いて戻って来た。今日は、暖かくなったので、事前に、シャンプーもしてあげて、冬毛が、すっかり、大量に、抜け落ちて、櫛にまとわりついたものである。注射を打たれなかったせいだろうか、一安心して、再び、自分のベッドで、早速、居眠りである。



又、一人、お友達が逝ってしまった!:

2013年04月07日 | 動物・ペット
又、一人、お友達が逝ってしまった!:
と言っても、人間の友人ではない。我が老犬の小諸の里山での幼なじみのお友達のことである。生まれた時期が近くて、子供の頃から、よく、里山で遊んでいたシェットランド・シープドッグのあすかちゃんである。神経質な犬で、よく、キャンキャンと泣くので、近所の家人から、「殺処分してしまえ!」とまで、言われたことがあったそうである。随分と犬嫌いでも、乱暴な物言いをする人がいるものである。我が老犬は、子供の時から、滅多に、自分からは吠えることなく、逆に、吠えられこそすれ、吠えることは、まずなかったものである。歳を取った今でも、余程のことがない限り、吠えることはなく、逆に、吠えるときは、何かをして貰いたいと言う意思表示であることが理解出来る。東京でも、一昨年の春先に、大型犬のおっとりしたお友達が亡くなり、その飼い主のご夫妻に、時々、散歩の時に、お会いすると、「頑張っていますねぇ!うちの犬の分まで、頑張って下さいね!」と励まされることもあった。本人は、分かってか、分からずか、実際、よく分からないが、いつものように、トボトボと、弱くなった後ろ脚をやや引きずりながら、散歩をしながら、クンクンと嗅ぎ廻っている。何とか、この冬も乗り切り、お花見が出来そうであるが、いつまで、こうして、散歩を愉しめるのだろうか?寒がり屋の我が老犬は、ストーブの前で、ゴロリと又、寝入ってしまったではないか、、、、、、。人間にも、犬にも、ご冥福と言うのがあるのかどうかは、定かではないが、ご冥福を祈って、一緒に、心の中で、合掌です。



川鵜に久しぶりに出会う:

2013年02月10日 | 動物・ペット
川鵜に久しぶりに出会う:
いつのことであろうか?自宅近くの散歩コースのひとつである善福寺川で、一羽の川鵜が、小さなザリガニをくわえて、捕食しているのを見かけたことがあった。久しぶりである。その個体だろうか?今日は、器用に、水深30センチ程の川底に生えている草の間を、嘴を伸ばしながら、何かを捜しているように、泳いでいた。草の中に、頭ごと、嘴を突っ込んだかと思いきや、見事に、一匹の小魚をくわえて、水面に、ヒョイと顔を出し、一飲みで、小魚が、左右に身をよじるのをお構いなく、飲み込んでしまった。河には、野生の鴨が、越冬し、未だ、春の旅立ちの準備は、整っていないらしい。都会の河でも、最近では、水質が改善され、カワセミも棲みつき始めているし、様々な種類の鴨や、小鷺や、蛇や20センチもあろうかと思われる甲羅を持って、悠然と泳いでいるスッポンをも観たことがある。確かに、小魚や、ドジョウやら、ザリガニなどの餌になる生き物たちが、生育しているようであるから、生存可能なのであろうか、あの川鵜の大きさからして、食事のためには、随分と、餌を毎日食べないと、生きて行けないのではないかとも思うが、、、、、。それにしても、橋の上から、眺めていたら、ひょいと水面に頭を出すや、後ろ脚を器用に、左右交互に、水面を蹴りながら、翼を大きく拡げて、川面を飛び立っていってしまった。 又、いつか、無事に、再会する日が来ることを願いつつ、、、、、。地方によっては、鮎や養殖魚をたらふく食べるとかで、自然保護か、駆除かとで、論争があるようであるが、都会では、まだまだ、自然保護なのだろうか?


