ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

まつのもとがね

2017-04-11 04:19:19 | 短歌






あしひきの やまぢのまつの もとがねに のこせしふみを たれやひろはむ






*これはかのじょの作品です。2008年のもの。「あしひきの」は「山」とか「峰」にかかる枕詞ですね。一応押さえておきましょう。

山道にある松の根元に、残した手紙を、誰が拾うだろうか。

実はこの歌には、下敷きにした歌があります。吉田松陰のこの歌です。





帰らじと 思ひさだめし 旅なれば ひとしほぬるる 涙松かな    松陰





萩城下から山口へ続く街道には松並木があり、ここでいつも人が別れを惜しんだことから、涙松と呼ばれていました。松陰が安政の大獄で江戸に送られるとき、この涙松でこの歌を詠んだと言われています。

吉田松陰は、真心で国を救おうとしていました。しかし彼の活動は、馬鹿にあざ笑われるかのようにことごとくひっくり返され、道化の仕業のように滑稽なものにされてしまった。馬鹿みたいに正直に、自分を表現してしまう彼を、人々は世間のことがわからないしょうがないやつだという目で見ていた。

松陰は必死だった。恐ろしい国難が迫っているというのに、人間は何もしようとしない。狂ったようになって必死に訴えても、ほとんどの人は本気で相手にしようとしない。馬鹿になってでもやろうとしたことを、ことごとく冷めた目で見られる。それであがきにあがきまくってやったことを追及され、江戸に送られて、ばかばかしい裁判を受けて、斬首される。

何という人生だろうか。

かのじょは松陰の人生に学び、また女性だったこともあって、彼のように奇抜な行動はしませんでした。そういうことをすればどういうことをされるかわかっていたからです。ですから、国を憂えているこころを、ただ田舎の一女性としてひそかに国王の任務を代行するということで表現したのです。これならば、人々に表立って責められることはない。

だが、誰に知られることもないだろう。人に知られたとて、田舎の馬鹿なおばさんが、宗教にかぶれてやっていることだとくらいにしか、思われないだろう。そういう無理解の中を生きている自分の姿を、かのじょは松陰に重ねていたのです。

国を本気で憂えていたあの松陰の本当の心を、誰が知るだろう。知っているとしたら、たぶんこのわたしなのだと。

「やまぢのまつのもとがね」というところに、「松陰」が隠れているのがわかるでしょう。

今の時代は、平穏なように見えて、幕末よりもひどいことになっている。あの時代なら、まだ男が馬鹿になって行動することができたが、今はそんなことをしようとすれば、みんなに殺されるのだ。馬鹿の振りをしていなければ生きていけない。誰も何もできない。

そのような時代で、女性だけが国を憂え、ひそかに活動していた。国と人々のために。その心を、一体だれが知ることができるだろう。

まことというものの姿は、時に切ないほど悲しい。







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