ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

空耳を

2017-03-11 04:19:03 | その他






空耳を 恋ひて探しぬ 君の声     夢詩香






*久しぶりに俳句です。今のところ、俳句を詠んでいるのはわたしだけなのです。ですから作品の数も少ないので、どうしても短歌の方に偏りがちになりますね。ほかの人にも詠んでほしいのだが、どうしても気分は短歌の方に向くらしい。

俳句では、痛いことが言えないそうですよ。

だがわたしは結構俳句が好きです。短い言葉で、小さな釘を刺すように、人の心の痛いところをつけるのがいい。

あの人は、美しい声をしていましたね。覚えている人もいるでしょう。40を過ぎたおばさんだというのに、少女のような声をしていたでしょう。なぜと思いますか。小さな子供のころから、ほとんど心が変わっていなかったからです。

人間は大人になると、なんとなく大人の声になってきます。どことなくしわがれてくる。低くなってくる。痛い感じがする。いろんなことをやってきて、口調に、どことなく苦いものが混じって来る。

それが大人っぽくなるってことなのだと、みな思ってきたのですが。本当は、悪いことをせずに、正しいことを守って生きていると、大人になってもそんなに声は濁らないのですよ。

澄んだ声は、澄んだ心から出てくるのです。

ですから声が濁っている人は、心も濁っているのです。馬鹿なことをしてしまい、未だにそれをきれいにしていないのです。何も知らないふりをしているが、自分のやったことはそうやって、みんな表に出てくるのです。

きれいなことを考えて、きれいなことをしているから、あの人の声はあそこまで澄んでいたのです。聴いていたら、たまらなく夢中になってしまったでしょう。いつまでも聴いていたかったでしょう。あの人はそう言う人。元から馬鹿なことができないという人ですから、男の人だというのに、声が女性のように澄んでいるんですよ。

あなたがたは、そういうあの人を、焦げるくらい愛していたのです。今ならわかる人もいるでしょう。

だが、その声も、もう聞こえない。肉体はまだ存続しているし、声帯も同じなのだが、霊魂が違うだけで、声の響きはまるで違う。決して、あの人の声ではない。

試練の天使もわたしもそれなりに美しい声の持ち主ですが、全然自分とは違う形に入っているので、どうしても自分にならないのです。自分で聴くのも時々嫌になるほど、今は妙な声になっています。本当は、こんなことをするのは、間違いだからです。

本当の自分の形の中にいることが、最も美しいのに、今は歪んだ形の中にいてでも、やらねばならないことがあるから、やる。あなたがたもいつか、こういうわたしたちの苦しさもわかってくるでしょう。

空耳でもいい。もう一度あの人の声を聴いてみたいと思うのは、わたしも同じです。かわいらしい声だった。愛していた。

だがもう、二度とあの声を聴くことはできないのだ。







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