たわやめは 絹の棺を とをも縫い ため息ごとの 心を捨つる
*「とを」は「十」です。「トー」という発音も、古語では「とほ(遠)」と書いたり「たう(唐)」と書いたり「たふ(塔)」と書いたりしますね。「とう(頭)」もある。今ではよくわかりませんが、昔は発音が微妙に違ったのです。
こういう細かいことが、けっこう好きです。古語辞典を繰りながら、いろいろと調べています。
たおやかな女性は、絹で棺を十枚も作り、ため息ごとに自分の心をそれに納めて、捨てる。
なぜため息をつくか。それは、男に、心が何も通じないからです。男というものは、頑なに馬鹿を信じ込んでいる。痛いことをすれば万事なんとかなると思っている。だが女は、そんなことをすれば人様を苦しめて、返ってつらいことになるということを、知っている。
だが、それを男に言っても、男は決して女のいうことになど耳を貸しはしないのだ。馬鹿のたわごとだと思って、馬鹿にする。だが、長い目で見ていると、男のやることは、一時期は功を奏してよいことになるかに見えるのだが、すぐに反発をかぶって、だめになってくるものなのです。
で、男はそれで落ち目になると、地道にがんばっていた女の元に転がり込んできて、やっかいになったりすることがあるものなのだ。
結局、苦労するのは女の方だということになるのだが、男はそんな女の気持ちなどわかるはずもなく、偉そうに亭主面をして、女のやっかいものになることの言い訳を、ぶちかましていたりするのです。
どこにも持っていきようのない思いを、女はひっそりと絹の棺に捨ててきたのだ。
まあそういう歌です。
わかる人はいるでしょう。
だがもうそろそろ、絹の棺も縫いあきた。女性たちは男に愛想をつかし始めている。緒が切れた堪忍袋が、そこら中に落ちている。
男の言い訳も通用しない。女につらいことを押し付けて、ずるで何もかもをやってきたことの限界が、とうとう見えてきたからです。
これ以上馬鹿をやっていると、男はもう完全に、女に相手にされなくなりますよ。