豊崎由美と広瀬大志による対談。連載の第一回目は「現代詩のフォッサマグナはどこだ?」。
広瀬大志は、現代詩文庫から詩集の出ている詩人のようで、「音楽業界で、マーケティング分析により販売戦略を考えたり流通チャンネル開拓する仕事を長くやってい」るそうである。
豊崎由美は、書評家らしい。
「フォッサマグナ」は、新潟県糸魚川から静岡あたりに走る、日本列島を西と東に分断する大断層のことだが、ある時期から詩がぱたりと読まれなくなった、その大断層にも比肩すべき時期を画定したいということのようである。
で、その時期については、どうこうという話もあるようだが、それはさておき。
「カッコいい」という言葉に反応し、そこで取り上げられた詩人の名前に反応して、ちょっとモノを書いてみたくなったわけである。
ところで「ポエム」とか書いてあって、現代詩手帖でポエムでもあるまいというところではある。
「豊崎 …本来ポエムは「一編の詩」を意味する単語ですよね。だけどある時期から「頭がお花畑」みたいなイメージで使われているじゃないですか。」(102ページ)
ということで、ポエムという言葉の復権も目論むらしいが、カタカナとかひらがなで書いたぽえむなどという言葉は、日本語では、もはやそういう意味だとあきらめるほかないと思う。無駄な抵抗である。たぶん。ただ、恐らく、そういう意味でのポエムが流布し始めた時期というのが、そのフォッサマグナたる時期でもあろうという含意はあるのかもしれない。
しかし、「カッコいい」という言葉は、良い。私は好きだ。
「豊崎 男のひとはモテたくてバンドを始めたりするでしょう。中原中也の時代とかだと、詩人ってモテてたと思うんです。ぶっちゃけ、広瀬さんはモテたくて詩を書くようになったんですか?
広瀬 はい(笑)。当時、詩とは武器だったんですよ。」(102ページ)
そうそう、そのとおり。私は、友達と、中学生からバンドを組んで、クリームだとか、レッド・ツェッペリンとか言っていたのは、純粋に音楽が好きだというだけではなかったのは言うまでもないことで、詩を書き始めたのは、必ずしもそういうことではなかったような気もするが、結果としては、そうだったと言ってあながち間違いでもないところはある。
閑話休題。
広瀬は、上の言葉にすぐ続けて
「ぼくは中学生くらいから詩を書いていましたけど、いわゆる成長期における情念のぶちまけってあるじゃないですか。性欲、恋愛、世の中への反抗……それを言葉にして撒き散らしたかった。それで詩に触れて、最初はやっぱり過激にランボーとかロートレアモン、次にシュルレアリズムにハマって、自分の年齢以上に大人びた言葉を求めていましたね。あの頃は、詩を恋愛のツールとして使うことが容認されていたような気がします。」
それに対して、豊崎、
「1970年代の少女漫画には、詩を書いている少年が出てきましたよね。詩がカッコいいという認識が、ある時代まではあった。」(103ページ)
ランボー、ロートレアモン、そして、シュルレアリズム。なるほど。
ちなみに、すぐ続けて、生年の話題で、広瀬は1960年生まれ、豊崎は61年生まれとのこと。私は56年生まれなので、なんだ、私より若いのか。
少女漫画で詩人とかいうと、大島弓子とか、萩尾望都とか、竹宮惠子とかかな。
広瀬は、十代の終わり頃、女の子に告白しようとする電話口でジャック・プレヴェールの詩「夜のパリ」を読んだらしい。引用は本人訳とのこと。
「夜の中 三本のマッチを一本づつ擦る
最初の一本はおまえの顔を一度に見るため
次の一本はおまえの目を見るため
最後の一本はおまえの唇を見るため
残りの暗黒はそのすべてを思い出すため
おまえを抱きしめながら」(102ページ)
反応はだめだったらしいが、私もこの詩を知っていたら、ささやきかねなかった。ひょっとすると、今でも使いそうだ。
まあ、寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」なんかも語りそうだけど。
で、西脇順三郎の「Ambalvalia」の「天気」と「太陽」。
「(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日」(103ページ)
これは「天気」で「太陽」は
「カルモヂインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏をすごしたことがあった
ひばりもゐないし、蛇も出ない。
ただ青いスモゝの藪から太陽が出て
またスモゝの藪へ沈む。
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った。」(103ページ)
私は、西脇は、高校の現代国語だったか、中学校だったかの教科書で知った。谷川俊太郎も教科書だったと思うし、教科書というのはバカにしてはいけないとずっと思っている。
それから、萩原朔太郎、吉田一穂。
そうそう、吉田一穂の「母」
「あゝ麗はしい距離(ディスタンス)
つねに遠のいていく風景……
悲しみの彼方、母への、
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニシモ)」(104ページ)
表記については、ディスタンスとかピアニシモはどちらもルビである。
しかし、まあ、マザコンだし、今だと、あの3人組、ジ・アルフィーのヒット曲、センチメンタルなJポップとか歌謡曲まがいとも見えるけれども、当時のこれは、まあずいぶんとカッコいい。
鈴木志郎康の「プアプア」はそんなにカッコいいという方ではない(もちろん、ずいぶんと奇妙に面白かった)と思うが、吉岡実か。これは確かに相当にカッコいい。「静物」ね、ふむ。
遡って北園克衛、そして田村隆一か。田村隆一はカッコいい。存在自体がカッコいい。見かけもカッコいい。どの詩をとってもカッコいい、と私も思う。広瀬は「水」を引いている。
「どんな詩も中断にすぎない
詩は「完成」の放棄だ
神奈川県大山のふもとで
水を飲んだら
匂いがあって味があって
音まできこえる
詩は本質的に定型なのだ
どんな人生にも頭韻と脚韻がある」(107ページ)
これは、水じゃなくて、ウィスキーだろう、とか思うが。水だとすれば、ストレートで飲んだ後のチェイサーのことか。
「広瀬 …田村さんの凄身は決して威張らないこと。上から偉そうに考えを押しつけるのではなく、例えば薄暗いバーのカウンターの横に田村さんがいて、「なあ、言葉なんか覚えるんじゃなかっただろう?」って耳元で言われているみたいな。」(107ページ)
ここで、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」というのは、有名な詩句。詩集「言葉のない世界」の「帰途」という詩の冒頭である。
と、まあ、このあと、松浦寿輝とか、少し時代の下った詩人や、海外の詩や、また、歌謡曲の歌詞なども含めた「大断層」についての対話が続くが、以下は省略。
広瀬、豊崎両氏の語りは、ほぼ同年代のものとして、共感しつつ楽しませてもらったということ。
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