いかにして 鶴を獲らむと 縄文の 壺にたくはふ しひの実を煮る
*謎のような歌ですが、結構意趣はわかるでしょう。「鶴を獲る」というのは、要するに、女と寝るということだ。こういう感じの隠語は、いろんなところにあります。
どうやって、女と寝たらいいかと考えながら、縄文の男が、壺に蓄えている椎の実を煮ているよ。
まあ、あの時代の男は、そういうことばかり考えていたのです。
道具は使っていたし、それなりの産業は営んでいたが、ほとんど暮らしは動物と変わらなかったのですよ。人間はほとんど、食うこととセックスすることしかやっていなかったのです。
縄文の時代は、狩りもしていましたが、椎の実なんかが主食でしたね。森の隅に簡単な住居を作って住み、火を使って煮炊きをしていました。椎の実というのはドングリのことですが、アクがあって食べにくい。それなりに何とかしていたが、まだ獣とほとんど同じだという段階だから、我慢できたのです。もう少し霊魂が進歩してくると、椎の実など食べることができなくなります。栗の実など、おいしいものでなければ食べられなくなる。それは人間が、愛の夜明けを見たからです。愛の幸福を、かけらでも知ってしまったら、獣の領域にある心に、だんだん耐えられなくなってきたのです。
だがまあ、縄文時代はまだドングリを食べていました。「椎(しひ)」にはもちろん、「強ひ」の意をかけてあります。その頃の男はセックスがしたいと思うとき、女性の気持ちなどほとんど考えませんでした。自分の欲望のままに、したいと思う女がいれば強引にやっていました。女性に選択権はありませんでした。男の腕力からくる強権には、ほとんど逆らえなかったのです。
まあこんな風に、縄文時代の男は好きなようにやっていたのです。
しかし、農耕文化の訪れとともに、結婚制度ができると、こういう暮らしもだんだんできなくなってきました。だが、農耕社会になじまなかった男は、縄文時代の自由が忘れられず、未だに好きなようにセックスがしたいと思って、あらゆる馬鹿なことをする。それが、社会悪の基本形です。もはやご存じでしょうが。いろんな悪がありますがね、要するにそれらのすべての元は、女性と結婚して家庭をつくり、ともに子供を育てていくという、高い愛の形を学ぶことを拒否した男が、昔のように好きなようにセックスがしたいという目的だけのために、あらゆる馬鹿なことをするということなのです。
彼がつぶやきで「縄文人」という言葉を発したのは、ゾスマの影響です。ああいうことを教えるのは、ゾスマですよ。獅子の星の専門用語のようなものです。馬鹿男と、ほとんど同意義です。獅子の星の仕事は、そういう風に、高い勉強もせずにずるだけでいいことになろうとして、悪いことばかりする馬鹿を、懲らしめることです。
甘く見てはなりませんよ。警察というものは、とても怖いのです。進化すれば、「縄文人」という言葉を発するだけで、恐ろしく多くの馬鹿を滅ぼすこともできるのです。
まあ、ご存じでしょう。
正しくないことをする者には、永遠の繫栄はありません。必ず、神の使いに滅ぼされます。それは思い知った方がいいですね。