切り落とす わが身の影を ぬばたまの 闇夜に捨てて 逃げむとはする
*切り落とすことのできない自分の影を切り落とし、闇夜に捨てて逃げようとする。
要するに自分のやったことからどうしても逃げたいひとがよくすることだ。大勢のどさくさにまぎれるなどして、影で痛いことをしておきながら、何食わぬ顔をして永遠に逃げようとする。
だがそれはもう通用しません。
人間の感覚が進化し、もはや何も隠せなくなってきたからです。人類は見ようと思えばその人の前世も見ることができる。危ない人間は見るだけで察知して逃げることができる。
影を切って捨てることなどできはしない。捨てたつもりでもいつの間にかそこに張り付いている。自分が自分である限り、自分の影から離れることはできない。人間はそういうものなのだが、わかっていないのではないだろうが、無理にでも影を切り離そうとする人がいるようだ。
現実に目をつぶっていれば事実がそうなるとでも思っているかのように、生きている。この世に神の目の届かないところがあるとでもいうように、いつまでも逃げている。だが小便の匂いが染みついているのに、寝小便をごまかすことはできません。
いい加減にすべてを認めて元からやり直した方がよい。何度も言っていることだが、改められない人はとても多い。それが現実というものだ。
正しいことが正しいとわかっていながら、自分のしたことのあまりの愚かさに、恥ずかしさに、耐えられないと感じて逃げてしまう人は、本当にたくさんいる。
どさくさにまぎれて、すべてをうそにできないかと虫のいいことを考えている人はひとりやふたりではない。馬鹿はすべてがそう考えているのです。
このような人間を導くために、神はとても苦労してきたのだが、その堪忍袋の緒ももう切れた。神の忍耐の壁を突き破ったものは、もう神の愛の世界にはいられないのです。
世界にも限界がある。自分だけを助けるためにほかのあらゆる人たちを傷つけて平気な人間は、もう神の敵対者として世界に拒否されるのです。
逃げるなら、ほんとうに神の目の届かないところにいくがいい。
そこには、神の愛もありはしない。