院長の大石です。
先日の休みに、鳥取、島根に行ってきました。



鳥取砂丘は、南北2,4km、東西16kmもの広さがあります。
この砂丘は、中国山地の花崗岩が、風化して千代川に流され、海岸に集まってできたのだそうです。
ここまで大きな砂丘ができたのには、実は人間の営みが関係しているのです。

中国地方は、古代から明治の初めまで、盛んに製鉄がおこなわれてきました。
もののけ姫にもでてくるたたら製鉄です。


山の中の渓流で、砂鉄を取って、大量の木を伐採して木炭を作り鉄を作っていました。
江戸時代の末期には、日本全体の鉄の90%を生産していたそうです。
その鉄は玉鋼と言われ、純度が高く、刃物に最も適した鋼で、日本刀に使われていました。
製鉄に使う木炭を作るために、海岸付近の大量の木を伐採するため、土壌の流出がどんどん進み、砂が海岸に堆積して、
あのような大きな砂丘になったのではないかとも言われています。
人間の営みは昔から、私たちが思っている以上に、環境に影響を与えてきたのかも知れません。

明治以降は、八幡製鉄などが、鐵を生産するようになり、たたら製鉄は廃れて行きました。
そのため、現在は、海岸の砂が流失して砂浜がなくなってきていると、鳥取の皆生温泉の海岸にあった看板に、
書いてありました。






流失を防ぐため、現在、皆生温泉の浜辺は独特の波打つ形に整備されていました。
鳥取砂丘も、現在は草木が生えないように維持しているそうです。
福岡県 糸島の元岡遺跡では、弥生時代の28基もの製鉄炉が見つかっています。
弥生時代に大原海岸の砂鉄を使って、たたら製鉄が行われていました。http://www.okunomasao.com/kodaiseitetu.html(奥野正雄先生)
この製鉄で、糸島半島の木が伐採されて、島だった糸島が半島になり、
現在の美しい白砂の海岸ができたのかもしれませんね。
また、ひもろぎ逍遥のルナさんによれば、(http://lunabura.exblog.jp/16450288/)
福岡の福津市の津屋崎でも江戸時代以降出雲より技術を導入して、たたら製鉄が行われていたそうです。
海ノ中道も、たたら製鉄のために大量に流出した砂が、堆積してできたのではと想像してみました。
歴史が身近になってなかなか面白いでしょう




久留米地名研究会
2013年 10月例回のご案内です。
2013年 10月 5日 土曜日 13:30 ~ 16:30
サン・ライフ久留米 (西鉄久留米駅南700m えーるピア久留米の隣)
「筑後川の向こう側 歯科技工士から観た古代」
大石 耕史 (久留米地名研究会 会員)
歯牙の噛み合わせの状態から、筑後川を挟んで異なった形質の人が住んでいるという
研究発表を行います。また、発掘された遺跡群と絡ませ、民族東遷の道筋も
辿ってみたいと考えています。ご興味おありの方におかれましては、
お気軽にご参加くださいませ。






















































久留米地名研究会開催のお知らせ 

























































