もとむら歯科通信

きょうも元気で、おいしく食べる事ができますように!
あなたにとって何か素晴らしいことが起こりますように。

聖フランチェスコの祈り

2007-12-23 14:36:22 | こころ


 聖フランチェスコの祈り


わたしを平和の道具としてお使い下さい

憎しみには愛を いさかいには許しを

争いには平和を 分裂には一致を

疑いのあるところに信仰を 誤りのあるところに真理を

絶望に希望を 闇に光りを

悲しみのあるところによろこびをもたらすものに導いてください


慰められるより慰めることを

理解されるより理解することを

愛されるより愛することができますように

与えることで与えられ 赦すことによって赦され、

死ぬことによって、永遠の命が生まれるのですから


心の奥底からあふれ出てくるような、この祈りの言葉が大好きです。

この、聖フランチェスコの祈りを、開業の時、母が自分で書いて、
額にいれてプレゼントしてくれました。
それがいつの間にか、どこにしまったかわからなくなっていました。

ある夜に、その頃、すこし体調を崩して、元気がない母を、元気付ける方法はないかしらと考えているうちに、「そうだ!あの祈りの言葉をもう一度書いてもらおう。」と思い立ったのでした。

次の日の昼休み、母のいる実家に行って、「あの聖フランチェスコの・・・」と言おうとすると、母がまさにその祈りを書いた、紙を差し出したのです。

「えっ、どうして? 今日、この祈りの言葉を書いてと頼もうと思っていたのになぜわかったの?」

「なんとなく、昨日の夜、急に書きたくなったから」
母が書いたのは、私がまさに母に頼もうと決めた、昨夜10時くらいだったというのです。

不思議なうれしい出来事でした。

「心」ってつながっているのですね。

来年も、わたしの使命を果たすことができますように。

すべての人の心に平和がもたらされますように。
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症例がQDTに掲載されました。

2007-12-19 08:04:01 | もとむら歯科


補綴、歯科技工の、国際誌、QDTの12月号に、もとむら歯科の患者さんの症例が、載りました。

「新鋭歯科技工士傑作集」の1ページに、夫の技工所、DENTICの、新進気鋭の技工士、山本孝幸君の作品として掲載されています。

山本君は、日本補綴構造設計士協会会員で、日本でも指折りの、金属床のすばらしい技術を持った、技工士です。

何でも食べられると言ってくださった、患者さんの喜びが伝わって来る笑顔ですね。

待合室にも張りますので、ぜひご覧くださいね。

DENTIC
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沖縄大好き

2007-12-05 00:10:15 | Weblog


インドの女性の識字教育支援の「あしたの会・九州」のチャリティー公演に行ってきました。今年は、沖縄舞踊の公演でした。

歌舞伎の道成寺からヒントを得てつくられたという、めずらしい演目や、それぞれの島々に伝わる踊りなど、楽しませていただきました。

何よりすばらしいと思うのは、伝統的な芸能に若い人がたくさん参加していて、出演者全員の、楽しくてたまらないという思いが伝わってくることです。

ワクワクするようなエネルギーが、伝染して、私も踊りたくなりました。

話は変わりますが、沖縄のみかんご存知ですか?

シークゥワーサーは有名ですが、やんばるには、シークワーサー以外にも、たくさんの野性的なみかんがあります。

原種に近いのか、温州みかんのお菓子のような柔らかさ、甘さではなく、見かけはあまりよくありません。種もたくさん入っています。
が、どのみかんも、薫り高く、エネルギーに満ちていて、感動するおいしさです。これは絶対おすすめです。

DENTICの山本君が、沖縄に行くというので沖縄みかんを買ってきてもらいました。
うれしくて記念撮影。

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勉強会で学んだこと

2007-12-01 23:06:05 | Weblog


毎週、火曜の夜に、数人で集まって、勉強会をしています。
今は、ジェームズ・スキナーのCDを聞いています。

自己啓発というのでしょうか、夢をかなえるためは、自分が生きたい人生にするためには、どうしたらよいのかといったテーマです。

CDを聞くたびに、いろいろな気づきがあるのですが、先日の勉強会で、とてもいいことを学びました。

「嫌な感情を味わっていると気づいたら、自分が何かしら間違った考え方をしている証拠だと思いなさい。」というものです。

たとえば、誰かに言われたことで、悲しかったり、腹がたったとき、普通だったら、その人のせいで、自分が傷ついたと思いたくなるでしょう?

ところがそうではないのです。

「起こったことそのもの」には意味はないのです。
自分の考え方次第で、起こったことに、どうにでも意味を持たせることができるのです。

起こったことに、すばらしい意味づけをするのも、そのことで自分を傷つけるのも、すべて自分なのです。

厳しいことを言われたように感じて、つらい時も、この人は自分のためにあえて言ってくれているのだな、と思えばとてもありがたい言葉になります。

嫌な感情が起こったことが、これは自分の考え方が間違っているサインだ、と捕らえられれば、その時すぐに気づいて、考えを変えることができます。

人間、同じパターンの間違いを繰り返しやすいものですが、このサインに気づくことができれば、「自分を変えること」が、もっと、易しくできそうです。

また一歩、成長できそうな予感。ありがたいです。
スキナーさん、勉強会の仲間、私を成長させてくれるすべての人に、こころから感謝します。
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