菊池平野と花房台地
もとむら歯科、院長の大石です。
先週の週末は地名研究会例会、新年会&菊鹿盆地(熊本県)のフィールドワークでした。
植木の温泉で、修学旅行のような楽しい新年会をした後、一泊し、次の日は
菊池の、中原 英先生に案内していただいて,菊鹿盆地を巡りました。
中原先生は、地質学がご専門です。
先生のお話によれば、菊地川を境にして南北で地殻が反対方向に動いているそうです。
菊池では、現在でも一晩のうちに畑が陥没して、ちいさな小屋が、そのまま落ち込んでしまったりすることがあるそうです。
50万年後には,菊池辺りは陥没して、九州は二つの島に分かれると言われています。
中原先生は、長年にわたる菊池周辺の地層の研究から、古代に、阿蘇の噴火などの地殻変動で、水がせき止められて菊池に、巨大な湖が出来た事を発見されました。
この湖は「肥後国誌」によれば「茂賀の浦」と言われていたと伝えられています。
中原先生によれば、水平な地形は、水の底に土などが,堆積してつくられるそうです。
菊鹿盆地の水平な平野は,その湖の水平堆積の跡なのだそうです。
9万年前には菊池盆地の北の「うてな台地」や、南の「花房台地」も湖の底だったそうです。
北のうてな台地から、南の花房台地を望む。遠くに見える、平らな花房台地は9万年前の湖底。
花房層
その後、数回の大きな地殻変動により、土地が陥没し、湖の水が流れ出し、湖はだんだん小さくなりました。
私たちは、盆地の高台から、また盆地の中心から菊池全体を見せていただき
数段にわたる水平堆積の跡を観察しました。
台地が数段になっている。
中原先生はさらに地層を研究されて、縄文時代に湖だった範囲,弥生時代に湖だった範囲を,それぞれ縄文湖、弥生湖と、名付けておられます。
私たちが、次に見て回ったのは、その縄文湖、弥生湖の跡です。
弥生湖の水を抜いたのは,稲作の最適地をつくるために,人為的に、行ったという,「蹴破り伝説」も残っています。
湖のふちと思われるところには連続した土地の段差があり、水路が残っています。
また、縄文湖の淵には、縄文人の墓と思われる,横穴がたくさん残っています。
弥生湖の周辺には、弥生時代に起源があると思われる神社が、並んでいます。
現在残る地名にも、昔の地形などにちなむと思われるものがあり、縄文時代、弥生時代に
その地名がすでにあったのではないかという事も考えられます。
地学と歴史が融合した、中原先生の、壮大なライフワークの研究の説明を、現地でお聴きして、間近に観察し、私たち久留米地名研究会会員は、タイムマシンに乗ったかのようなワクワク感に大興奮でした。
ブログではあまり詳しくは書けませんでしたが、すばらしい研究の詳細は、もうすぐ久留米地名研究会のホームページが出来ますので、
そちらをご覧になってくださいね。
また,中原先生に、山鹿の「方保田東原遺跡」にも案内していただきました。
ここは熊本県を代表する,弥生の大集落の遺跡です。
この遺跡からは、日本で唯一の「石包丁型鉄器」が出土し、無数の弥生式土器が,出てきます。
全国の土器も出ており、交易の中心だったこともうかがわれます。
発掘された範囲はまだ5パーセントくらいだそうですから、今からまだあっというような発見があるかもしれないそうですよ。
私の収穫。
ここからあまりに多くの土器が出るせいか、発掘調査後の土の中にも土器のかけらがたくさん埋まっています。
私たちは山になっている土の上に上り、子供のように夢中になって、土器のかけらを掘り出しました。
会員Aさんは、なんと石包丁を発見!
宝探しは大人になっても楽しいですね!
親子づれで行っても楽しめると思います。
中原先生、すばらしい一日を、本当にありがとうございました。
皆さんんも久留米地名研究会の面白いフィールドワークに、参加されてみませんか。
久留米地名研究会へのお問合せは、研究会事務局 DENTIC 内 大石耕史まで。
080-318-51518
わくわくする。
地層って奥が深いんですね。
あたしは土を見ちゃうと
何植えようかなあ~
という風になっちゃうほど
食いしん坊
昨日台所でほったらかしの
ヒヤシンスの球根から芽が出て
反省しています。
楽しいよお。
私も実家にツツジ市のたびに毎年実のなる木を買ってきて植えていたら、今年は晩ぺい柚がいっぱいなってます。
砂糖漬けしたものを(皮です)
無理やり食べさせてくれて(多分2歳くらい)
バンペイユを見るとば~ちゃんと砂糖漬けが
セットで思い出されます・・・。
今週土曜はちょっと無理かも・・。
つ=か・しょうがとホッカイロ持参って
どんな処だろう・・・。
ちょっと怖いけど見てみたい。
焼きカキはたまらんうまいです。
時間はseppoko 先生にあわせます!
いかもホタテもあるよ!
来週1月30日でした!