節分の翌朝の散歩での出来事:

2013年02月09日 | 動物・ペット
節分の翌朝の散歩での出来事:
節分の豆まきである。我が老犬は、相変わらず、鼻をクンクン、地べたに這いつくばるようにしながら、とぼとぼ、歩みを始める。「拾い食い」は、よわいを重ねても、一向に、改まることはないようである。それが、子犬時代からの悪食・旧弊であっても、まるで、自分の「犬であるアイデンティティー」を誇示するかのように、固守している。流石に、何を拾い食いするか、分からず、とても危険なので、一緒になって、私も、地べたを舐め回すように、よく見ながら歩いて行くが、、、、、。何せ、早く見つけたものが、勝ちである。
もっとも、「節分の翌朝」は、例外である。道路には、「鬼は、外!」とばかり、恐らく、勢いよく、玄関先へ、播かれた大豆の豆粒が、散乱している。これが、車のタイヤで、轢かれて、潰れていたり、その丸い粒々のまんま、道路に落ちている。その香ばしい臭いが、堪らないのか、生来の捨て犬だった「無頼の血」が、そうさせるのか、定かではないが、我が老犬は、「待ってました。ゴッツァンです!」とばかりに、年に一度だけの公認された「拾い食い」を始めるのである。カリ、コリッと、一粒一粒、口に入れては、丈夫な歯で、口の中で、かみ砕かれた豆の音が響く。何とも、小気味よい音であることだろうか。本人は、一心不乱に、味を噛みしめながら、鼻をピクピクさせながら、大豆の豆を捜している。どういう訳か、豆は、もとより、木の実とか、晩秋になると、ドングリの実までも、果ては、口にする始末で、外側の固い皮を器用に、かみ砕いて、中身の柔らかい部分を食べてしまうのである。これまで、特段、それで、お腹を壊したこともない。もっとも、それ程、大量に、食べるわけではないが、、、、、。流石に、殻付きの胡桃の実を与えたことはない。犬は、嚼むことで、太古の野生の本能が、呼び覚まされるのであろうか、今日一日だけは、「年に一度の正式公認の拾い食いOKの日」である。少し、いつもよりも、心なしか、嬉しそうに感じられるのは、私の思いすぎだろうか?果たして、来年も、同じように、その日を迎えられるであろうか?



食文化にまつわる閑話をもう一つ:

2013年02月07日 | 動物・ペット
食文化にまつわる閑話をもう一つ:
ことのついでに、もう一つだけ、何でも、ベトナム北部には、厄落としの風習とかで、犬肉食が、繁盛しているそうである。中には、家庭で飼われているペットの犬を、一般の労働者の月給程の金額になるそうであるから、盗んできては、売り飛ばす荒っぽい犯罪が、多発しているらしい。そう言えば、朝鮮半島でも、犬肉のスープは、冬場には、身体が暖まって良いとかで、古くから、未だに、今日でも、食べられていると風聞するが、、、、。
何とも、科学的根拠のない風習であると、一蹴は、愛犬家ならずとも、出来そうもない。その昔、米国に駐在していたときに、シカゴで、ライオンや熊、ヘラ鹿の料理を提供する野獣肉専門のレストランがあって、一度だけ、お客さんと出掛けてみたことがある。もっとも、そこでは、合法的に、仕入れた肉を提供しているという触れ込みではあったが、真偽の程は、定かではない。熊の手は、何でも、利き手の方が、蜂蜜を採る方で、美味しいとか、メニューには、高額で謳われていたような気がするが、、、、。何とも、食事の最中、ずっと、壁に掛けられた剥製の動物たちの目線が、じっと、私を恨めしそうに、見下ろしているように感じられて、筋張った肉と臭みを消す香草の臭いしか、覚えていない。ということは、勿論、味の方は、最悪であったと云うことだろう。想い起こせば、随分と、ゲテモノを色々な国で、食べたものである。野外のレストランに、鉄で出来た檻があるので、お客の観賞用に、動物でも飼っているのかと思いきや、蛇や蜥蜴で、それが食用目的だったり、食べた後で、美味しいと思えたものに限って、後で、ゲテモノと知らされたり、山羊の肉なんかも、精力がつくとか、現地の人に騙されて(?)、焼き肉で、正々堂々と、これ幸いにと、一緒に、食べたりもしたし、又、ある時は、食品の衛生管理の専門家とスープを飲んでいたところ、不意に、その人が、紐のようなものを箸で、摘まみ上げたかと思うと、一言、「これは、寄生虫のようですね!」と、謂った瞬間、全員、凍りついたように、食べるのを止めたこと。そりゃそうでしょうね、にしき蛇のスープだったのだから、確かに、色々なものが、出てきますね。後から、納得しました。SARSが、一時、大流行した頃に、その原因であろうと推測されたハクビシンの肉料理が禁止になりましたが、それ以来、これをきっかけにして、所謂、ゲテモノ料理(というよりは、現地の人と同じモノを食べて、衣食をともにし、親しくなるという目的ですが、)は、それ以来、一切、食べるのを止めました。流石に、台湾の生きた猿の脳みそ食いは、鄭重に、ご辞退申し上げましたが、、、、。自分は、愛犬家であると、自認していますが、恐らく、犬のスープが、黙って出されたら、きっと、「美味しいですね!」とばかりに、飲んでしまうでしょうね。知らなければ、飲んじゃいますよ、きっと。固有の「食文化」とは、動物愛護の精神とは、やや、地平を別にするところではないかと、思いますが、、、、宗教的な意味合いから、牛肉や豚肉を食べないとか、食べてはいけないとか、身近なところで、食文化や食育について、子供の頃から、(大人になってからでも、遅くはないが)考え直してみることは、重要なことでしょうし、その民族の歴史や宗教観を、或いは、命の尊厳とかを学ぶ上でも、現地の人との相互理解の上でも、大切なことであるでしょう。もう、二度と、あのシカゴの有名なレストランには、行くことはないでしょう。きっと、、、、、。生殖細胞の技術による鯖が鮪を産むという記事から、昔の事を想い出しました。



