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もとむら歯科通信

きょうも元気で、おいしく食べる事ができますように!
あなたにとって何か素晴らしいことが起こりますように。

メリークリスマス ご親切に感謝します

2017-12-23 00:05:54 | こころ

 

クリスマスですね。

大石家のかわいい天使ちゃんも一年ぶりです💗💗💗

 

 さて、今年は母の近況を書きますね。

この一年も母を車椅子に乗せて、何度も温泉や道の駅に行きました。

歩くのが不自由な母とのお風呂はなかなか大変です。

温泉で母が湯あたりしてのびてしまったり

湯船から上がれなくなったりと、いろいろなことが起こります。

そのような時、いつも誰かが助けてくれました。

「私は介護の仕事で慣れていますから」と言って手早く介助してくれる女性、

「自分の母親はもうなくなって、親孝行できないから」と、手伝ってくれる人など

本当に多くの人に助けられました。

人の親切がこれほど身にしみた年はありません。

 

その母が、先日一人でいる時にこけたのか、胸や腰が痛くていよいよ歩けなくなってきました。

「神様は私になんでこんなひどいことをするのか!」と怒っているので、

密かに「92なら普通だよね」と思いながら苦笑してしまいました。

でも言ったあとすぐに「生かされているのだから感謝しなくちゃね」と反省する可愛い母です。

 

歩けないながらも、家族やヘルパーさんや、デイサービスの介護士さんに助けられながら

なんとか自宅で日常生活を送っています。

本当に皆さんによくしていただいて頭が下がります。

おかげさまで少しづつ痛みがひいてきたようです。

ありがとうございます。

心から感謝します 

 

 近頃は私の時間がとれる時には、食事を介助して、歯磨きをさせ、

トイレのお世話をし、一緒に歌を歌います。

 

私が2.3歳の頃、母はよく童謡を歌ってくれました。

私が歌を歌うのが大好きなのは、きっとそのせいなのでしょう。

 

今の母のお気に入りは「ふるさと」

 

うさぎ追いし かの山 

こぶな釣りし かの川 

夢は今も めぐりて、

忘れがたき ふるさと 

 

いかに在ます 父母

つつがなしや 友がき

雨に風に つけても 

思い出いずる 故郷

 

  「誰もいなくなって、ここがふるさとになった・・」

  「この歌良いねえ。ずっと歌っていたいね」

 

母は、遠くを見るように、味わうように歌っています。

 

 こころざしを はたして

いつの日にか 帰らん

山は青き 故郷

水は清き 故郷

 

  私たちは皆、この世での使命を果たして、

  どこか懐かしい場所に帰っていくのでしょうか。

 

 温泉も楽しい思い出ですが、

母との不思議な緩やかな時間も大切にしたいと思います 

 

クリスマスの夜に世界中の人々が、心穏やかでいられますように💗💗💗

 

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父と私の物語

2016-12-24 22:54:24 | こころ

院長の大石です。

早いもので、今年も、もうクリスマスですね!

昨年は母の話を書いたので、今年は「父と私の物語」を書きたいと思います。

 私の父は、私が20代の頃、心筋梗塞のため、57歳で亡くなりました。

どんな時も優しくはげましてくれる父は、私の心のよりどころでした。

優しく、強く、大きく、尊敬する絶対の存在だった父が、突然いなくなったことは、私にとって受け入れがたいことでした。

 父の訃報を聞いた時、私の現実は急速に遠ざかりました。その後の数年間、私は悲しみも感じない、喜びも感じないう

つ状態を繰り返しました。

 父の死から数年後のクリスマス頃、集まった母と妹とともに、父の思い出を話していました。

私「私、子供の時、お父さんに秘密の場所に連れて行ってもらったことがあるよ」

妹「どこ?」

私「高良川の上流の、クヌギの木がいっぱい生えているところ。お父さんが子供の時、

いっぱいクワガタとったんだって!

