かひのこと 夢を調べて 白飴の あまきすくひを 人の世に彫る
*「調ぶ(しらぶ)」はこの場合「演奏する」という意味です。「奏でて」もいいですがたまには違うことばを使うのもいいでしょう。「しらぶ」というと、現代語の意味も重なってまじめにやっているという感じがしていい。
貝の琴をならし、夢を調べて、白飴のような甘い救いの夢を、この世にきざみつけたことだ。
結果的に、かのじょの、人類のすべてを救うと言う夢は潰えました。事実上、最初から完全には無理なことではありましたが、かのじょはやろうとしていた。それをやりたいと思うのが自分であるなら、それが馬鹿なことだと思えようとも、やるのが自分というものです。
ひとり残らずにんげんを救いたい。それがかのじょの夢だったのです。アンタレスなどの厳しい天使から見れば実に甘い夢だ。それはわかっているが、だからと言って自分の望みを捨てられはしない。自分の望みのために何も努力しないことほど愚かなことはない。
それでかのじょはその夢に向かって邁進していたのだが、まさかこんな感じで完全にそれを消されるとは思ってはいなかったろう。最後の最後まで尽力して、救いの橋を保とうとしていたが、それも人類の馬鹿によって完全に否定されたのです。
かのじょは、人類のすべてを救える日記を書いて残したが、人間の馬鹿はそれをまっすぐに認めることさえできない馬鹿をやらかしたのだ。
そして現実的に、人類の馬鹿は総勢で人類を落ちるのです。ほとんど助からなかった。ぎりぎりで抜けられたものは、ほんのわずかでした。
これが現実というか、結果なのだが、まさかここまでひどいことになるとは、わたしたちの予想にもなかったことでした。人類の現実は、本当にひどかったのです。
最後の審判は、クライマックスを過ぎつつある。審判の天使は冷厳に、通るものと通れないものをよりわけています。もうあなたがたはそれにあらがうすべはない。お互いに顔を見れば、通ったものと落ちたものの見分けもつくようになった。人類は見えない色で塗り分けられていく。
白飴の救いはすべて無駄だったのか。だが、かのじょの書いた日記はみなが読んだのだ。と言うことは、救いのたねはみなが心に孕んだことになる。
なにもかもが無駄だったわけではない。それはたしかに、この世に深く彫まれた救いだったのです。