むかし むかし あるところに 三十郎という 牛方がおった
あるとき 三十郎は 牛の背中に 干鱈を積んで
こっとり こっとり 山を 超えてきた・・・
・・・何やら 後ろから 呼ぶ者がある・・・
恐ろしいのを 堪えて 振り返ってみると 恐ろしいとも 恐ろしい
銀色の髪を 振り乱し 真っ赤な 口を開けた やまんばが 追いかけて・・・
* * * * * * * * * * * * * * * *
つれあいの実家までの途中には、いくつもの昔話の世界が、今に伝えられている。
日本海側の糸魚川から、信州松本城下を結ぶ街道は、『 塩の道 』 とも呼ばれ、
深い谷あいの山道を雪のない季節は・・・
牛一頭の背に2俵づつ付け、6頭の牛を一度に追う牛方が、
雪が降り始めてからは・・・人が背負って雪の山越えをする歩荷(ボッカ)が、
塩や海産物を運び、帰りの荷には、麻や煙草等を運ぶ暮らしの道だった。
国道からほんの少しはずれた所に、ひっそりとそれらの資料館が残っている。
< 塩の道 資料館 >
糸魚川の駒ヶ岳や雨飾山を望む地に、ひっそりと建っていた・・・
当時の生活を伝える道具類が、そのまま保存されている。
歩荷の装束や道具類はもちろんのこと、中でも興味深かったのは、↓コレ。
この地に昔から伝わり、今も継承されている 七夕飾り なのだという。
長い縄の真ん中に、お嫁さんとお婿さんと腰元が並び、
その両脇を幾人もの人形が、行列をなしている。
7月7日から8月7日の夜まで、毎に街道筋の木と木に渡して飾るのだそう。
ひと月間も飾るため、現在の人形は、色とりどりの布で作っているが、
かつては、布は貴重品だったので紙製であったという。
そして、8月7日の晩、このお飾りを船に乗せて川に流したと言うことだが、
現在では、川の水量云々の問題も有り、河原で燃しているそうだ。
要するに、このお人形達は、身代わりになるという点では、
流し雛に通じるところもあるのかもしれない。
珍しい風習ということでその季節には、全国から観光客や大学の研究者たちが、
見物や調査、取材にやって来て過疎の村も一時的に賑やかになるらしい。
この資料館に常駐しているのは、地元のばあちゃんたち。
お歳を伺えば、80歳とおっしゃるが、とってもそうは見えない。
お肌ツルツル、笑顔ピカピカ・・・
手もよく動くが、なんと言っても口がよく動いている。
1を尋ねれば、3にも5にもして返してくれる。
へたに、教育委員会から物知り顔の学芸員を送り込むより、
ずっと、ずっと、話し好きのばあちゃんがいた方が、
歴史の変遷を伝えるには、真実みがあって、聴き手も楽しいし、
当のばあちゃんたちの介護予防にも役立つような気がする。
是非、七夕の季節に、もう一度尋ねてみたい♪
< 牛方宿 >
塩の道を更に山深く進んだ小谷村には・・・
かつて、千国街道(塩の道)沿いには、何軒かの牛方宿があったというが、
いつしか姿を消し、この宿が現存する唯一の牛方宿となったということだ。
いくつもの峠を越え、暗くなる頃ようやく、牛方は、狼や山犬の襲撃を避け、
灯の下で牛たちと安心して眠りにつくことができたのだろう。
昼間でも薄暗い囲炉裏端に座って、トロトロと燃える赤い火を見ていると、
ふっと・・・やまんばが、追いかけてくるような・・・・
むかしばなしの世界に、入ってしまいそう・・・。
※ どちらの資料館とも 冬期間は閉鎖されます
++++++++
そうか・・・毎回、私とつれあいは、塩の道(沿いの国道)を通って、
やまんばに会いに行くのも、必然だったんだなぁ。
牛が箒に取って代わり、魔女地方の産物を届け、帰りは塩(挙浜塩田の自然塩)や
海産物を持ち帰って来ているのだから・・・
昔から、な~んにも変わってないんだ! 同じ事を繰り返しているんだなぁ。
