敬老の日、私たちは、それぞれの母をつれて、恒例のドライブに出かけました。

行く先は、山口県の、
土井が浜遺跡・人類学ミュージアム。土井が浜は、弥生時代の埋葬跡で約300体もの渡来系弥生人の人骨が、発掘された場所です。
ここに著名な人類学者の松下孝幸先生が中心になって博物館を造られたのです。
土井が浜遺跡・人類学ミュージアムは、土居が浜遺跡の内容を紹介すると共に、土居が浜弥生人の顔かたちの特徴、日本人の形質の変化、日本人のルーツについての情報を展示、発信しています。
先生は研究の結果、土居が浜の弥生人の人骨と、中国の山東省の同時代の人骨が、類似しているということを発見されました。
土井が浜の人骨は、皆、顔をはるか海上を眺めるように、中国大陸、山東省のほうに向けて埋葬されているそうです。
松下先生は、現在ここを拠点にして、日本中の人骨の研究を精力的にされています。
私たちは、鳥栖と久留米の人の総義歯をつくるときに、どうも、あごの骨の形や噛み合わせが違うようだということに気づいたことから、日本人に数タイプあるのではと考え、日本人の起源に興味を持ち、縄文人と弥生人の探求を続けています。
松下先生は、私たちが今、最もお会いしたい人の一人でした。
ミュージアムの見学が終わり、おみやげを探しに入った売店で、夫の母が、売店の人に「土井が浜の弥生人のシャーマンが、身につけていたという、南海の『ごぼうら貝』の腕輪は、ここには売ってないの?」と聞いてみました。
それは売っていないとのこと。
がっかりしていると、「今度、検討しておきましょう」と横から声をかけてきた人がいます。よく見るとその方は、なんと見覚えのある松下先生ではありませんか!
びっくりした私たちは、自分たちが、歯科関係者で、噛み合わせ

の研究をするのに縄文人弥生人のことを調べていること、松下先生の本を読んで、ぜひ質問させていただきたいことがあること、助言をいただきたいこと、などを告げたのでした。
そして、ありがたいことに先生から、自分の研究が、役に立つのならば、ぜひ利用していただきたい、人骨をお見せしましょうとのお言葉をいただきました。憧れの先生にそのような申し出をしていただいて、私たちはもう大感激です。
松下先生も、私たちと同じように、現代の日本人のあごの退化傾向に心を痛めておられ、「私たち人類学者は、これほどのスピードであごが退化するとは予測できませんでした。あごの異常に細い日本人を、超未来タイプと分類しましたが、超未来ではなく、それは現実に起こっているのです。」とお話をしてくださいました。
ミュージアムにも、「しっかり固いものを噛むように」という趣旨の注意書きをだして、日本人に警鐘を鳴らしておられます。
アジアの他の国にはまだ見られない、日本人のあごの未発達の原因は「日本人が、日本人本来の文化を棄ててしまったからだ」と言われています。わたしたちもまったくそのとおりだと思います。
私たちは、先生の熱く、穏やかなお話を伺い、オープンで、研究を、何かに役立てていただきたいという思い、広い視点のバランス感覚を、お持ちの松下先生の大ファンになってしまいました。
後日、また改めてお伺いするお約束をして私たちは、土居が浜を後にしました。
松下先生、本当にありがとうございます。私たちの縄文人、弥生人の研究も第2章に突入です。
写真は土井が浜の古代はすの花