妹「あ、知ってる!そこ私も連れて行ってもらったことある!秘密の場所だって言ってた。」

私「なーんだ、Yちゃんも連れて行ってもらったの?内緒だって言うから今まで誰にも言ってなかったのに。

妹「よほど好きな場所だったんだね。」

母「私も、そこに連れて行ってもらったことがある・・・』

私、妹「え~っ いつ?

母「若い頃二人で行ったことがある・・・」

私、妹「わー素敵!

 

みんな父に言われたままに、今まで内緒にしていたことがおかしくて大笑いでした。

大好きな家族を一人づつ連れてきていたなんて、なんか子供みたいで可愛くて懐かしくて泣き笑いしたくなりました。

そんな時、きっと父は少年の頃と同じ目をしていたのでしょう。

いつか大好きな人が出来たら連れてこようと思ったのでしょうか。

 

父も誰かから、その場所が秘密だよって教えられたのかもしれない。

もしかしたら、縁が薄かった自分の父親に連れてきてもらった、数少ない場所ではなかったのかしら?

父の喜びやワクワク感とともに、繊細な少年の心の悲しみさえも感じられる気がしました。

 

その後も家族との話や、様々な自分の体験を通じて、泣いたり笑ったりして、少しづつ私の心は癒されてゆきました。

父も悲しみを抱えて精一杯生きてきた一人の人間だったことに気づいた時、すべてのものにはいろいろな面があることに

気づき、私の中にも強さが見えてきた気がしました。

 

父は今でも昔と変わらず、遠くから私に愛を送ってくれているのを感じます。

お父さんいつもありがとう

 

家族が集まるクリスマス、亡き人の思い出を語ってみるのも良いかもしれませんね。

 

クリスマスの夜に、世界中の人々が、家族と喜びを分かち合うことができますように

そしてたくさんに人々に癒しが訪れますように💗

 

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クリスマスの夜に 母と私の物語

2015-12-25 23:14:53 | こころ

 

院長の大石です。

今年のクリスマスは母の事を書きたいと思います。

 

「母と私の物語」

 

母とは、18歳まで一緒に住んでいました。その後大学に入学して家をでてから、卒業、結婚し、久留米を離れていましたが、

離婚してから再婚するまで、また母と二人で生活しました。

30数年、母と暮らしたことになります。

私たちは縁が深かったのでしょう。

歯科を開業してからの母は、日常生活では、現実的で頼りになる人でした。開業で忙しい私の食事の用意や病院の事務などをしっかり手伝ってくれていました。

休みが取れると、ふたりでよく一緒に旅行に出かけました。香港、バリ島、オーストラリア、カナダ、ハワイなど、楽しい旅でした。 

時には喧嘩もしました。

母は専業主婦、私は、仕事を持ったので、日常の視点が違い、若い時には、生意気にも、母が狭い世界で生きているように感じていました。

 

その母が、もう90になります。この頃一緒にいくのは、温泉や道の駅。

大きな病気もほとんどせずに、元気ですが、ものわすれがあまりに多くなって、さっき言ったことも忘れます。

私が歯医者だという事も時々忘れるようです(笑)

日常生活にいろいろと困りながらも、ヘルパーさんの手を借りながら、なんとか自宅で生活できています。

 

母は、年々、穏やかに、子供のように無邪気になってきました。

そしていつも私たちに感謝の言葉をかけてくれます。

 とはいえ耳が遠い事もあり、私が大きな声で、注意する事もあります。

先日、母があまりにモタモタするので、つい声を荒げて、手を乱暴に引っ張ってしまいました。

母はじっと私の顔を見て、

「 私の感謝が足りないんだね 」

わたしは思わず胸が詰まりました。

そんな風に思えるなんて・・

 

母の中に神様を見たような気がしました。

思い出してみると、母はいつだって神様のような無償の愛を注いでくれていたのです。

私に気付く余裕がなかったのでしょう。

 

これまで尽くしてくれた母、いろいろ不自由しながらも、私たちのために、一生懸命、生きてくれている母。

今年のクリスマスは、母に、一番に感謝の意を表したいと思います。

ありがとう お母さん 

 

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☆ Merry Christmas ☆

2014-12-24 00:40:51 | こころ

院長の大石です。

今年も後わずかになりました。

今年は皆さんにとってどんな年でしたか?

