もとむら歯科通信

きょうも元気で、おいしく食べる事ができますように!
あなたにとって何か素晴らしいことが起こりますように。

高良山の謎 NO3

2011-11-03 22:08:59 | 久留米地名研究会



今年も、11月になってしまいました。
ちょっと遅くなりましたが10月の話です。

10月は神無月ともいいますね。
それは、日本中の神様が、出雲に行かれるので、神様がいない月、神無月というのです。
出雲では、10月のことを神在月というそうです。

ところが、高良大社の神様は、10月に出雲には行かないのだそうです。
ですから高良山の10月は神在月ということになります。

これは高良山の宮司にお尋ねしたので間違いない話ですが、いったいどうしてなのかはよくわからないそうです。

高良大社は、ご祭神の玉垂尊がいったいどなたなのかが、わかっていないことをはじめ、
謎の多い神社です。  

調べていくと不思議な、おもしろい事がたくさんあります。

地名研究会で、一緒に勉強しませんか。
「ワクワクドキドキ」保証いたします。

地名研究会ホームページ
http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/


    久留米地名研究会開催のお知らせ  

11月5日 13時~17時 サンライフ久留米

中島 昭三氏 「筑後の地名から読み解く邪馬台国」

宮崎の秘境 栂尾に神楽を見に行くツアーなどもあります。
詳しくはhttp://ameblo.jp/kurume-chimei/  をご覧ください。

 
コメント (103)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10月のお誕生会 & 5周... | トップ | うつくしい 歯と歯ぐきの健康... »
最新の画像もっと見る

