ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

中沢新一 アースダイバー神社編 講談社

2022-02-28 21:19:14 | エッセイ
 中沢新一とは何者か。
 大学教授とか、大学の研究所長を歴任しているが、どうも普通の意味での学者という枠には収まっていない。多数の著作をものした著述家、であろうか。
 思想家、というと、いちばんしっくり来る肩書だろうか。
 いっそ、文学者、と呼ぶべきかもしれない。
 『チベットのモーツァルト』以来、このブログを始める前から、ずいぶんと多くの著作を読んできた。『カイエ・ソバージュ』のシリーズとか、『バルセロナ秘数3』とか、『悪党的思考』とか、ここで並べてもきりがないが、いずれも、読み応えあり、わくわくと読み進めた。なんというのだろう、人間についての新たな知見を与えてくれる、新しい世界を切り開いてくれそうな期待感を抱かせる。現在の日本社会の様々の問題を解決してくれる鍵を与えてくれる。その先に来るべき理想社会が実現する、貧困や病苦のない平等で公正な社会、人類皆が幸福に暮らせる社会が実現する、そんな期待を抱かせてくれる。
 これは、こと中沢新一に限らず、私の好きな作家、学者、思想家、著述家すべてに当てはまることである。そんな期待を抱きながら、書物を読み続けてきた。新しい、私たちの聖書を探し続けてきた。
 しかし、そんな書物を、多数読み続けて、結果、現在の世の中はどんなふうになったのか?読書をした私は、現実の世界に何ごとか貢献することができたのか?
 身近な、個別具体の局面では、本を読み続けたことがプラスになったことはたくさんあった。読書を続けて得た教養は、大いに役だった。市役所の職員として、観光課でも、図書館長としても。現在の福祉関係の仕事にしても、子どもたちの演劇活動のスタッフとしても、詩を書くにしても。
 しかし、なんと言えばいいか、大きな世の中の仕組みは、私などが本を読もうが読むまいが、なんの変りもなかった、のではないか?そして実は、私が、というだけでなく、世の中に様々な素晴らしい本が書かれてきたけれども、多くの人がそれらの本を読んで、それで社会がより良くなったと言えるのかどうか、そんなのは定かではない、のではないか?
 閑話休題。どうも話が拡散してしまった。
 中沢新一は、そもそも科学者ではない。細かな叙述が、すべて事実であるかないか、そんなところを問題にしてもしょうがない。大きな事象として、勘所を捕まえているかどうかが問題なのである。
 そういう意味で、中沢新一は、常に正しい、と私は思う。
 構想力、想像力、それを表現する文章力。どれをとらえても素晴らしい。一個の作品として楽しませてくれる。この読書が、世の中のために役立つに違いないと思わせてくれる。
 今回の『アースダイバー 神社編』も、この日本という国がどういうふうに成り立っているのかについて、歴史の始まる場所に立ち返って、大枠を指し示してくれている、と思う。
 私自身の読書体験の始まりは、小学校5年生の頃の『幻の邪馬台国』、そこから岩波古典文学大系の『古事記』、『日本書紀』と続いて、日本の古代、また、神話を中心に広がったと言える。日本人の起源、日本語の起源も関心の中心に位置していた。
 そういう読書体験に照らして、この本で中沢の言っていることは、大枠として、全く正しい、と思う。

【プロローグ「聖地の起源」あるいは人工と自然】
 さて、プロローグ「聖地の起源」で、中沢は、次のように記す。

「私には長いこと「聖地」というような考えは、人間にしかないものと思い込んでいた。しかし十数年前にチベットを旅行したとき、犬にも聖地があるらしいということを知って、あらためて生き物にとって聖地とはなにかということを深く考えるようになった。」(2ページ)