私の一年は楽しかった事,うれしかった事,大変だった事いろいろありました。

中でも私にとってうれしいニュースがありました。

それは,日本の国民性についてのアンケートで、「人は自分も含めて誰かの役に立とうとしている」

と考える人の割合が、「人はみな自分の事だけ考えている」と思っている人の割合をはじめて上回ったというニュースです。

「人の役に立とうとしている」と考える人が,これまでで最も多く45%、「自分の事だけ」の人が42%になったのだそうです。

このニュースを聞いて、あ、これで流れが変わるんだなと、ちょっとドキドキしました。

 

自分の周りの世界は自分の鏡です。

自分が信じている世界に私たちは住んでいます。

こんな話を聞いた事はありませんか?

 

村の入り口によその村から一人の若者が来て,座っていた村のおじいさんに,たずねました。

「おじいさん,この村の人たちはどんな人たちですか」

「お前の村に人たちはどんな人たちだったのかい?」

「僕の村の人たちは,皆わがままで、強欲な人ばかりでしたよ」

「ほう,そうなのかい。この村の人たちもわがままで強欲な人たちばかりだろうよ」

 

人を疑ってばかりいると回りには自分をだまそうとする人たちが集まってきます。

人を信じると、信じられた人は,つい,その期待に答えて誠実であろうとします。

 

私はある時,自分の周りの人は、自分が思うより,私のことを一生懸命思ってくれている事に気がついてから

人との関係が以前よりずっとうまくいくようになりました。

 

これからの日本は、人に役に立とうとする人々があふれる、信頼関係に支えられたすばらしい国になっていくと

信じています。

 

人の役に立つ事は,心の深い喜びです。

すべての人にはこの世でその人にしか出来ない役割、ミッションがあります。

あなたは何をする事で人の役に立ちますか?

クリスマスにこの世界でだれのために,何をしたいのか,自分のミッションを考えてみるのはいかがですか?

クリスマスにたくさんの喜びがこの世界に満ちますように。

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♡ありがとう♡ クリスマスの夜に

2013-12-26 00:05:06 | こころ

 

院長の大石です。

今年、私たち夫婦は、大切な友人Tさんと、お別れをしました。

私たちはお互いに心から信頼できる友人として10数年のおつきあいをして来た間柄でした。

 今年の8月に、TさんのパートナーのOさんから電話があり、ここ数年からだをこわしていた、Tさんの具合が急に悪くなり、いま、緩和病棟(ホスピス)に入院していますと、告げられたのでした。

主治医から、会わせたい人がいるのなら今のうちに呼んでくださいと言われ、私たちに電話をしてくれたのです。

 私たちは、驚いて唐津の、病院に駆けつけました。

病室でのTさんは、呼吸が苦しそうでゆっくり息をしていましたが、いつものように明るい笑顔で、私たちは、少しほっとしました。

「この前、隣の病室のおじいさんが、廊下でこけそうになっているのを見て、走って行って助けようとしたら、自分がこけちゃった。自分が病人だって言う事すっかり忘れてた!」そういいながら、おかしそうに笑うTさんは、いつもと変わらぬ、やさしいTさんでした。

どんな時でも、困った人に手を差し伸べようとする、本当に天使のような人でした。

 

それから一ヶ月ほどした日曜日に、神湊に魚を食べに行こうという主人に、食べるのなら呼子のイカがいい!とお願いして、私たちは唐津に向けて車を走らせました。

久留米を出発して間もなく、唐津の病院にいるTさんの事をふと思い出し、呼子の帰りに寄る事にしました。

Oさんに電話をすると、Tさんは、1週間前から食事を一口もとらなくなり、主治医から、もっても、あと一週間くらいでしょうと言われたと言うのです。

その日にここに来るなんて、なんと言う偶然、いえ、きっと私たち、心で呼ばれたのでしょう。

病室に入る前に、Oさんが、もうしわけなさそうに言われるには、Tさんは薬のせいか意識が、もうろうとしていて、「起きていても、もうお二人を認識できるかどうか分かりません。」との事でした。