あるとき 三十郎は 牛の背中に 干鱈を積んで
こっとり こっとり 山を 超えてきた・・・
・・・何やら 後ろから 呼ぶ者がある・・・
恐ろしいのを 堪えて 振り返ってみると 恐ろしいとも 恐ろしい
銀色の髪を 振り乱し 真っ赤な 口を開けた やまんばが 追いかけて・・・
* * * * * * * * * * * * * * * *
つれあいの実家までの途中には、いくつもの昔話の世界が、今に伝えられている。
日本海側の糸魚川から、信州松本城下を結ぶ街道は、『 塩の道 』 とも呼ばれ、
深い谷あいの山道を雪のない季節は・・・
牛一頭の背に2俵づつ付け、6頭の牛を一度に追う牛方が、
雪が降り始めてからは・・・人が背負って雪の山越えをする歩荷(ボッカ)が、
塩や海産物を運び、帰りの荷には、麻や煙草等を運ぶ暮らしの道だった。
国道からほんの少しはずれた所に、ひっそりとそれらの資料館が残っている。
< 塩の道 資料館 >
糸魚川の駒ヶ岳や雨飾山を望む地に、ひっそりと建っていた・・・
当時の生活を伝える道具類が、そのまま保存されている。
歩荷の装束や道具類はもちろんのこと、中でも興味深かったのは、↓コレ。
この地に昔から伝わり、今も継承されている 七夕飾り なのだという。
長い縄の真ん中に、お嫁さんとお婿さんと腰元が並び、
その両脇を幾人もの人形が、行列をなしている。
7月7日から8月7日の夜まで、毎に街道筋の木と木に渡して飾るのだそう。
ひと月間も飾るため、現在の人形は、色とりどりの布で作っているが、
かつては、布は貴重品だったので紙製であったという。
そして、8月7日の晩、このお飾りを船に乗せて川に流したと言うことだが、
現在では、川の水量云々の問題も有り、河原で燃しているそうだ。
要するに、このお人形達は、身代わりになるという点では、
流し雛に通じるところもあるのかもしれない。
珍しい風習ということでその季節には、全国から観光客や大学の研究者たちが、
見物や調査、取材にやって来て過疎の村も一時的に賑やかになるらしい。
この資料館に常駐しているのは、地元のばあちゃんたち。
お歳を伺えば、80歳とおっしゃるが、とってもそうは見えない。
お肌ツルツル、笑顔ピカピカ・・・
手もよく動くが、なんと言っても口がよく動いている。
1を尋ねれば、3にも5にもして返してくれる。
へたに、教育委員会から物知り顔の学芸員を送り込むより、
ずっと、ずっと、話し好きのばあちゃんがいた方が、
歴史の変遷を伝えるには、真実みがあって、聴き手も楽しいし、
当のばあちゃんたちの介護予防にも役立つような気がする。
是非、七夕の季節に、もう一度尋ねてみたい♪
< 牛方宿 >
塩の道を更に山深く進んだ小谷村には・・・
かつて、千国街道(塩の道)沿いには、何軒かの牛方宿があったというが、
いつしか姿を消し、この宿が現存する唯一の牛方宿となったということだ。
いくつもの峠を越え、暗くなる頃ようやく、牛方は、狼や山犬の襲撃を避け、
灯の下で牛たちと安心して眠りにつくことができたのだろう。
昼間でも薄暗い囲炉裏端に座って、トロトロと燃える赤い火を見ていると、
ふっと・・・やまんばが、追いかけてくるような・・・・
むかしばなしの世界に、入ってしまいそう・・・。
※ どちらの資料館とも 冬期間は閉鎖されます
++++++++
そうか・・・毎回、私とつれあいは、塩の道(沿いの国道)を通って、
やまんばに会いに行くのも、必然だったんだなぁ。
牛が箒に取って代わり、魔女地方の産物を届け、帰りは塩(挙浜塩田の自然塩)や
海産物を持ち帰って来ているのだから・・・
昔から、な~んにも変わってないんだ! 同じ事を繰り返しているんだなぁ。