ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

空蝉の群れ

2017-08-28 04:19:22 | 短歌





嘘のうは うつほのうなれ なにとへど かへるなき世は 空蝉の群れ





*これはわたしの作ですね。

ツイッターでは、「鶴羽の鵜」などということわざができかかっています。鵜は鵜なりに美しいのだが、鶴の白さや美しさを妬んで、わざわざ鶴の羽を自分につけて鶴の真似をしようとする鵜のことです。まあ、詳しくは説明せずともわかるでしょうが、世の中にはよくそういう人がいますね。

自分では何もやらずに、人の真似ばかりして生きている。斬新なことをしているように見えて、じつはそれは過去にあったものを焼き直して激しく洗練させているだけだったりする。いい感じに見えて、何だか胡散臭い。

胡散臭いも「う」ですね。なんだか日本語では、「う」がつくことばに痛いものが多いのです。

「うそ」「うつろ」「うれい」「うらみ」などですね。これらには、同じ語源が隠れているのではないかと推察している。

人間、言葉につまったりするとき、なんとなく「うっ」なんてことを言ったりしませんか。英語でも「oops!」なんてのがある。そこらへんがもとになって、人間の心をくじくような心の動きや現象を表すことばに、「う」がつくことばが多いような気がするのです。

そのせいもあって、鵜には悪いが、おもしろいことわざとして使わせてもらったのです。「鵜」の「う」は「うそ」の「う」、「うつほ」の「う」。愛をさかさまにしたり、さかさまにしたものに出会う時、人は思わず、「う」という。

「嘘」の「う」は「うつほ」の「う」ですよ。何を聞いても、かえっては来ない。そんな世の中は、中身のない空蝉の群れのようだ。

「うつほ」は「空」で、なかみがないことを意味します。

愛でないものは、中がなんにもなくて、からっぽだという意味です。見栄えがどんなに立派でも、何もない。何を聞いても、かえっては来ない。

わたしたちはツイッターで様々な問いかけを発していますが、世間は滅多に答えてはくれません。お馬鹿なことには結構答えるのだが、まじめに世の中を問う問いを発すると、人間世界は氷のように黙り込む。何も考えてはいないかのように。

それは、みながみな、今嘘の自分を生きているからだ。見栄えはきれいにしっかりしているかに見えて、そういう人は実は何もないのです。馬鹿なことで作った見栄えをもたすことくらいが精いっぱいなのだ。

所詮、嘘などというものはそういうものだ。空蝉のように中身がない。今の人間世界は、そういう空蝉みたいな人間ばかりがいるということなのです。

この項を書いているのは8月2日ですが、発表するのは8月の末になりますね。その頃になっていれば少しは状況は変わっているかもしれないが。

残念ながら見込みはない。嘘の中には、本当に何もないからです。嫌なことにならないように何とかするのが精いっぱいだ。本当に人間世界が変わるのは、もっともっと時間が経ってからのことになるでしょう。






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