ところが私たちが、病室に入ると、眠っているはずのTさんは、奇跡のように意識がはっきりとしていて、私たちを見て、とてもうれしそうでした。

2週間ほど前に、彼女は、パートナーのOさんと、病室で入籍をして、結婚式を上げたのだそうです。     

ウエディングドレス姿の二人の写真を見て、「とてもきれいね。」という私に、Tさんは、私の顔を見ながらゆっくりと「あ、り、が、と、う」と言ってくれました。

そして、帰り際に、主人が黙って深くうなづくと、元気だったときそのままに、まるでぱっと花が咲いたようなとびきりの笑顔を見せてくれたのでした。

その二日後、Tさんのご主人から電話がかかり、T私たちが見舞いに行った次の日の夕方に、Tさんが静かに亡くなった事を知らされました。

 あのとき会えて本当に良かった。

呼んでくれてありがとう。最高のお別れでしたね。

大好きなTさん、花のようなあの笑顔、忘れません。

 今思うと、あの「ありがとう」は、私たちの、仲間すべてへの「ありがとう」だったのだと思います。

こちらこそ、たくさんの愛を本当にありがとう。

 

Tさんの思いは、私たちみんなで、引き受けたからね。

私たち、Tさんからいただいた愛を、みんなに広げて行くから、どうぞ安心していてください。

そして私たちが、勇気を持って、自分の使命を果たせるように見守ってくださいね。

 

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今年起こった素晴らしい事

2012-12-26 00:01:12 | こころ

院長の大石です。 

今年もあと、一週間を切りました。

もとむら歯科にとっては、20周年の記念イベントなど、すばらしい事がたくさんあった2012年でした。

そしてもとむら歯科に、奇跡がまた一つ。

20周年のときにいただいた、直径10センチほどの小さな鉢の、黄色のハイビスカスが、7月からずっと咲き続けています。

 

ひとつひとつが、うっとりするような優しい色合いの大輪です。

花の大きさが、鉢の大きさと同じくらいです。

その花が、7月からいままで、もう何十個咲いた事でしょう。

冷え込む12月になってもまだ咲き続けています。

 

日当りがいいからとか、肥料がたっぷりだったから、子孫を残したいからとか思っていましたが、今日、咲き続ける理由が、それだけではないという事に、気づきました。

花が咲くという事は、ただの生きるための本能(植物にこの言葉は適切でないかもしれませんが?)のためだけではなく、その木に取って「愛」の表現そのものなのです。

花は、生きている喜びとか、うれしさとか、あふれる生命力の現れなのです。

それは、見る人を、皆、感動させます。

その明るく優しく喜びにあふれた黄色の花に、スタッフも患者さんも、どんなにか癒された事でしょう。

私たちスタッフも、患者さんんもこのハイビスカスさんが大好きです。

その気持ちに答えるように、また一生懸命咲いてくれています。

ハイビスカスさん、美しい花をたくさん咲かせてくれて、本当にありがとう。

心から感謝しています。

 

自分では気づいていないかもしれませんが、私たち人間にとっても、自分のためだけに生きる事をこえて、「愛」を表現する事は、人生の醍醐味なのです。

自分の心が、何を一番喜ぶのか、少しだけ心の小さな声に耳を傾けてみてくださいね。

自分の中の、深い大きな、静かな愛にきっと気づくでしょう。

 

 

クリスマスの夜、たくさんの愛が、この世界に満ちますように。

 

 

 

 

 

 