103 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-01-03 21:09:48
御祭神が、タケシウチノスクネ、つまりコトシロヌシノオオカミで、出雲大社のオオクニヌシノオオカミの長男だからです。長野県の諏訪神社のタケミナカタノオオカミは弟の神様で、この神様も同じく10月に出雲へ帰りません。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-05 20:26:14
そうだったのですか?だから出雲に行かないのですね。タケミナカタノオオカミは、タケシウチノスクネと兄弟なのですか?またいろいろと教えてください。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-07 03:54:18
そうです。兄弟です。タケシウチノスクネ名は、代々襲名制で、三百年も生きたというのは誤りです。神宮皇后の家臣の頃は、高良大社の辺りが本拠地だったようです。初代のタケシウチノスクネは、天孫族から国譲りを迫られ、いなさの浜で、抗議の自殺をするのです。美保神社はこれを祀っています。ここの神事は、タケシウチノスクネの自殺した事を表しています。子孫にとっては、観光客に見せるようなものではない悲しい神事です。父のオオクニヌシも天にそびえる出雲大社をつくって祀ってもらう事を条件に自害して果てます。タケミナカタは、諏訪まで行って再起をはかります。長野の地元の部族をほろぼしてしまいます。武人から戦いの神様として信仰されました。 古代出雲族は、竜蛇族―オロチ族です。諏訪神社では、冬眠しているカエルを串刺しにして神前に供える神事があります。また、今は剥製ですが、昔は鹿の首を神前に供えていました。長崎のおくんちは諏訪神社の祭りで、蛇踊りです。初代タケシウチノスクネは出雲族の水軍の長で、漁が得意でした。平安時代になると、タケシウチノスクネは恵比寿になります。恵比寿様は釣り竿と鯛を持っていますね。オオクニヌシは大黒様になります。この方は別ですが、オオクニヌシの妻のスセリヒメは弁財天になります。弁天様は海の中や池の中に祭られていますね。海に関係する所の神様は出雲族の系統です。 古代、神というのは、部族の長を表します。全国に散らばった出雲族の神が、10月に島根へ収穫の報告に行きます。収穫の悪い所へは豊作だった所から助けてやりました。これが、神在月や神無月の意味です。出雲族は、国津神。命を奪った側の天孫族は天津神。二つ部族の神々をきちんと奉らないと古代政治―政事ーまつりごとはうまくいかなかったのですね。
返信する
Unknown (大石)
2013-01-08 23:52:01
タケシノウチノスクネと、コトシロヌシノオオカミが
同一だという事を、もう少し聞きたいです。教えてください。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-10 23:52:46
古代出雲族は、先祖神がクナトノオオカミで出雲大社の出雲井神社に祀るられております。別称はサルタヒコノミコトです。50代ありました。次がオオクニヌシで17代。クナトノオオカミが、一族を連れ、東北から少しずつ移動して出雲へ来ました。そして、出雲において王となりました。最後のオオクニヌシの代で、天孫族のスパイのアメノホヒに騙されました。祭司権を奪われて国譲りをさせられした。現在の出雲大社の国造家はアメノホヒの末裔です。オオクニヌシの祟りを恐れて、名前をバラバラに分けて呪詛をかけました。オオクニヌシ神、オオナムチ神、アシハシコオ神、ヤチホコ神、ウツクシクニタマ神。 荒御魂、和御魂、奇御魂、幸御魂。さらに、此を分ける事も出来るのです。 サルタヒコノミコトは、ソコドクミタマ、ツブタツミタマ、アワサクミタマ。海で溺れて死ぬ時の名前です。住吉神社の神は、ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオ。この神は、タケウチスクネの事です。コトシロヌシは国譲りを強要され、天孫族に呪いをかけながら海へ沈んでいったのです。武内スクネの別称は建内スクネ。タケミナカタは建御名方トミノミコ。オオクニヌシが養子に入った義理の父が建速スサノオノミコト。内朝臣、うちのあそ=内宿ね、うちすくね。武・ウチスクネ。一種の尊称。タケウチスクネの異母兄弟の弟に甘美ウチスクネ、ウマシウチノスクネがいます。北九州市に旗頭神社があります。祭神は、タケウチスクネ、志賀三神、住吉三神、オオクニヌシ、コトシロヌシです。内の大臣―うちのおとど―を総大将とした武内スクネ水軍の一大拠点がここにありました。そこの部族の長の補佐をする人の敬称です。武人の頭である補佐官がタケウチウチスクネ。ヤマトタケルは、大和の国の武。畿外の人からすれば、ヤマトの武がヤマトタケル。卑弥呼も、ヒミコ―日ノ巫女―日輪の位の周波数を使って、神と話しが出来る巫女の事。一つの部族に必ずこういう巫女がいた。古代は、霊能力の高い巫女が産まれて来ないとその部族は滅びたのです。ヒミコという言葉だけを捜しと、日本中あちこちででてくる為、畿内説や九州説が生まれるのです。埼玉に高麗神社があります。祭神は、サルタヒコノミコト、タケウチスクネで、後に高麗王若光という高麗人の首長を合祀してあります。サルタヒコノミコトとタケウチスクネは縁が深いのです。 須智荒木神社の話しです。クナトノオオカミの妻アラハバキです。通称白髭明
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-11 01:15:23
