今年4月に亡くなった黒木和雄監督の戦争レクイエム4作目。多くの人に観ていただきたいすばらしい作品である
紙屋悦子の青春
家族や友人の多くが戦争で死んでいったなか、生き残った者たちの痛恨の思いを綴った秀作。
最近、これほど笑って泣いた作品はない。
現代に生きる老夫婦の回想による、戦時下の恋物語。
特攻隊を志願した少尉が、好きだった女性を親友に託す。
老夫婦は、その女性と親友である。
音楽なし。
波の音、時計の音など、オン、オフの音が際立つ。
セリフも少なめ。
登場人物のいる場所も、現代の病院の屋上と、自宅周辺だけ。固定位置からの長回しが続く。
美術監督は木村威夫。
静かで上品な味わいがあるが、ユーモアに満ちたセリフも多い。
しかし、死にゆく者の願望を他者に押し付けるのはどうかと思う。
映画「いつか読書する日」でも、自分の死に際して、妻が夫の好きだった女性に後を託したい、と頼むシーンがあったが、妻の傲慢さや未練がましさが感じられて、納得できなかった。
戦時中には、実際にそんなこともあったのだろうとは思う。
だが、志願兵が、自分が好きな女性に、両思いであることを知りながら、残酷な頼みをするのは許せない。
お国のために死ぬのだから「イヤ」とは言えないだろう、という無言の圧力を感じるのだ。
彼女は素直に彼の頼みを聞き入れる。
親友も、志願兵が彼女を好きであることを知ったうえで求婚し、彼女の承諾を単純に喜ぶ。
あの時代特有の慎ましさや純粋さを表現しているのだろうが、もうひとひねりあってもいいのではないだろうか。
例えばこうだ。
( )内が、私のひねり(?)。
親友は、以前一度だけ志願兵と彼女の家を訪問している。そのときに芽生えた恋心を志願兵に打ち明ける。
彼は、志願兵も彼女を愛していることは知らない。
(志願兵は、「折を見てプロポーズしたら」とアドバイスするが、親友はためらっている。本作のように、後日、見合いの場を作って、親友に自分の心情を吐露してしまうようなことはしない・・・)。
出撃の前夜、志願兵は彼女の家に挨拶に来る。彼が帰った後、彼女は泣き伏す。
後日、親友は、彼女宅を訪れ、志願兵の戦死の知らせとともに絶筆となった彼女への手紙を渡す。
(彼女は、「貴女を好きだった。自分は死ぬので、親友に貴女を託したい」との文を読み、終戦後、自分のほうから求婚する。
親友は、志願兵の思いを知らずに、彼女と結婚する・・・)。
(現代の回想シーンで、彼女は、夫に手紙の内容をそれとなく語る。
夫も、彼女と志願兵との淡い恋を、そのうちに何となく感じとったので、求婚を遠慮していた、と打ち明ける・・・)。
要するに、私は、もっとストイックな描き方でもよかったのでは、と思ったのだ。
それぞれが、胸の内をあからさまにせず、死者の思いを汲みとって生きていく・・・。
本作では、その手紙は開封されない。
何が書かれていたのか、
彼女がどんな思いで読んだのか、
観客は想像するだけである。
だからこそ、私はひねりたくなったのだ。
この死者からの手紙は、死者である黒木和雄監督からの手紙でもある。
戦時下の人々の暮らしと思い、平和への願いを忘れてはいけない、と私たちに託した手紙。
余分なものをそぎ落とした、想像力をかきたてる演出は、いつまでも語り合い、語り継いでほしい、という監督のメッセージである。
★★★★(★5つで満点)
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紙屋悦子の青春
家族や友人の多くが戦争で死んでいったなか、生き残った者たちの痛恨の思いを綴った秀作。
最近、これほど笑って泣いた作品はない。
現代に生きる老夫婦の回想による、戦時下の恋物語。
特攻隊を志願した少尉が、好きだった女性を親友に託す。
老夫婦は、その女性と親友である。
音楽なし。
波の音、時計の音など、オン、オフの音が際立つ。
セリフも少なめ。
登場人物のいる場所も、現代の病院の屋上と、自宅周辺だけ。固定位置からの長回しが続く。
美術監督は木村威夫。
静かで上品な味わいがあるが、ユーモアに満ちたセリフも多い。
しかし、死にゆく者の願望を他者に押し付けるのはどうかと思う。
映画「いつか読書する日」でも、自分の死に際して、妻が夫の好きだった女性に後を託したい、と頼むシーンがあったが、妻の傲慢さや未練がましさが感じられて、納得できなかった。
戦時中には、実際にそんなこともあったのだろうとは思う。
だが、志願兵が、自分が好きな女性に、両思いであることを知りながら、残酷な頼みをするのは許せない。
お国のために死ぬのだから「イヤ」とは言えないだろう、という無言の圧力を感じるのだ。
彼女は素直に彼の頼みを聞き入れる。
親友も、志願兵が彼女を好きであることを知ったうえで求婚し、彼女の承諾を単純に喜ぶ。