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今年おきた奇跡

2011-12-25 10:14:46 | こころ



わたしにとって、今年一番のプレゼントは、
友人のMさんの病気が、奇跡的に回復した事です。

Mさんは、一年前、がんと告知されました。乳がんから肺への転移もあり、医者から、「3ヶ月の命です。覚悟してください。」
と宣告されました。 

私たち夫婦は、驚いてお見舞いに行きましたが、その時、Mさんは息をすることさえ苦しそうでした。
でも彼女は、「私はまだ死ぬ気はないから、大丈夫。来てくれてありがとう。元気が出た」と、とても喜んでくれました。

私たちは奇跡が起こる事を願うばかりでした。

それから1年、がんの治療と歯の治療をして行くうちに、彼女のがんは、どんどん小さくなり、
体力も回復して、10月には、なんと退院してしまいました。   

告知した病院の先生も、信じられないとたいそう驚かれたそうです。
先日忘年会であった時には、以前のように輝いていて、本当に安心しました。

余命告知されても、自分の生きる意思を貫いたMさん。
彼女には,まだしたい事がたくさんあるのです。

パートナーと一緒に生きる事。
恵まれない人々に奉仕する事。

心いっぱいの彼女の思いが、天に通じたのでしょう。

もともと無私の心をもった観音様のようなMさん。
いつも「ありがとう」の言葉を忘れないMさん。
わたしの大、大好きなMさん。

ますますパワーアップして自分の生きたい素敵な人生を、十分に生きてくださいね。
私たちも精一杯応援します。

来年もすべての人に、多くの奇跡が起こりますように。
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ユニセフの募金

2010-12-23 20:57:55 | こころ


今年も終わりに近づきましたね。

もとむら歯科は、今年から年末に、みんなで、子供達のためのユニセフの募金をすることにしました。


お釈迦様はある時、インドで一番貧しい村に、托鉢にいくと、弟子たちに言われたそうです。

インドで最も貧しい村といえば、村人は、他人に施しをするどころか、自分たちの毎日の食べ物にも困っている、生きていくだけで精一杯なのです。

なんでそのような人々に托鉢をしてもらいに行くのか、いぶかしく思った弟子はお釈迦様に尋ねてみました。


するとお釈迦様は、
「貧しい村だからこそ、いくのだよ。施しをされるより人に施しをする人が、一番豊かになるのだ。
人に施しをする事ほど、生きていく力を生み出す事は、他にないのだから。」と言われたそうです。


人間にとって、だれかの役に立つ事は、心の底から湧き出る、何より大きなエネルギーになるのですね。


皆さんも、だれか他の人のためにも、自分のためにも、だれかの役に立てる事を、
何か始めてみませんか。

http://www.unicef.or.jp/ 日本ユニセフ協会


写真は今朝の霧です。
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亡きお父さんとの約束 花園で優勝

2010-01-24 10:05:18 | こころ


今年,花園の全国高校ラグビーフットボール大会で優勝した,福岡東高校ラグビー部の、NO8の秋山哲平君が、定期検診に見えました。

哲平君は、小学校のときから、いつも学校のお休みに検診にきてくださっていますが、一本も虫歯がありません。

すばらしい笑顔で記念撮影です。
居合わせた患者さん、スタッフもみな、哲平君の大ファンになってしまいました。

実は、哲平君のお父さんは、3年前、がんでおなくなりになりました。
花園で優勝することは、お父さんとした最後の約束だったのです。

優勝おめでとう!

本当にすばらしいよ、哲平君。

私たちは哲平君に大きな勇気をいただきました。


どんな時だってピンチはチャンスだよね!