 犬にとっての聖地。人間以外の生物にとっての聖地。象の墓場とか、猫はどこで死ぬか、とか、動物が人間からは身を隠して、人知れず死んでいく場所、そんな聖地があると言う話は、どこかで読んだことがある。それを聖地と呼ぶかどうか、聖地といって間違いではないのだろう。まあ、いずれ比喩でしかないわけだが。

「…そのころ親しくなったフランス人の若い人類学者が、地磁気計やら電磁波測定器などの重たい計器を携えて木曽御嶽の山岳宗教の調査に向かうのを見て、ずいぶん変なことを考えるものだといぶかしんだものだ。…彼は…「君は古い。文化も地球生命(ガイア)の生み出す現象にすぎない。人間は地球からの、いや宇宙からの影響を受けながら、生きている。太陽黒点の活動が文明の発展に大きな影響を及ばして来たのを知らないのか。…聖地は地球の特異点だ。…」
 彼の言葉は、私にはまさに脳天に落ちてきた霹靂だった。そのころの私は象徴やら記号やらのことばかりで頭がいっぱいの構造主義者だったから、人間の精神も自然が産み出したものであり、どこまでいっても自然に包摂されているというこの「進んだ」考えによって、思考の土台をひっくり返されるような衝撃を受けた。」(4ページ)

 なるほど。「人間の精神も自然が産み出したものであり、どこまでいっても自然に包摂されている」、考えてみれば、これは当たり前すぎるほど当たり前のことである。しかし、ことにヨーロッパにおいては、人間の営みと自然の流れとは、対立するものと捉えられてきた。人工と自然、科学技術と自然。しかし、それらは通底している。対等の資格で対立するものではない。人工は自然の中に包摂されている。科学技術とは、小さな人間の、大きな自然に対する必死の抵抗でしかない。
 (人工が巨大化して自然を破壊する危機というのも、人類が生存可能な、薄っぺらな地表と大気圏の環境を破壊してしまい生き延びることができなくなる危険性があるということであって、人類滅亡後の自然は残り続けるわけだ。自然の側では、人類の存続など知ったことではない。そんな危機のなかで、人類は、手持ちの資源をどうにか活用して生き延びていこうとする。せいいっぱいの人工の知恵でもって。)
 若い人類学者の一言が、中沢にとって青天の霹靂(へきれき)となり、仏教を学び、さらに「アースダイバー」の探求を始めるきっかけとなったという。

「私はのちにチベット仏教の修行を始めることになるが、それも自分の精神と自然過程の間にたしかな通路をつくりだそうとする試行にほかならなかったし、さらに、そののち、自然地形とその上で展開されてきた精神活動や歴史とのつながりを探る「アースダイバー」のような探求を始めたのも、おそらくその一言がきっかけになっている。」(4ページ)

 (1950年生まれの中沢は、大学院時代の1979年にネパールにわたりチベット仏教の研究を行い、2005年に最初の『アースダイバー』を書いており、引用中の「十数年前」とか、「そのころ」とか、私には、どうもうまく時系列がつかめないが、たいした問題ではないだろう。)

【聖地あるいは精神の古層】
 今回、中沢は、日本の神社を「アースダイバー」の探求の場所に選んだ。

「今度のアースダイバーは、聖地の地形や歴史を調査することをつうじて、聖地の感覚が発動するその「精神のきわめて深い場所」の構造を探求しようという試みである。私たちは探求の場所を、日本の神社に選んだ。…神社という日本の聖地には、人間の精神の秘密にかかわる多くの謎がほとんど手つかずのままに残されているからである。」(5ページ)

 聖地の地形に、人間の精神の古層の構造がよく現れているということは、もちろん、日本に限った話ではない。中沢は、イスラエルの古都エルサレムを取り上げる。宗教の洗練の極致である3種の一神教の聖地である。