クナトノオオカミの妻はアラハバキです。荒木神社の名前もアラキ―アラハバキからきているのでは?祭神は、サルタヒコノミコト、タケウチスクネ、葛城襲津彦命―タケウチスクネの子孫。ホムタワケノミコト―応仁天皇―タケウチスクネの子供、ウカノミタマノミコト―オオクニヌシの義理の兄―スサノオの息子、大日貴命―天照―スサノオの妻神です。神紋は笹りんどうです。笹りんどうの紋は源義経の紋です。義経は鞍馬寺で育てられました。鞍馬寺はサルタヒコノミコトを祀ってあります。このような繋がりから、感じ取って頂くしかありません。私も所詮、人の説の受け売りです。すみません。高良御子神社の九体王子の話しは、デタラメな話をつくってタケウチスクネの子孫がわからなくしているのでしょう。これも呪詛のようなものです。タケウチスクネの霊廟を汚しているのです。古事記は、藤原不比等に改竄され、新たに作られた日本書紀は、中国系百済人の藤原氏を天孫族の子孫のように書かせています。正当なのは、シラギ・出雲系天皇です。タケウチスクネの子孫の蘇我氏を殺した藤原氏は、百済系チュウアイ天皇を殺して出雲系神宮皇后と不倫して応仁天皇をもうけた、タケウチスクネが憎いのでしょう。蘇我氏の名前の由来は、我、蘇りけり。タケウチスクネを祭神としてきた高良大社に、書記完成の720年前後、朝廷から圧力がかかり、祭神をタマタレノミコトに書き換えさせられたのでしょう。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-11 06:04:15
藤原氏は、自分の先祖をアメノコヤネ―祝詞をつくった神にしている。これでは、不安になり、タケミカズチという神をつくって、それを先祖として祀っていた。藤大臣は、藤原氏をさす。藤原氏は、オオノヤスマロ―多氏を先祖―と共に記記の改竄、編纂した、日本の歴史を書き換えた外国人です。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-17 05:49:11
サルタヒコの子孫のアメノフユギヌの子がオオクニヌシ。部族の長の子であるオオクニヌシは、イザナギ・イザナミの侵略により、征服した側の養子になります。イ・イは、筑紫を平定して糸島市高祖山裾に根をおろします。スサノオは、出雲族を攻め従えた後に鉄器を持って、イ・イ一族は青銅器を持って、はげしく衝突します。鉄器に勝ち目がないと判断したイザナミは、イザナギに断りなく、養子のオオクニヌシを連れて、スサノオに和睦を申し入れに行きます。イザナミは幽閉され、オオクニヌシは、スサノオの娘のスセリヒメと一緒になり、スサノオの後継ぎとして出雲族の長になります。負けたイザナギは死にます。身の危険を感じたオクニヌシは、スサノオの血を引く義理の兄達を、離れた土地へ追いやります。こうして出雲族は全国へ散らばります。安日彦とナガスネヒコは大和をおさめました。そこへ、スサノオの長男天業曇五十猛と大年は攻め上ります。安・ナは東北まで下がります。勝った大年は神武天皇になります。共に攻め上った兄はヤマトタケルの事です。つまり、神武の兄の五瀬命です。 津軽で力を蓄えた安・長は、猿田彦―クナトノオオカミ―の一族の子孫と統合混血族アラハバキ族の長となり、大和を攻めます。孝昭天皇・孝元天皇はアラハバキ族系の天皇です。ここへ、イトコク―糸島市―から、スサノオの息子のヒコホホデミの子ナギサタケウガヤフキアエズの、その又子供のカムヤマトイワレヒコが攻め上って来て、スジン天皇になります。 神武天皇も、スジン天皇もハツクニシラスミマキ天皇と呼ばれ同一人物と勘違いされます。スサノオの妻の一人―天照の系統の天皇が即位となります。アマテラス系の義理の兄に、オオクニヌシは滅ぼされました。スジン天皇の御代、オオクニヌシの祟りで、国内に疫病が蔓延し、多くの民が死ぬ未曾有の危機がありました。三輪山にオオクニヌシを祀って魂をしずめました。それで名前が祟りという字をつけた祟神天皇になります。藤原氏は、天照系天皇を正当化する為の歴史書を編纂するのです。正しい所もありますが、偽りもあります。記・記だけに、とらわれると正しい歴史が見えなくなるのではないでしょうか?
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-17 11:22:23
 タケウチスクネは、孝元天皇の孫です。スジン天皇とは従弟になります。 雄略天皇の御代、襲名タケウチスクネの一子石川麿が蘇我姓を名乗ります。二代目満智に世継ぎがない為に、百済から人質となって渡日した林聖太子の孫を養子に入れたのが蘇我韓子です。韓子は、宮中に勢力をはり、朝鮮系統随一の官吏となりました。じらい、朝廷は仏教思想の移入により、異人の投入と共に仏教勢力の蔓延る所となりました。この蘇我氏をクーデターで滅ぼした藤原氏にとっては、蘇我氏を大悪人に仕立てて自分達を正義とする偽りの歴史を創り上げる必要があったのです。オロチ族―出雲族系統のオオクニヌシ、タケウチスクネ、蘇我氏というのは、天照系統のヒコホホデミの血を引いたスジン天皇を正当な天皇とする為には、邪魔な存在なのです。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-17 19:41:45
先程の書き間違えました所を訂正させて頂きます。祟神天皇は、古事記ではハツクニシラスミマキ天皇で、日本書紀ではハツクニシラススメラミコトです。神武天皇は、古事記では、カムヤマトイワレヒコで、日本書紀では、祟神天皇と同じハツクニシラススメラミコトです。失礼致しました。
返信する

コメントを投稿

久留米地名研究会」カテゴリの最新記事