毎日新聞の記事より

全国高校ラグビー:東福岡・秋山哲平選手、亡き父に贈る日本一
 
◇花園に、あなたがいる気がしました。
 
第89回全国高校ラグビーフットボール大会決勝で7日、桐蔭学園(神奈川)を破り、優勝した東福岡(福岡)。ナンバー8の秋山哲平選手(3年)は07年春、54歳で亡くなった父龍男さんと交わした「花園で日本一に」との約束を胸に5試合にフル出場、優勝の原動力となった。左ひざを負傷、テーピングした足で走り続け、父との約束を果たした。
 3年前、秋山選手は同じ花園ラグビー場で悔し涙を流した。中学生日本一を決める全国ジュニアラグビー大会決勝に九州選抜の一員として出場、大阪府選抜に3点差で敗れた。父に見せた最後のプレーになった。大会直後、龍男さんは末期の肝臓がんと判明した。
 「テツ、お前が今すべきことはラグビーじゃない。お父さんと一つでも多くの約束をすることだよ」。龍男さんの闘病生活が4カ月目に入った07年4月、親元を離れて寮生活を始めた秋山選手に、谷崎重幸監督(51)はそう言って、帰宅を命じた。病室で昏睡(こんすい)状態に陥る直前の龍男さんの手にお守りを握らせ、秋山選手が「絶対に花園で日本一になるから」と誓った。父は酸素マスクを着けたまま「ありがとう」。これが最後の言葉となった。
 昨年11月の県大会決勝で秋山選手は靱帯(じんたい)を部分断裂し、2週間入院したが、全国大会では初戦から登場。7日も「ダンプカー」と呼ばれる力強い突進や激しいタックルを見せた。チームは秋山選手がレギュラーに定着して1年間、公式戦無敗を貫いた。
 母悦子さん(54)は「あの時」のお守りを手にスタンドで声援。試合後、応援席から手を伸ばして秋山選手と握手して「テツ、ありがとう。約束果たせたね」と目を潤ませた。
 秋山選手は「試合前にお父さんがいるような気がして、スタンドを見渡した。亡くなってから、長かった」。3年前に花園で流した涙は、うれし涙に変わった。【朴鐘珠】

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クリスマスの夜に

2009-12-24 00:11:22 | こころ


TFT協会は、世界でボランティアをしている話は以前書きました。

アフリカで、TFTの訓練をうけた日本人のボランティアが、ある村人にTFTをしました。

その男の人は、目の前で家族全員が殺され、自分も首に斧がささったまま
放置され、九死に一生を得たのです。

それから、10数年、その男性はその出来事のトラウマによって、昼はフラッシュバック(突然そのときと同じ感情がよみがえる事)、
夜は悪夢に苦しめられ、毎日苦しい日々を送っていました。

彼は、その日ボランティアからTFTを受けて、今までの苦しみが消えて、すっかり楽になり、喜んで帰っていきました。

翌日、その人はまたやってきました。

「昨日までの心の苦しみは本当に楽になりました。ただ傷を受けた首のところが痛むのでとってください」とその人は言い、
ボランティアのメンバーは、今度は痛みを取り除くTFTを行いました。

すると、すっかり元気になった彼は、次の日、こんどは村人を20人くらいつれてやってきました。
「この人たちの苦しみもとってあげてほしい」と彼は言いました。

ボランティアは、村人たちにTFTをしました。
そして村人たちもまた悪夢から逃れる事が出来たのです。

苦しみから解放されたその男の人は、いまでは、自分の家に、親を失った3人の子供を引き取って、育てているそうです。

人間は、恐れや苦しみから解放されたとき、今度は他の人を助けようとする、愛の行動をとるようになるのだと、
キャラハン先生ご夫妻は言われていました。

人は、障害が取り除かれ、本来の自分にもどったとき、人を愛するようにできているのですね。
これって、すばらしい事だと思いませんか?

来年も、私たちが、人々が自分の苦しみや痛みを取り除き、本来の自分になるためのお手伝いが出来ますように。

クリスマスの夜に世界中の人々がハッピーでいられますように。

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「おくりびと」を見ました

2009-03-30 07:47:08 | こころ


久留米市の歯科、もとむら歯科医院の大石です。

今日はとてもうれしいことがありました。

この春、東京の大学に進学するT君の、今日は上京前の最後の治療でした。
T君は、初めてもとむら歯科で治療したのは、小学生のときでした。

あんなに可愛かった子が、立派に成長して大学生になるのは、
私たちにとっても、大感激です。

そのうえ、T君の、「ブログ読みますから、ぜひ更新してくださいね。」
とのお言葉。

うれしいです!!
がんばります!!