「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教のこの聖地の最下層には、上部旧石器的な原初の宗教体験が埋め込まれている。一神教の神の根っこには、真っ暗な洞窟の中で眼球の奥にほとばしる光を見ながら、サピエンスとしての自分たち人間の本質を覗き込んでいた、最初の人間たちの体験が埋め込まれている。「宗教」というものの「進化」の最終段階が一神教であるという西欧世界の主張を一応認めたとしても、その最高に進化した宗教である一神教は、旧石器的な原初の体験に回帰することによって、それを果たしたと言えるのではないか。」(9ページ)

 エルサレムには、旧石器時代に、はじめて知性=サピエンスを得た時代から、至高の宗教たる一神教に至るまで、重層した人類の歴史が露呈しているというわけである。
 (うえで、宗教について、「西欧世界の主張を一応認めた」と言っているのは、また別の極致である仏教のことが念頭にあるからである。)

【アボリジニーの「虹の蛇」】
 さて、プロローグを終えて、第一部「聖地の三つの層」の第一章は「前宗教から宗教へ」と題される。聖地の三つの層のうちの最古層である。

「宇宙の始まりをしるすビッグバンの波動はエコーとなって全宇宙に広がっていった。それと同じように、「サピエンスを持った人類」である人間の始まりを生み出したサピエンス革命の爆発のエコーも、その後の人間のすべての営為の中に響き続けている。」

 中沢新一の得意な比喩表現であり、宇宙物理学や人類学や脳科学の新しそうな知見を表すかのような言葉が散りばめられている。
 サピエンスとは、我々現生人類の学名ホモ・サピエンスのサピエンスであり、「知性」、「知恵」のことである。
まず、オーストラリアのアボリジニーの「虹の蛇」の神話を取り上げる。
 「クナピピ」と呼ばれる大いなる姉妹が、大きな岩の中の池を不浄とされる生理の血で汚し、底に潜む大蛇を怒らせて、空に虹の蛇として飛び立たせ、地上に生命力をあふれさせるという。

「この「クナピピ神話」には、人間の出現を告げるサピエンス革命の本質が、虹の蛇のイメージを用いて色鮮やかに描かれている。」(18ページ)

「神話の「大いなる母」である姉妹を呑み込んだ大蛇の住む大岩の底にある池は、いまもじっさいにあってアボリジニーにとっての重要な巡礼の聖地になっている。そこにはお社(やしろ)の類は一切建てられていない…。人間の聖地の原型がここにはある。」(19ページ)

 オーストラリア大陸に住むアボリジニーは、原初の人類の精神を良く残した人々であるらしい。

【縄文と弥生、海洋系の倭人】
 第二章は、「縄文原論」であり、「聖地の三つの層」の2番目となる。

「ユーラシア大陸の東縁にたどり着いた人間は、南太平洋の島々から南アメリカ大陸まで、環太平洋の一円に広がっていった。日本列島に入った縄文人もその一員である。彼らは台湾、南西諸島をへて、一万五千年ほど前、鹿児島の南端部に上陸している。…いずれも南方の海上ルートをわたってきた人々であるので、彼らの文化には深い「環太平洋的特性」が刻み込まれている。」(35ページ)

 縄文人は「海洋系の海人(あま)」(36ページ)なのだという。どちらかというと、私などは、縄文人は山の人、森の人というイメージである。狩猟、採集により食をつないだ人々だとイメージしてきた。川でサケを捕まえるとかはあっても、漁労は一部であって中心ではないようなイメージ。「海洋系の海人」か、なるほど。
 そして、「三つの層」の3番目、第三章「弥生人の神道」に進むが、弥生人は「倭人」であり、もともとは縄文人と同じ海洋系の人々であるという。海洋系でありながら、揚子江近辺で、稲作の技術を得た人々。

「いまから二千九百年ほど前、すでに一万二千年ちかくも続いた縄文時代が、終わりに近づいた頃、北部九州に何か重大なことが起こっているらしいという情報は、日本列島の広い範囲に急速に伝わっていった。…
 このとき縄文人が出会った、稲栽培の知識をもった人々は、「倭人」であったろうと、今日では考えられている。「倭人」という概念は、多少曖昧なところを含んでいるが、南中国の揚子江河口のあたりを本拠として、しだいに活動範囲を北に広げていった人々であると言えば、だいたい当たっている。」(48ページ)