我が老犬の誕生日に想う:

2013年02月04日 | 動物・ペット
我が老犬の誕生日に想う:
といっても、誕生日が、書類で、ハッキリしている訳でもない。出生証明書も、血統書が有るわけでもない。只単に、城南島の動物愛護センターから、二回に亘る講習終了後に、貰い受けてきた日(1995年5月1日)が、生後3ヶ月程の子犬であったという事実以外には、何らの証明書も無いのである。従って、当然、氏素性も、どんな母犬から生まれて、どんな犬が、父親だったのかは、皆目、見当がつかない。但し、4匹の姉妹犬の一匹であったことだけは、紛れもない事実である。背中の模様からすると、恐らく、シェパードの血が、何処かに、そして、前脚を一寸曲げて、臭いを嗅ぐところは、何処か、猟犬の血が、いくらか、混じっているようであることは事実であろう。小さな段ボール箱に入れられて、車で、運んでくる間中、淋しかったのだろうか、ずっと、私の左指を、舐め続けていたのを想い出す。脚の弱った父の散歩のお供に、又、私と中学生の息子の希望もあって、子犬を飼うことに決めたが、いきなり、その日は、息子の部屋で、環境の変化に慣れなかった為なのか、お腹を壊して軟便を垂らして、すさまじい臭いが、部屋中、廊下中に、充満した。近くに、開業したばかりの動物病瓶で診てもらうと、助かるかどうか、分からないとも、云われたが、何とか、その後、回復して、犬年齢満で、18歳になる。幼少の時から、散歩の時に、ティッシュ・ペーパーを、必ず、拾っては食べる癖があった。私は、氏素性が分からない(卑しい?)から、全く、悪食癖であると、いつも、叱責しながら、口にくわえた塵紙をとったものであるが、今でも、この癖は、矯正されることがない。殺処分・ガス室送りになるところを、自分の力で、こちらが呼びかける口笛に反応して、小さな足で、チョコチョコとついてきたことは、この犬の持って生まれてきたところの「運の強さ」だったのかも知れない。だから、初めから、口笛に、反応して、応えてくれた犬を、引き取ろうと決めていたのである。まさに、これに、応えたから、君は、Luckyという名前を命名されたのである。エメラルド・グリーンの瞳が、いつも、飼い主である私の眼から、アイ・コンタクで、凝視して、「絶対に、もう、目を離さないぞ」という強い意思を、その瞳の奧に、子犬の頃から、いつも感じられた。流石に、今では、もう、その瞳も、濁って、澄み切った美しいエメラルド・グリーン色の瞳は、見ることが出来ないし、目も耳も不自由になってしまい、更には、後脚も弱ってきているが、指を舐めて離さないのは、子犬の頃と同じである。シャンプーをする度に、嫌がるのも、きっと、雨に濡れて、びしょ濡れにでもなった嫌な経験からなのであろうかと、勝手に、推測したりするが、今でも、風呂場では、大きな声で、嫌がって吠えることを止めない。流石に、海外旅行にこそ、連れてはゆかなかったが、何処にでも、家族と一緒に、車で、(自分の席に、チャンとお座りして、もっとも、段ボール箱であるが、)連れて行ったものである。大好きだった父と母が逝くのを見送り、子供達の成人を見届け、後、どのくらいの時間を一緒に、過ごせるのであろうか?よしよしと、身体を撫で回してあげると、安心したかのように、目を細め、すり寄ってくる。もう、自由に、吠えたいときに吠え、歩きたいときに歩き、寝むたくなったら、寝て、自由気儘に、ストレスなく、生きてもらいたいものである。犬でも、猫でも、小鳥でも、動物というモノは、長い間、一緒に暮らしていると、大切な家族の一員になるものである。決して、目を離さないのは、アイ・コンタクトで、きっと、「私を見捨てないで下さいね!」、と見えなくなってしまった目で、訴えかけているようである。自分で、自分の生を切り拓いたから、君は、「ラッキー」なんだよ!