T君も東京で、たくさん勉強して、たくさん楽しんでくださいね!

今年進学する人、就職する人、みんな元気にがんばってください。

私たちも心から応援しています!


さて、今日は母が、映画「おくりびと」を見たいというので、
DVDを買ってきて、二人で見ました。

とても感動しました。

心がじんわりと温かくなる映画でした。
テーマもすばらしく、映画として、本当によくできています。

ぜひ見られることをおすすめします。

本木さんは、納棺士の本を読んで、感動し、
この本を映画にしたいと、思い続けてきたそうです。

10数年かけて、すばらしい脚本家、監督、俳優、
音楽の担当の人たちを巻き込んで、
あれだけの作品にして、ついに世界中の人々の、
共感を得ることになりました。

普通だったら、存在も知られなかった、納棺士の映画、
ヒットするとは思えないでしょう。

人に不可能といわれても、なんども障害にであってもあきらめずに、
自分の夢を、時間をかけて、しっかりと実現していった本木さん、
すごいです。

本木さん、人間の深みを感じさせる、本当にいい役者さんになりましたね。


わたし自身のことでいえば、29歳で父をなくしてから、死は身近なものになりました。

映画の中で、「死は門のようなものだ。」という、せりふがありましたが、
私も、父の死以来、「死とはこの世と違う次元にいくことだ」と信じています。

父の死は、同時に、「愛は永遠であること」を私に教えてくれました。

今でも、いつも、父の大きな愛に守られていることを、実感しています。










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クリスマスの夜に

2008-12-22 07:51:31 | こころ




その日、わたしは、ある人と会うために、足早に、昔住んでいた町に向かっていま

した。


久留米から、1時間ばかり離れたその町に、住んでいるTさんは、親子ほど年が離

れた女性で、社会に出たばかりで、何もできない私を、とてもかわいがってくれま

した。


20代の未熟さで、知らないとはいえ、とんちんかんな事を、たくさんしていたに

もかかわらず、いつも私をやさしく助け、はげましてくれました。

お互い仕事をしていたこともあって、ある意味では、本当の親子以上に、お互い、

深く理解しあえたのでした。


Tさんとは10年位、深くお付き合いさせていただきましたが、その後、事情があ

って、私はその町を離れ、Tさんとも、もう5,6年、会っていませんでした。

その日わたしは、なぜか、どうしてもTさんに会いたくて、電話もせずに、懐かし

いその人の家へ行き、突然、玄関をノックしたのでした。


出てこられた、Tさんは、涙ぐまれ、大変びっくりされていました。

そして、私もそれ以上に驚くことになりました。


というのは、私は、何の連絡もされなかったけれど、「心」で呼ばれたことがわか

ったからです。


Tさんの話によると、Tさんは、私が家を訪ねた日の、数日後に、久留米の

もとむら歯科のすぐ近くで、同窓会が行なわれる予定があり、出席するはずだった

のです。

そして、同窓会のあとに、ずっと会っていない私に、きっと会いに行こうと、思わ

れていたそうです。


ところが、このところ次第に体調が悪くなり、私に会うどころか、同窓会に行くこ

とさえも断念せざるを得なくなってしまいました。


もしかしたら、もう、私に会うことはできないかもしれないと、とても気落ちされ

ていたのでした。


私は何も知らないまま、ただ、Tさんに会いたいという思いだけで、その日、Tさ

んの家の扉をたたいたのです。


私たちはしっかりと抱き合いました。

お互いに、会えて本当にうれしかったのです。


それから1年ほどして、Tさんはお亡くなりになりました。

もう、この世で会うことはできなくなりましたが、どんなに離れていても、たとえ

違う世界であっても、Tさんとの心の絆、Tさんの愛情は、消えることはないこと

を、私は確信しています。

いま、このときも、ほんの近くで、私を見守って下さっているような気がしています。

Tさん、ありがとうございます。



心って、つながっているんですね。

クリスマスの夜、世界中のすべての人が、こころ安らかでいられますように。
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リベラ