「倭人はもともと海洋民である。それが、揚子江河口地域に長く暮らすうちに、稲作の技術を習得するようになった。」(49ページ)

 縄文人と弥生人は、ルーツをたどれば同じ、中国南部か東南アジアあたりから、日本列島にわたってきた人々であるという。その時期、ルートが違い、稲作を中心とした農業を習得する前か後かで大きな違いが生じたわけだが、信仰を含め、共通項が多かった。元はと言えば、ルーツが同じなのであるから当然である。しかし、長い間、別の場所で進化を続けてきたのだから、違うのも当然。その違いと共通項、その混ざり具合が、その後の日本の歴史を形成したということになるのだろう。このあたりは、私として、とても納得しやすい話である。
 縄文人は、沖縄方面から薩摩半島に渡り、日本列島を北東に進み、関東、東北まで広がった。弥生人は、黄海沿岸、朝鮮半島を経由して、北九州から瀬戸内海沿岸を進み、まずは奈良、京都、大阪近辺までを中心に分布した。

【縄文と倭人の神社】
 第二部からは、日本各地に鎮座する古い神社に当たっていく。
 第二部「縄文系神社」では、まず、第四章で、秋田県鹿角市の「大日孁貴(おおひるめむち)神社(鹿角大日堂)」を取り上げる。近隣には、縄文後期の遺跡である、謎の大環状列石もある。
 第五章は「諏訪大社」。信州諏訪湖の御神渡り(おみわたり)、凍結した湖面の一直線のひび割れや、巨木を山から引き摺り下ろす御柱祭が有名である。
 第六章「出雲大社」。国津神大国主命の国譲りや、海の向こうから渡ってくる少彦名命の神話。
 第七章「大神神社」(三輪神社)は、大和朝廷の中心地である奈良盆地に残された縄文の痕跡だという。
 これらの神社の由来には、実はすべて蛇が登場している。知恵の源であり、生命力の源である蛇。
 第三部「海民系神社」は、「倭人」、弥生系の神社の足跡をたどる。
 まずは、第八章「対馬神道」、次に九州から日本海ルート、太平洋ルートをたどって、内陸の信州までたどり着く第九章「アズミの神道」、第十章は、皇祖太神伊勢神宮を描く「伊勢湾の海民たち」。弥生系の足跡にも、同じく蛇が登場する。
 伊勢神宮の祭神は天照大神であるが、鹿角市の「大日孁貴神社」に祭られるオオヒルメムチは同一の神である。いずれ、太陽の神格化された「天空を照らす偉大な太陽の聖なる女性神」である。日本神道の体系化された至高神であり、天皇家の氏神である伊勢神宮の天照大神も、縄文あるいは、それ以前からの原初的な宗教がその核心を貫いているというわけである。
 ところで、江戸時代の国学から明治の国家神道という流れは、ある時代の見方でしかない。伊勢神宮は始原の神社ではなく、最新層(とは言っても、古事記・日本書紀編纂の時代である)に意図的に設えられた国家統治の仕掛けである。根源に原初のエネルギーが措定されている、その土台の上にということではあるが、他の神社の頂点に立つという至高性は、その時代の特定の集団の一種の創作物である。明治維新の時代に、もう一度その創作物を、より純化して発見しなおした。そこを盲信しては、日本人を見誤る。もっと遡って日本の宗教を見ていくこと、日本民族の複数性、雑多性、多様性、雑種性を見ていくことが肝要である。というようなことを、ここで、中沢新一は直接言っていないが、この書物を書いた前提には、そういう思想があるはずだ、と私は考える。
 どうだろうか?



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