チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

200517チェインブレーカー 10 vinar凸版 上側無目打ち

2008年10月12日 09時01分48秒 | 葉書
200517チェインブレーカー 10 vinar凸版 上側無目打ち

切手:
スロヴェニア: チェインブレーカー10 vinar(Mi.101) 凸版、平滑白紙、2枚貼り、上下両方ともタイプ3、上の切手は上側無目打ち
合計20 vinar

宛先: Ruma (クロアチア、正確にはSrijem郡、葉書では宛先の最下段にSremと記載)
国内葉書料金: 15 para (60 vinar)
料金不足: 40 vinar、不足料金は徴収されていません。
この葉書は、1920年5月16日の料金値上げ(国内葉書料金を15 vinarから15 paraに値上げ)の翌日の5月17日の使用例です。
料金値上げの直後のため、郵便局員が不慣れなために、旧料金で計算して不足料金を徴収しなかった可能性があります。

消印: SARAJEVO 1 17 V 20 P * (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
SARAJEVO 1郵便局1920年5月17日、消印識別記号P *
上のドイツ語K. UND K. MILIT. POSTを削除してユーゴ化した消印

到着印: RUMA 20 ? ? 8 C (クロアチア、正確にはSrijem郡)
RUMA郵便局1920年5月20日、昼間8時、消印識別記号C
不鮮明な部分が多いためはっきりとしませんが、左端の数字20は日付けを表していると思われます。
ハンガリー型消印の「年月日」をユーゴスラヴィア式の「日月年」の順に変更してユーゴ化した消印と推定しています。
ただし、ハンガリー国王の王権を象徴する「イシュトヴァーン・クラウン」と呼ばれる王冠は残されています。

1910年の国勢調査によれば、Ruma地域(Rumaの町とその周辺地域)の住人は49,138人であり、各言語を話す人の割合は、セルビア語22,956人(47%)、ドイツ語15,529人(32%)、ハンガリー語5,746(12%)、クロアチア語3,730人(8%)でした。
このようにセルビアに近いこのSrijem郡地域では、セルビア人の比率が高く、また移住してきたドイツ人の比率も高い地域であり、クロアチア人の比率はかなり低いものでした。現在はセルビア領です。
出典: Wikipedia英語版 http://en.wikipedia.org/wiki/Ruma


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