動物と暮らす幸せ」絵画・作文コンテスト記事に思う:

2013年02月01日 | 動物・ペット
「動物と暮らす幸せ」絵画・作文コンテスト記事に思う:
イジメだとか、児童・動物虐待であるとか、少年の自死とか、全く、暗いニュースに、接する度に、健全な人間ですら、心が痛み、精神が病んでしまいそうになる昨今である。ペットなどの身近な動物を観察し、その気持を思いやって、「動物の笑顔」を題材にして、絵画や作文で、子供達が表現をするという新聞の記事を見かけた。そこには、亡くなった愛犬とのお誕生日会での愛犬の狂おしいほどの嬉しい笑顔の表情が垣間見られたり、恐らく家族であろう人達と一緒に、祝う笑顔とともに、金魚鉢や小鳥たちも、背景にして、描かれていて、大変印象的である。お母さんが手作りしたバースデー・ケーキを前にして、お父さんとおぼしき人が、犬のゴンの好物であろう骨を持ちながら、お姉さんと並んで、拍手しながら微笑んでいる少年の笑顔は、何と、微笑ましいことであろうか?何故か、自然と、涙腺が緩んできてしまう。(最近、歳のせいだろうか、雲を観たり、絵本や本を読んでいても、涙腺が、しばしば緩むことに気付かされる、笑)しかも、それが、既に、過去にあった愉しかった愛犬、ゴンとの想い出であったと云うことを、「桜の下のお墓」という言葉で、初めて知るのである。ここまで来ると、涙が、溢れ出てきてしまう。祖母ちゃんチの17歳でなくなったココと言う犬の笑い顔、病気の時に、看病してくれたエドという愛犬のこと、双葉町から避難してきて、家族と離ればなれになり、一時預かっているピーちゃんという犬のこと、そしてその家族との再会の様子のこと、お祖母ちゃんの家で、泣いてばかりいた子犬が、ギュッと抱きしめてあげた途端に、泣き止んで、初めてコロコロと笑ったので、コロと命名した子犬のこと、等々、どの作品をとっても、動物を通じて、その同じ「命を尊重しあう」優しい心や気持だったり、「家族の一員」としての絆だったり、物言えぬ動物という相手の気持ちを「忖度」する小さな子供達の力、何よりも、「命と真摯に、向き合おうとする」そうした姿勢、力が、或いは、限りある「命との別れ」を実感・確認するそうした辛い経験を通して何かを学ぶ力が、この子供達には、しっかりと根付いているのではないかと、感じられてならない。年賀状で元気に写真に写っていた小さな甥っ子や姪っ子達は、どうしているかと、思いを巡らしてしまう。間もなく、満18歳を迎えようとする我が老犬は、相変わらず、しっかりと、いつものように、決まって、丸まって、軽い寝息とともに、午睡中である。少し、心の中に「晴れ間」を観たような気がしてならない。




