夕映えの をかにたたずみ 見る月を かすかにも染む けふのかなしみ
*いつもツイッターから持って来ては何なのでね、今日のはさっき詠んだばかりのものです。夕暮れ時に詠んだので、夕映え、という言葉を呼び水にして後は引っ張り出してきました。このように、最初の五文字が決まれば、大根を引き抜くように、歌ができることもあります。
夕映えに染まる丘にたたずんで月を見上げている。その月をかすかにも、今日の悲しみが染めている。
一日の終わりというものは、その日あったこと思い返すときでもあります。いいことがあった日は、月もうきうきと楽しそうに見えるだろうが、悲しいことがあったときは、憂いにも満ちて見えるでしょう。
これは自分の主観によるもので、自分の見方によって月がそう見えるものなのか。それとも、悲しみに満ちた自分の視線を感じて、月が本当に悲しんでいるのか。
科学的には馬鹿げていると思われることでしょうがね、本当は、月も見るものの思いを感じているのですよ。そして微妙に表情を変えているのです。人間にはまだわからない不思議なところで、心というのは、大きなものとつながっているのです。
あなたが悲しみに沈んで月を見ている時、自分が悲しみに染まっているから月が悲しそうに見えるのではない。あなたの悲しみを感じて、月は悲しんでいるのです。本当ですよ。
月はあきれるほど遠いところにあるが、本当の世界ではすぐそばにいるのです。
感性が進化して来れば、いずれあなた方にも、月が言っていることがわかるようになるでしょう。そうなれば、
すべてが愛でつながっていることを、確かに感じることができるでしょう。