あの時代特有の慎ましさや純粋さを表現しているのだろうが、もうひとひねりあってもいいのではないだろうか。
例えばこうだ。
( )内が、私のひねり(?)。
親友は、以前一度だけ志願兵と彼女の家を訪問している。そのときに芽生えた恋心を志願兵に打ち明ける。
彼は、志願兵も彼女を愛していることは知らない。
(志願兵は、「折を見てプロポーズしたら」とアドバイスするが、親友はためらっている。本作のように、後日、見合いの場を作って、親友に自分の心情を吐露してしまうようなことはしない・・・)。
出撃の前夜、志願兵は彼女の家に挨拶に来る。彼が帰った後、彼女は泣き伏す。
後日、親友は、彼女宅を訪れ、志願兵の戦死の知らせとともに絶筆となった彼女への手紙を渡す。
(彼女は、「貴女を好きだった。自分は死ぬので、親友に貴女を託したい」との文を読み、終戦後、自分のほうから求婚する。
親友は、志願兵の思いを知らずに、彼女と結婚する・・・)。
(現代の回想シーンで、彼女は、夫に手紙の内容をそれとなく語る。
夫も、彼女と志願兵との淡い恋を、そのうちに何となく感じとったので、求婚を遠慮していた、と打ち明ける・・・)。
要するに、私は、もっとストイックな描き方でもよかったのでは、と思ったのだ。
それぞれが、胸の内をあからさまにせず、死者の思いを汲みとって生きていく・・・。
本作では、その手紙は開封されない。
何が書かれていたのか、
彼女がどんな思いで読んだのか、
観客は想像するだけである。
だからこそ、私はひねりたくなったのだ。
この死者からの手紙は、死者である黒木和雄監督からの手紙でもある。
戦時下の人々の暮らしと思い、平和への願いを忘れてはいけない、と私たちに託した手紙。
余分なものをそぎ落とした、想像力をかきたてる演出は、いつまでも語り合い、語り継いでほしい、という監督のメッセージである。
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これ、舞台でみてるんですけど。見合いの場面と、夫婦の、海からの音を聞きながらの最後の方の場面しか覚えていない(T_T)。途中寝てました。映画期待してます、って、こちらにくるのは、まだ、先なんですけど。
作品が成功しているのは薩摩弁と長崎弁がユーモラスに生きているところにあると思います。あれを翻訳して外国の方が観た時に、それが伝わらないのは残念というしかありません。あの作品の優れた箇所は、そこに恐らく多くの時間を割いたことではないでしょうか。観客が笑い、泣くことができるのは、あの会話の面白みと映像にはしていない歴史的事実にこそあると思うのです。
歴史的事実はともかく外国の方や日本人の中でも薩摩弁、長崎弁の可笑しさが共感できないということは、この作品の半分が伝わらないということになるのかもしれません。
しかしながら、それでも監督のメッセージは、4部作を通してみれば明らかでしょう。ただ、これを「反戦映画」として観ることを私はしません。例えば「木下恵介監督の「二十四の瞳」についても私は反戦映画として観る視点には異議を申し立てる者です。作品の価値は、そういったイデオロギッシュな視角で決まるのではありません。あくまで、そこで人間と歴史に翻弄される実像が描けているかどうか、というのが作品の評価だと思うからです。
そういう意味で、この作品は、ありがちな踏み外しをきっちり避けているところで評価できる作品だと思うのです。
まあ、この話は、実話ですからね。息子さんの戯曲を、そのまま、過不足がないと、思ったんでしょうね。黒木さんは、ほとんど、セリフに手を入れていませんね。この役者で、あのセットで、映像化をしっかりと、セリフをリアルに定着できればいいというのが、彼の姿勢ですね。
コメント&TB失礼します。
必要最低限なものだけを写し、
余分なものが一切なく、
まさしく想像力をかきたてられました。
笑って泣けましたね。
映画ってこういうものだなぁと、
ある種エンターテイメントの王道のようにも感じました。
いつもありがとうございます
穏やかな映画でした。戦争の悲壮感を
あまり感じさせず・・・。でも戦争で失う
ものの大事さを教えてくれる映画でした。
それ以外の情景まで浮かんでくるような
作品でした。映画の内容もよかったですが、
昔の礼儀正しさの良かった部分なども再認識させられた気がします。
確かに友人に好きな人を託していってしまうのは
身勝手なのかもですが、それしか自分が安心できる
方法が無かったのかな・・と自分は解釈して
観ていました。行間を読むような映画でしたよね。
TBさせていただきます!
だから、出撃前夜のあのシーンは、「あ・うん」を思い出してましたよ~。
あの映画はベタな泣きにもっていってたな~とか、板東英二の顔とか。