我が老犬のお正月:

2013年01月15日 | 動物・ペット
我が老犬のお正月:
我が老犬殿には、休みという概念は無さそうであることは、分かっている。しかしながら、人間様には、人間の年末から年始に掛けてのお正月休みの過ごし方がある。とりわけ、普段は、毎日酒を嗜むということはなく、せいぜいが、週末や、気が向いたときに、軽く、ビールや、日本酒、料理によっては、ワインとかを家族で、飲むくらいである。お正月は、若干、別物で、一寸、美味しいお酒を、必ず、毎晩、大量ではないが、上質なお酒を、少々、飲むことにしているので、夜更かしもあってか、その翌日は、ほとんど、熟睡か、或いは、熟睡し過ぎて、逆に、明け方早くに、目が覚めるかのどちらかである。我が老犬は、クリスマス・ケーキも、お雑煮も、おせち料理も食べる訳ではないので、いつもの如く、朝から、オムツを替えてくれ、散歩はまだか、朝飯は、いつになるのか、とばかりに、初めは、フェーンと、甘え泣きで、徐々に、自己主張を初めて、大声で、吠え始めるのが、常套である。いつものように、コートを着せて、オムツを外して、オシッコとウンチを促してから、いよいよ、散歩である。それにしても寒い。外の温度計は、-4度を示している。手袋をしていても、指先が痛く感じる。トボトボ、いつもと変わらず、臭いをクンクン嗅ぎながら、歩を進めて行く。若干、後ろ脚が、衰えてきている。心なしか、家でも、後ろ脚を投げ出したり、へたり込む回数が、多くなってきたような気がするが、、、、、、、。それでも、たっぷり、30分とか、長いときには、1時間、朝晩の散歩は、欠かせない日課である。もう、人間の年齢で言えば、来月には、満92歳(犬年齢:18歳)にもなるのであるから、自由気儘に、やれば宜しい。散歩が終わるとすぐに、朝食を済ませるや否や、再び、ご就寝である。昼までぐっすり、時には、午後三時過ぎまで、、、、、、、。こんな具合に、我が老犬のお正月休みは、今年も又、無事に、終了しました。



厳冬のシジュウカラ:

2013年01月11日 | 動物・ペット
厳冬のシジュウカラ:
野生の小鳥にとって、冬の里山では、餌をどのようにとって生き抜いてゆくのであろうか?とりわけ、雪の積もった翌朝などは、餌も雪に埋もれて、探し出すのは、大変困難であろう。ベランダの餌台にふと眼をやると、その先に、緑色した繭が、クヌギの茶色の葉先に、くっついている。すると、シジュウカラが、一羽、何やら、一生懸命に、一心不乱に、その繭玉をこじ開けようとでもしているのか、嘴で、突っついている。既に、少々、外側の繭玉の糸が、何本か、ほつれ出ている。繭玉の中にいるであろう虫でも、冬のタンパク源として、食べようとでもしているのだろうか?そう言えば、時々、繭玉に穴が空いたまま、そのまま、葉先に残っているのを見つけることがあるが、毛虫の方も、うまく、羽化するモノもあれば、こうして、鳥の餌になってしまうものもあるのであろうか。なかなか、自然界は、厳しいものである。都会に住んでいるシジュウカラは、その点、小諸の里山に暮らす野鳥に較べると、ずっと、気候も暖かで、餌に恵まれているかも知れない。もっとも、その反面、車やカラスなどの予期せぬ敵との闘いが、待ち受けているのであろうが、、、、、、、。どちらが、良いのであろうか?シジュウカラに、一度、尋ねてみたいものである。シャッター・チャンスと思い、デジカメを取りに、一寸動いたら、気配を察知してか、サッと、飛び去られてしまった。(残念)




予期せぬ真夜中の出来事!:

2012年12月12日 | 動物・ペット
予期せぬ真夜中の出来事!:
既に、我が東京の小さな書斎には、消臭剤のスプレーとトイレット・ペーパーが、必需品である。今日は、午前中に、シャンプーも済ませて、その間中、いつもの如く、大きな声で、吠えまくり通しであったせいか、或いは、その興奮の為か、午前中の眠りにつくのも、ぐずぐずしていて、どうも、眠りが浅かったのであろうか?いずれにしても、その理由の如何を問わず、何故か、深夜遅くになって、突然、吠え始めた。こちらは、ほとんど、夢うつつで、完全無視を決め込んで、寝ていたものの、ただならぬその吠えかたに、仕方なく、部屋の電気をつけて、時間を確認すると、未だ、午前2時であった。寒いので、ガウンを着て、様子を見に行くと、「臭い!」、ウンチ臭いのである。ウンチをしたので、おむつを取り替えてくれと云う催促である。新しいおむつに取り替えてあげると、嬉しいのか、ペロペロ、手をずっと舐めている。少し、撫でながら、一緒に、いると、寝床に入ったのであるが、その後、再び、吠え始めた。今度も、また、異臭がする。まだ、ウンチが、し足りなかったのであろうか、おむつを外すと、今度は、柔らかいウンチがしてあった。これも、トイレで、処理して、「さぁさぁ、寝なさい」と寝床へ誘うと、素直に入って、就寝の体勢を整えた。「よし、これで、一安心!」と思って、人間様もベッドに、戻ると同時に、再び、吠え始めて、今度は、前夜食べたドッグ・フードを、口から戻し始めて、再び、それを全部、ひとかたまり、平らげている。狼の習性で、いつも、戻した未消化の餌を食べるのが、我が家の老犬の習性である。(外で、飼っていたときには、そうであった。)しかしながら、どうも、今回は、それでも納まらないらしい。未だ、クルクル時計回りに、廻りながら、吠えまくっている。そして、突然、お腹が、グーッと鳴って、ウンチの体勢をとるではないか、結局、お腹を下したためか、食べ過ぎか、分からないが、結果、オムツの軟便を、処理することになった。これで、この間、2度目のオムツのお召し替えである。そして、更に、その後で、もう一回、軟便の続きか、残りか?結局、3度目のお召し替えの後、やっと、気持ちよくなったのか?ご就寝に及ばれなされました。と思いきや、今度は、その食べたものを、ゲェーゲェーと、そこらに吐きだし始めた。踏まれぬように、汚されぬように、もう、戦場である。さすがに、こちらは、ストーブをつけていたので、臭いガス室部屋に堪えきれずに、寒い中で、シャッターを上げて、窓ガラスを開いて、換気をせざるを得なかった。これまで、お腹を下したことは、何度か、あったが、深夜に、こんな目に遭うことは一度も無かったが、いやはや、動物と一緒に、暮らすということは、大変なことであると、改めて、感じた次第である。我が老犬は、何事もなかったかの如く、すやすやと、眠りに入り始めている。吐き出したゲロは、まだ、固まっていないので、これを、処理しなければいけない。取り替えた4枚の臭いオムツも、併せて、処理しなければ、人間様は寝られない。ふと、時計に目をやると、もう既に、午前4時半である。何と、私の貴重な残り少ない人生の2時間半もの時間が、我が老犬如きに、費やされたのか?これが、仕事で、毎日、働いていたら、そんな風に思い、頭にくるところであるが、、、、、、。今は、立場が、異なるのであるから、まぁ、これも、人生、自分も、赤ん坊の時には、親に、そんな迷惑を掛けたり、自分の子供達が、同じような時に、女房殿が、やってくれていたのに、較べれば、大したことではないとも、思われよう。我が老犬は、そんなことまで、教えてくれたのであると思えば、、、、、、、、、もう、それで、良いではなかろうか、、、、、、、、。物言わぬ動物と共に暮らすことの覚悟と、同時に、そんなことも、気付かせられた。目の見えない人達は、パートナーである盲導犬がお腹を壊したら、どのように、対処しているのであろうか、、、、、、、、、とも。さて、人間様も、寝るとしようか、、、、、。どうか、朝まで、起きないで下さいと、願いつつ、、、、、、。