2008-10-31 09:30:32 | こころ
リベラを知っていますか。
友人が好きなリベラのCDを聞いています。

リベラの歌は悲しみに寄り添います。

私は、いま、悲しいと感じることは、あまりありません。

でも、小さいころ、まだ悲しみにどう対処したらいいのかわからなかった時、
幼い私は、その悲しみを、心の深いところに、沈めてきたのでしょう。

リベラの澄んだ歌声を聴いていると、それらの悲しみが、小さなあわになって、心のそこから浮かんできて、それが昇華されてだんだんと透明になって広がり、天にまで昇っていく、そんなイメージが浮かびます。

友人の深い悲しみは私には、想像もできませんが、リベラの歌を聴くことで心が少しずつでも軽くなっていくことを願って止みません。

あなたが、もし心に深い悲しみを秘めているなら、どうぞリベラを聴いてみてください。

世界中のすべての人の心が癒されますように。

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プランジャパン

2008-10-02 22:21:48 | こころ
プランジャパンの、途上国の子供たちの支援を始めて10年になりました。

プランジャパンというのは、途上国の子どもたちとともに地域開発を進める国際NGOプランのことです。

私が交流していた、ネパールのAちゃんは、はじめた時は姪と同じで、8歳でしたが、、成長して18歳になり、チャイルドとしての、登録から離れることになりました。

Aちゃん18歳の誕生日、おめでとう。

早いような、長かったような10年でした。毎年、写真や自分で書いた絵を送ってきてくれてありがとう。

健康に成長してくれて、本当によかったと思うと共に、さみしい気持もあります。

もっとお手紙を書いて、成長していく時期にいろいろ話ができたらよかったなあと、少しこころ残りです。

ネパールにも行きたかったなあ。

でも、ひとまず、私も無事、10年間、子供たちの支援にお役に立つことができてよかったです。

また、あたらしいチャイルドとご縁ができたら、今度こそ、もっと心の交流をしたいと、思っています。

皆さんもいかがですか?


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出会いに感謝

2008-05-18 23:50:07 | こころ
○美さんと、久しぶりに食事をしました。彼女とは、20年来の友人です。

出合った頃、○美さんは、8年間アメリカの大学、大学院でコミュニケーションを学んで帰国して、短大などで、英語を教えていました。

私は、その頃、○美さんに、個人的に英語を習っていたのです。
テキストも使いましたが、英語や日本語で、楽しいおしゃべりもたくさんしました。

いつものようにおしゃべりをしている時、○美さんにふと、尋ねたことを
今でも鮮明に覚えています。

「○美さんって、あんまり落ち込まないのね。どうして?」
「落ち込まないようにしているからよ。」
「??? そんなことできるの!」

目から鱗の一言でした。
それまで「感情」は、自然にわきあがってくるもの、自分のこころが、流されるものと思いこんでいたからです。
私は「感情」が自分でコントロールできるのだということを、その時始めて学んだのでした。

今考えてみると、○美さんは、おしゃべりのなかで、私が気づかないうちにも、コミュニケーションについて、さまざまなことを教えてくれたような気がします。

あれから、2人の人生にもいろいろな変化があり、今は数年に1度くらいしか
会えなくなりましたが、あの時教えていただいたことは、今も心に深く刻まれていて、大きな変化のたびに、私を助けてくれました。

あの時、「感情は、コントロールができる」という大切なことを教えてもらっていなかったら、人生の節目で違うことを考え、違う選択をして、今とは全く違った人生になっていたでしょう。

本当に「出会い」は人生を変えるのですね。
○美さん、ありがとうございます。出会いに感謝です。



コメント (4)
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